彼は、曲者


さて。そろそろではないか、とカクはタイミングを見計らう。いざいざ。突如芽生えた好奇心の行く末や、如何に。

廊下の向こうからやってくるスペッキオに気づいた瞬間、声をかけるでも、ただすれ違うでもなく、黙って脇に身を寄せて壁と同化した(気持ちになった)。壁際に立つだけで隠れたつもりというのは少々お粗末の様にも感じられたが、スペッキオにかぎってはこれでも十分有効といえるだろう。アイマスクで覆われている彼の両の目は、もはや視力を失っているからだ。
────CP9の中で唯一彼と面識のなかったカクは、司令長官補佐官という、実情スパンダムのお世話係にしかなっていないスペッキオという人間に関心をもつ要素など一個もないはずだった。風向きが変わったのは、CP9最強にして実質のリーダーといってもいいロブ・ルッチが、スペッキオに執着しているらしいとわかってから。おや、と思った。司令長官に傅くスペッキオを見るルッチの形相は、ひかえめにいって鬼。獣化もしていないのに、くちびるの端と端からは白い牙のさきが見えてくる様な気さえした。どうやらふたりには過去に因縁があったらしいが、詳しい事は知らない。ただ、カクの知るロブ・ルッチという男は、弱い人間に興味をもつことなどめったになくて。

そんな男が気にしている男のことを、ふと、試してみたくなったのだ。


す、す、とわずかずつ片足をまえへずらしていく。背中に体重を預けることで姿勢の均衡を保つ。古典的な罠だ。低レベルともいう。足を引っかける体勢で、スペッキオの接近を待った。これくらいのことで躓く様では、この先もっと興味をそそられるナニカなど期待し得べくもない。早く来い。まだ来ない。ペンギン科が歩く様なのろさだった。体が多少左右にゆれてしまうおぼつかない足取りで、のっしり、のっしりと。とはいえ、杖なしで歩き回っていること自体には素直に感心してしまう。カクが視界を閉ざして歩くイメージと単純に比較していいものでもないのだろうが、仮に同じ様にできるだろうかと想像してみても、自信は五分五分といったところ。そういえばスペッキオがスパンダムの為にコーヒーを運んでくる姿は、今やエニエス・ロビーの日常の一部といっても差し支えない光景であるが、改めて思うに、あれは凄い技術なのではなかろうか。ついでに付け加えるなら、舌を火傷したスパンダムの口へスペッキオが角砂糖を放り込むという餌付けコントも、外したのを見たことがない。
角砂糖の入ったケースは、スペッキオのトレードマークといえた。(その所為か、彼からは常に甘い匂いが漂っている気がする。)いつも持ち運ばれているそれは、コーヒーの付属品というよりも、火傷の対処の為に用意されている物といった方が正しくなっている。とすると、なんだかスパンダムのドジを待ちわびているみたいだな、と感想が浮かんだ。ころがったカップからなおも立ち上る白いゆらめきは、さすがに熱々が過ぎるのではなかろうか。もしやわざとだったりするのだろうか。特段、どうでもいいのだが。


────パン。


紙風船でも割った様な音に、カクはぎくりとした。目を瞠った先には、すぐ傍で立ち止まるスペッキオの姿。いつのまにこんな近くまで。彼は柏手をうち鳴らしたあと、なぜかその姿勢のまま、じっとそこに立っていた。安定感のなかった両足は、カクの足の数センチ前できれいにそろえられている。長い廊下に二人きり。足音も止んだいま、流れる沈黙に妙な重みが増していく気がして、カクは狭まっていく気管支をひろげる為に喉へ唾液を押しやった。

ぐりん。

と、スペッキオの首が向けられたとき、カクはひ、と小さく悲鳴をこぼしかけた。覆い隠されているはずの目と、目が、合った。気がして────。


「何か、用かい?」
「…………っ」

一時的に亜空間にでも放り出されていた様に、スペッキオの温和な一声で、元の心穏やかなエニエス・ロビーがもどってきたという感覚にとらわれた。温度も、空気の味すらちがって思える。

「……用という程のもんでも、ないんじゃが……」
「ああ。その声は、ええっと──シカクくん?」
「カクじゃ!」
「あっはっはカクくんか」

見つかってしまった。否、見つかってもよかったはずなのだが、はてさて小さな企みには気づかれているのだろうか。気づかれていない、という方が説得力に欠けるが、直接指摘されていないならば自ら明かして咎められにいくこともないのでは。

「さっきの、おおきく手を鳴らしておったんは、何だったんじゃ?」
「これか?」

今度はひかえめにひとつ、鳴らされる。

「空気の振動で、辺りを“見”ているんだよ。振動が返ってくる感じで、とじてるとか、ひらいてるとか、だいたいの形もわかるから」
「……ほゥ。凄いもんじゃのう」

さらっと述べられた凄技に、スペッキオという人物に対する興味がむくむくと膨らみだしていくのがわかった。さきほどの回避が偶然ではなく、常人たりえぬ研ぎ澄まされた感覚によるものだったとしても、今のだけで彼の能力を測ることはできない。いちおう一線を退いたという立場にはあるらしいが、ほんとうにそうなのだろうか?スパンダムを利用して、安穏とした地位を確立しているだけなのではないだろうか?そんな疑念が湧いてくる。カクが黙って考え込んでいるので「どうした?」と首を傾げだすスペッキオ。ふむ、とひとり首肯いて、カクはひらめき顔で両手をぽん、とスペッキオの肩にのせた。

「鬼ごっこじゃ!」
「ん……?」
「鬼ごっこで決まりじゃな、スペッキオ」
「わォ。脈絡わかんない上に押し強めなんだけどこの子〜」


  
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