彼は、子供 ────時計の針は、午後三時に差しかかろうとしていた。
物見塔の最上階に何本もの亀裂がはしる。次の瞬間、砕かれたガラスの様にその壁は粉々になってあたりに飛び散った。二つの人影が空中へ放り出される。カクとスペッキオだった。
「う、」
スペッキオはパン、と手を打ち鳴らすも、月歩で背後まで忍び寄ったカクにより、ぎゅっと、その体を『両手』で抱きしめられる。途端にどこからか、柱時計の音が聞こえてきた。
「……わはは!今度こそわしの勝ちじゃ!惜しかったのうスペッキオ」
ついに捕まえた!瓦礫と共に落下しながら笑いが止まらないカクであったが、ふと、腕の中にいるスペッキオの様子がおかしいことに気がつく。
「どうしたんじゃ?スペッキオ……」
・
「一体この被害報告はどういう事だ!?どうすりゃ鬼ごっこで建物が吹っ飛ぶことになるんだ!え?おい、カク、てめェ!」
「僕がやったんだ、スパンダム」
司令長官室にて長椅子に座らされている今回の反省人、二名。カクに詰め寄ったスパンダムだったが、スペッキオの発言で勢いが止められた。
「僕が嵐脚で壊した」
「嘘つけ!」
「加減をまちがえてしまったんだ。夢中になっていたし、久しぶりに使った技だったものだから……」
「………」
「ごめん……」
「……スペッキオも反省しておるようじゃし」
「てめェは黙ってろ!」
罰として向こう半年間の減給、エニエス・ロビーの建物すべての窓ふき掃除を自ら提案するスペッキオだったが……。
「いい」
長椅子に背を向け、小さな声で答えるスパンダム。
「そんな事はしなくていい」
肩をいからせてはいたが、ボルテージが上がっているというよりも、鎮火に努めようとしている最中の様だった。
「でも……」
「おれがいいっつったらいいんだよ!」
「スペッキオには甘々じゃのう」
「うるせェ!」
せめて後始末だけはさせてくれ、とスペッキオが申し出たことにより、早々に修理の手配がおこなわれた────。
「言うたとおりじゃったろう?スペッキオがやったと言えば罰も軽く済むと」
「くだらなすぎて呆れられてしまっただけだよ」
スペッキオとカクの二人はセント・ポプラに訪れていた。下見にきた大工によると、いま海列車の貨物は予定で埋まっているので、工事を始めるのは来週からになる──とのことだったが、建築資材をこちらで用意すれば明日からにでも取りかかってくれると言われた為だ。
「それより、約束はおぼえてるね?」
「分かっとるわい。スペッキオの弱点≠ヘ誰にも言いはせん」
「よろしい」
美しい街並みが見える港に降り立つと、カクが地図を取り出す。材木店の位置を確認していざ出発か、と踏み出そうとしたスペッキオの前に、カクが背を向けて屈んだ。
「ん」
「ん?」
「わしがおぶっていく。こっちの方が早いじゃろ」
「僕はまだそんなご老体じゃないよ」
「日帰りしたいんじゃ。街中で手を打ちまくられて変に目立ちたくもないしのう」
「……強引な奴だなァ……」
・
・
・
その翌日。司法の塔内をゆくスペッキオの後ろには、ひよこの様にくっついてまわるカクの姿があった。ただし、その顔はとても困っている様子だったが。
「スペッキオ、わしが悪かった。機嫌を直してくれんか?」
スペッキオはそっぽを向いて口を利こうともしない。カクなど傍にいない様につかつかとあっちにこっちに足をうごかすのだった。そんな光景がくりひろげられている広間の片隅を見つめる、他のCP9達。
「何かしらあれ……」
「カクの奴、あんな野郎に懐いたのか?」
「きのう二人で派手に遊んでいたそうだ」
「よよい!ありゃあまるで、女房の機嫌をとりむすぼうと奔走する、あ情けねェ亭主の姿じゃあねェ〜かァ〜〜!」
「…………」
「カクはスペッキオの弱点≠からかって怒らせてしまったー。チャパパパ」
全員の視線がフクロウに集まった。そんなふうに見物されていることも気にせず、カクは「もう二度とせん、約束じゃ」と言っては、また顔を背けられていた。ご機嫌取りができるほど彼のことを詳しく知らないので、ひたすら謝りたおすしか思いつく手はないのだが。
