彼は、沈着


赤子の手をひねる様に──とまでは言わないが、ロブ・ルッチが年相応のこどもに見えたのは、あのときが初めてだった。「あのとき」というのは、彼、スペッキオが特別講師のOBとしてグアンハオへ訪れたときのことだ。


「君達は特別な使命を背負う特別な人間達だけれど、だからこそ、普通≠熨フ験しておかなくちゃならない」

黒板の前で、講師らしく弁舌をふるうスペッキオ。

「特に、人と人とのつながりはね」

さっぱりした表情で話しているが、どうにも内容が頭の中に入ってこない。というのも。

「紛れ込むためという目的もあるし、秘めた恋≠ネんかに気づければ、それは時に拷問に等しい効力を発揮することもある。訓練だけで十分だという人もいるけど、僕はそうは思わないんだなァ〜」
「放せ……ッ!」

────ロブ・ルッチが、後ろ手に結束バンドで拘束され、スペッキオの尻の下敷きになっている所為だ。

ルッチがスペッキオを狙う光景は、ここ最近の恒例になってきている。始まりはスペッキオがやってきた初日。ルッチが指名され、二人の手合わせが行われた。結果はルッチの敗け。スペッキオも腕の骨を折っていたが、今まで病院送りにされ帰ってこなかった相手の多いルッチへの勝利は、島に衝撃をもたらした。
それからというもの、ルッチは復讐心が燃え上がったのか、授業中、食事中、風呂やトイレや就寝時にも構わず暗殺を企てている。(何度襲われても監禁しないあたり、スペッキオという人物も肝が太い)最優秀成績者だった彼の一蹴される姿を無様だと笑う者もいたが、まわりの目や陰口など歯牙にもかけずひたむきに強者の喉笛を狙っていく姿に、今まで感じていた近寄りがたさが取り払われ、親しみを覚えはじめる者もいた。ずっと「あいつは生意気だ」と悪口を言い嫌っていたはずのジャブラも、近頃は倒れたルッチを率先して医務室へ運びに行っている。

ふと、スペッキオと目が合った。ルッチを心配した気持ちを気取られた様で、つい目線が泳ぐ。此処で求められるものは馴れ合いではなく、個人の成果なのだ。

「紛い物ではないつながりが、我々にだってあってもいいと、僕は考えるよ。僕はこの島を出たあとに気がついたんだ。此処はとても“つまらない場所”だったってね」

「………………」

彼は『完成』された諜報部員の様に見受けられたが、一方で細やかなことにも気づき心配りができる、繊細な人間の様にも感じられた。結局、ルッチが彼に勝てることは一度もなかった。






数年が経ち、CP9の任務に、補助としてCP5が駆り出されたことがあった。単純に人手を必要としていたのだ。そのとき、CP5主官は怪我の療養中で不在だった為、代理としてチームを取り仕切っていたのが──スペッキオだった。
顔を見たとき、緊張で手のひらに汗が滲んだ。こちらにはルッチがいる。何かが起こる予感がしてならなかった。二人が顔を合わせる瞬間を、恐るおそる見守っていたが……。ルッチは、わずかに目を瞠り、驚いていた様子だったものの。スペッキオの方は、なんの感慨もないさっぱりした表情で、事務的な言葉を交わすのみだった。その流れに押されたのか、ルッチも普段と変わりない態度で段取りを確認し、あとは直接的な接触もなくただ任務を遂行する。それだけ。去っていくスペッキオの背中を見送り、予感は杞憂だったかと安堵するに至った。……はずだった。

作戦前夜、事故≠ノより、スペッキオが負傷した。

事故というのは、本人の報告によるものだと聞いている。どういった事故なのかは分からない。知らされたとき、彼はすでに病院へ運ばれた後だったからだ。その後この件について詳細な説明が行われることはなかった。目の前の任務が優先されたからである。ひとり欠けたところで問題はない、という判断だった。ただ──……。事故当時、傍にはロブ・ルッチがいた、という噂がまことしやかに囁かれだしていた。あれは事故などではなく、彼がスペッキオを始末しようとして失敗しただけに過ぎない──と。

「あの夜、一緒にいたのか?」

ルッチ本人に、そんなふうに訊いてみたことがある。過去の因縁を知る者であるからこそ尚更、嘘か本当かを確かめることは、大事なことの様に思われた。問われたルッチは、


「あいつの光を奪ったのは────このおれだ」


────……はっきりそう告げると、『笑って』いた。

「この答えで満足か……?ブルーノ」
「…………っ」

それはいつもの不遜な笑みにも思われた。が、表面からは見えない奥にはなにか、もはや燃えるもののない焦土を見渡す様な、底のない寂しさと、煮え滾る様な黒い怒りが感じられた。気にならなかったと言えば嘘になる。しかしこれ以上先へ踏み込む勇気を持つことは、どうしても叶わなかった。






そんなこともありながら現在、二人は同じCP9に属しているのだから、巡り合わせとはよく分からないものだ。


「うげ、またアレだ……よくやるぜ」

任務完遂の報告のために訪れた長官室。先頭で入ったジャブラの視線の先には、スパンダムの手をとり、革手袋をはずしたその指に恭しくキスをするスペッキオの姿があった。彼らは家同士が主従関係の間柄にあるらしい。そしてあれはいつもきまりのように行われている習慣。主人に忠誠を誓う口づけだそうだ。どちらもまんざらではない表情をしているので、ただの形式的なものというわけでもなさそうだった。
隣のルッチを見遣れば、影の差した双眸がじっと一点に釘付けになっている。鉄の板すら貫通しそうな鋭い視線には殺意が漲っていた。──無理もない。スペッキオを強者と認識していた者達は皆、彼の隷属する姿にひどく衝撃を受けたものだ。中でもルッチは、自分に土をつけた相手として深く記憶に刻んでいるはず。情けないとすら形容できる有り様に、怒りだって湧いてしまうことだろう。
それに気づいてなのかどうかはわからないが、ジャブラがにやけ顔でルッチに絡みに来た。

「おいルッチ、お前が昔ボロ負けした相手が道力9に頭下げてやがるぞ?気分はどうだ?」

わざわざ蜂の巣をつつく様な真似を……。無言で答えなかったルッチも、やおら爪先をジャブラへと向け、人獣化し始める。応戦する様にジャブラまで悪魔の実の能力を発現させてしまった。やれやれ。

「今は報告が先だろう、二人共」

入口の騒動に気づいた司令長官が、弾んだ声で我らを室内へ招く。滞りなく任務がおわったことは、すでに電伝虫で伝えてあったからだ。そして、入れ替わる様に、スペッキオが部屋の外へと向かいだす。
──────すれ違うスペッキオは、一ミリだって、こちらを向くことはない。
これはロブ・ルッチがいるときに限っての話だった。ルッチが現れると、スペッキオは途端に黙りこみ、気配を消す様にしてその場を去ろうとする。一方のルッチも、短い一瞥をくれるだけで、声をかけようとまではしなかった。同じチームになった初日からこうだ。接点をつくろうとしない光景は逆に不自然で、両者とも、互いを意識していると告げているも同然である。傷を負わせた者と負わされた者という関係ならば、なんらおかしくはない反応ともいえたが。不思議なことに、今までスペッキオからは『怒り』や『恐怖』といった類いの感情を感じ取れたことがない。

むしろ、ルッチの方が苛立ちを募らせていっている様に感じられるのは、なぜなのか。


  
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