大晦日はさすがにアルバイトもなく、アパートで過ごすことになった私は、とても驚いていた。
なんと本物のなまはげが来たのだ。定番のセリフ、「悪い子はいねが〜!」と大声を張り上げながら。毎年恒例らしく、アパートの古株連中は大喜びをするだけ。私と稲葉、そして大晦日なのにこっちにいてもいいのか心配になる長谷は3人そろってその顔面の恐ろしさに震え上がっていた。
私たちを取り囲んでは頭や体を小突いて来る。そして、一通り通過儀礼が済んだら、今度は大宴会だった。
一年、思い返せばあっという間だった。去年の大晦日は確か一人で家で過ごしていたはずだ。寒さに布団をかぶり、テレビ番組を見ながら年越しそばを作って食べた。母親があの時どこにいたのかは知らない。毎年のことだからだ。あの人と年越ししたことなど数えるほどしかない。
あの時の私は想像すらしてなかっただろう。まさか大晦日をこんなにも大人数で、しかも人間じゃないものも混じって大宴会をしているだなんて。
大きな体のなまはげも交えて、ぎゅうぎゅう詰めになりながら、寒さすらも吹っ飛ばし、飲めや歌えやの大騒ぎだ。
なまはげが一年の厄払いをしてさり、新年がやってきた。
「あけましておめでとー!!今年もよろしく〜!」
大晦日は一瞬にして正月モードに切り替わった。テーブルにはルリ子さん特製のおせちが並べられる。
「おせちって、こういうのなんだ・・・」
私はテーブルの上の重箱を見て呆然とする。テレビや雑誌なんかでは見たことがあったが、作ってくれる人もいなければ、自分で作れるはずもなく、またスーパーなどに買いに行く気も起きず食べたことなどなかった。
それぞれを少しずつお皿にとって、恐る恐る食べてみる。
「あ、美味しい」
「なんだ!?七海はおせちも食べたことねえのか!」
がばっと太い腕が首に回され、隣にどさりと座り大きな影。見上げると、盃片手に陽気に笑う明さんがいた。
「食べたことないですよー。作りかた知らないし」
「で?初めてのおせちの味はどうだ?」
「美味しい・・・」
「そうかそうか!」
「深瀬、まるで親戚のおじさんみたいだよ」
一色さんが呆れたように言う。そんなやりとりを眺めながらもおせちを食べ進める。さっき水炊きをいくらでも食べたというのに、まだお腹には余裕があるらしい。さすがルリ子さんのご飯。
「そうだ!これ、飲んでみろ!」
相変わらず明さんの腕が首に回されたまま、目の前にお猪口をぐいっと押し付けられる。その中にはなみなみ入った日本酒。お屠蘇だ。
「明さーん。私一応未成年だけど?」
「今日は元旦だぜ?そんなの関係ねえよ!ほら!」
押し付けられたお屠蘇を覗き込む。透明な液体でありながら、お酒特有の匂いが鼻をかすめる。どうしようか迷ったが、元旦だし、無礼講だ。使い方は違うけど。
私はお猪口を持ち、そっと口付けた。一口だけ飲み込んでみる。喉の奥が一気に熱くなる。
「うっわっ、きつ」
「がっはっはっは!お前にはまだ早いか!」
大口をあけて笑う明さんの隣で、私はもう一口飲んでみる。確かに喉の奥は熱くなるのだが、意外とおいしい?これを美味しいといえばいいのかはわからないが、嫌いではない味だった。
さらにちびちびと飲む私を見て、明さんは面白いものを見るように様子を見守っている。
「おや、意外といける口みたいだネ」
「うん。思ったより、飲める、かも?」
それを聞くや否や、大人組はいろいろな酒を持ち出してきて代わる代わるそそぎ始めた。
それをやっぱりちびちび飲みながら、日本酒は日本酒でも味が違うものなんだなあと感心する。
向かい側では稲葉も長谷も飲まされていた。長谷はもともと飲んだことがあるらしく、慣れた手つきで飲んでいる。稲葉は恐る恐るって言う感じだ。
「じゃじゃーん!この日のためにとっておいた大吟醸もあけちゃうよー!」