「意外とこどもっぽい怒り方をするんじゃのう……」
ボソ、と呟いた瞬間、スペッキオの爪先がくるっと真後ろに方向転換した。急ブレーキだった所為で危うくぶつかりかけたカクだが、持ち前の反射神経で衝突をふせぐ。スペッキオの手が、ポン、とカクの頭にのせられた。かと思えば、探るようにして帽子のツバを掴まれ、無断ではずされる。何をするかと思えば、その帽子はそっと、カクの鼻にひっかけられたのだった。
「おや。こんなところに良いポールハンガーが」
「…………。…………満足したかのう?」
再び口を閉ざしたスペッキオは、そのまま踵を返し、広間を出ていってしまった。カクは帽子を元の位置へもどし、スペッキオが消えた入口を見つめて、ふうっと肩で息をする。それから同僚達が集合しているソファの方へ、山積みの仕事をかかえる中の一服でもしにいく様に近づいていった。
「大変みたいね」
同情しているとは思えない微笑みでカクを迎えるカリファ。カクは彼女の座るソファのひじ掛けに腰をもたれさせた。
「スペッキオの機嫌を損ねてしもうた」
「見ればわかるわ。あなたが悪さをしたのね」
「最初から全面的にわしがわるいと思われるのは心外じゃ」
「あの人は理不尽に怒る人ではないもの」
よく知っておる様じゃのう、とからかい混じりに返したカクに、カリファはティーカップを摘まみあげながら、
「初恋の人だったから」
──と、なんでもないことの様に述べたのだった。優雅に紅茶をすすりつづける彼女に対し、笑いだす者、ぽっと頬を赤らめる者、目を見開いている者、新しいネタを蓄えたとよろこぶ者などさまざまな反応が示される。
「マジか!カリファ、お前、あんな作り話にすぐ振り回されるバカのどこがいいと思ったんだ!?」
と、ジャブラ。
「大人の色っぽさかしら……。それに、完璧すぎるよりすこし抜けてるところがあった方が可愛いわ」
と、カリファ。
「わしにはこどもみたいな人に思えたがのう。油断ならん面もあるが」
と、カク。
「物事に動じることのない人だ。今でも、周りを注意深く見ている様に感じる」
と、ブルーノ。
「………………………」
それらすべてを静かに聴いていたルッチは、終始黙り込んでいた。頭の中でなにか考えをまとめようとするかの様に、じっとしている。それに気づいているのは、肩で見守るハットリのみ。
「それで、あなたが彼をからかったって本当?弱点がなんなのか、知りたいわ」
注目されたカクは、しばらく宙を見上げて思案したあと────
「イヤじゃ」
ちいさく舌をのぞかせた。ブーイングが起こりそうだった気配に、「これ以上つむじを曲げられても困るしのう」と尤もらしい理由を述べたが。実際は、自分だけが知る秘密にしておきたいという思惑が隠されていた。
「チャパパ。カクは長官のチョロさを見越してスペッキオに破損した罪を擦りつけたー」
「それはダメじゃフクロウ!」
この暴露は結局スパンダムにまで伝わり、カクは減給と窓ふき掃除の処分となった。
ところで、スペッキオの弱点≠ニは──────?
『わ、わ、わ』
セント・ポプラの屋根から屋根を風の様に駆けていくカク。その背中に負ぶわれているスペッキオは、ビュンビュンと風を切る音が耳を撫でていくたびにあたふたとカクに縋りついていた。
────視力に頼れないスペッキオは、触れられる確かなものがない『空中』を苦手としていた。鬼ごっこの最終局面、地面までの距離もあいまいなまま動きを拘束されたことで動揺が表にでてしまい、カクに弱点が露呈した次第なのである────。
悪戯心が芽生えたカクは、ふざけて一瞬、スペッキオの脚をつかむ手をパッと手放した。
『い!?』
カクに掴まる必死な腕に力がこもる。再びカクが抱え直した体は、ガチガチにこわばっていた。
『ワハハハ!楽しいのう!』
『ダメだ、これはダメだよ楽しくない!ぜんっぜん楽しくない!な、なァ……放すなよ?絶対にもう放────』
≪ ◎ ≫