どこからともなく詩人の手によって取り出された大吟醸に、大人たちは拍手喝采。おせちをつまみに大吟醸を空けて行く。
「あ、これが一番好き」
「七海ちゃん、わかってるネエ!」
「私、甘いのより、辛いほうが好きかな」
「酒飲みだな!」
明さんが楽しそうに笑った。
「なんか、親戚とか一族で集まったみたい」
「そういや、田中は正月はどうしてたんだ?」
「大概、一人で年越しだったかなあ。自分でそば作って、紅白だけ見て、それで眠るって感じ。去年はやっとバイトができる歳だったから神社の巫女さんのバイトしてたなあ」
「巫女ってことは巫女装束してたのか?」
「うん。あれ、元旦の仕事だから結構給料いいんだよね」
「七海ちゃんはいろんなアルバイトやってるねえ」
「稼げる時に稼がないと」
「お前、そんなに稼いでどうするんだ?」
明さんに不思議そうに言われ私はうーんと考え込む。
「なんかあった時のため、かなあ。今まで生きてきて、お金がないことが一番立ちいかなくなることだって学んだから。日本だったら、お金があったらコンビニとかでもなんでも買えるし。飢えが一番辛かったもん」
「飢えって・・・」
「いやいや。本気で。あれは、私がまだ小学校に行ってないから年長さんの時かなあ?母親が予期せず帰ってこなくて、家に食べ物も何もなくてとりあえず2日待ってみたんだけど帰ってこなかったときがあったんだよね」
お猪口を口に運ぶ。自分で喋って起きながら、こんな話を元旦からするものじゃないよなあって思いながらも私の口は止まらなかった。たぶん酔っ払っているんだろう。
「それで空腹も限界で家の中探してもお金もないし、でも食べ物もないし、このままだったら飢え死にするって思って初めて自分で家を出たの。それで食べるもの探してさまよってたんだけど、すでに2、3日は食べてなかったからふらふらで、途中であまりの空腹に動けなくなったんだよねえ。そこに、なお君が通りがかって助けてくれたんだよ」
「その頃の千晶っていうと・・・」
「まだ大学生だったかな」
「へえ!」
私の話を聞いていた長谷や明さん一色さんは噂の千晶先生の話におおっと声をあげた。
「で、うずくまっている理由が怪我じゃなくて空腹だってわかったら食べ物奢ってくれて、あれが初めてのファミレスだった」
うんうんと頷きながら再び酒を口に運ぶ。横から明さんが酒を注いでくるのを甘んじて受け入れる。
「で、家まで送ってくれたんだけど、家には誰もいないし親が帰ってくるまでいるって言って聞かないから、しょうがなく帰ってこないことを説明したらなお君すっごい怒っちゃって・・・。なだめるの大変だったなあ。そのあとはなんだかんだすっごい面倒みてもらって、いろいろ遊びにも行ったんだよ」
「へえ・・・。改めて思うけど、田中の人生って波乱万丈だな」
「波乱万丈かはわからないけど。なお君と会ってからは楽しかった。なお君の友達とかも一緒に遊んだし」
「へえ。千晶の遊びねえ。どういうのやったんだ?」
「うーん。乗馬とか?」
「乗馬!?」
「馬って大きいじゃん?子供の時だとそれはもう大きいのがせまってくるんだよ。怖すぎて怯える私をなお君が抱き上げてくれるんだけど、まあ、言っても馬より大きいわけじゃないじゃん。っていうかむしろ顔が近くなったし、しかも洋服の裾を食べてくるんだよ。あの時は怖すぎてギャン泣きしたね」
馬の大きな口と荒い鼻息が怖くて怖くて仕方がないのになお君は大丈夫としか言わないし、他のみんなは怖がっている私を見てめちゃくちゃ笑っているしであの時は恨んでやろうって本気で思ったものだ。
「長谷も乗馬とかできそうだよね」
「ああ。できるぞ」
「長谷の家って金持ちなんでしょ。親戚とかで集まったりしないの?」
「いや。そもそも親父は若い時に本家を出ているから集まりに参加しようとしないしな。それに、行っても分家はまともな扱いをされないものなんだ。4、5部屋離れたところにいるじじいの話を聞くだけ。こんな豆粒みたいなんだぞ?泊まる部屋も一番端!面倒臭いったらありゃしない」
「へえ。まるで華族だネ」
「そんないいものじゃないですよ」
長谷は苦笑しながら言った。4、5部屋離れたというが、そもそも4、5部屋繋げられる家もすごいと思うのだ。私では想像もつかないような大豪邸なのだろうなあと思いながら、さらにお酒を飲み進めて行く。
そのあとも宴会は続き、たまに真面目な話をしたり、切ない話をしたり、大人たちの経験したことやお腹を抱えて笑えるような話をして夜を明かしていった。
そのうち一人二人と部屋にはいなくなり、いつのまにか稲葉もいなくなっていた。それでも明さんと一色さんは飲むペースを落とさない。飲み会をするときはいつもこの二人が最後までやっているのだ。
二人は雪見障子のところに並んで、夜の雪を眺めながら静かに飲んでいた。私は少しだけ眠ってしまっていたらしい。
肩を並べ、二人が見る先には雪以外にも、この世のものじゃないものがふよふよと浮いていたり、庭を横切ったりしている。
「おや、起きたのかい?」
不意に一色さんが振り返った。本当に酔わない人だなあと思いながらも頷く。いつのまにか肩に毛布がかけられている。誰がかけてくれたんだろうと思いながら、毛布の前を合わせぶるりと背中を震わせた。
「こっちくるか?」
明さんが隣をとんとんと叩いて呼ぶので、お言葉に甘えることにする。毛布のすそをずるずると引きずりながら歩くも、お酒が回っているのかふわふわとしていて足元がどこかおぼつかない。
「飲みすぎた・・・」
「初めてにしちゃあ、最後まで残ってたなあ」
「稲葉は?」
「トイレだよ。ながーいね」
稲葉もだいぶ飲まされていたのを思い出す。トイレに行ったあと戻ってこないのならば廊下で倒れているかもしれない。
明さんの隣に膝を抱えて座り、再び毛布にくるまる。明さんが再び酒を勧めてくるはさすがに断り私も雪見障子から外を眺めた。
今日あったことをうつらうつらと思い出しながら、なんかいろいろと語った気がするなあと思い羞恥心が湧き上がる。
「こんな、なんか楽しい正月って初めてだから・・・、いろいろしゃべりすぎた気がする」
「いいじゃないの。自分を押さえ込まなくったっていいんだよ。七海ちゃん。甘えちゃえばいいんだよ。深瀬とかね」
「俺か?」
明さんが首をかしげるのを一色さんが喉の奥で笑いながら頷く。
「なんだかんだ、一番構いに行ってるのは深瀬でしょう」
「そうか?」
「君ら見てると、親子みたいだよ」
「明さんがお父さんとか最高じゃん」
「もれなくシガーも付いてくるしネ」
「それ一番重要かも!」
「おいおい。嫁もいないのにいきなり高校生の子持ちかあ?」
「じゃあ私と結婚する?」
「俺はロリコンじゃねえ」
ぱしっと平手で頭を叩かれる。でも、本当に明さんと結婚したら幸せな家庭になりそうだ。たぶんしょっちゅう放浪していなくなるんだろうけれど、たくさん土産話をもって帰ってきてくれるのだろう。素気無く断られてしまったけれど。いつでもシガーをもふもふできる環境はなんとも魅力的だ。
ふわっとあくびが漏れた。そろそろ寝ようかと考えるが、ここを去ってしまうのはなんだか寂しい。そう思った私はのそりと明さんがあぐらをかく膝に頭を乗せた。
「明さんの膝、お借りしまーす」
そんなことができたのも、たぶんお酒に酔ってたからなんだろう。それから私は明さんが抵抗する暇も与えずに眠りに落ちてしまった。
※未成年の飲酒は禁止されております!未成年の飲酒を推奨するものではありません。ご了承ください。