起きて見ると、私は居間で布団をかけられ寝かされていた。周りに大人たちの姿もなく、静かだった。元旦のはずなのにどこに行ったんだろうと眠気まなこで周りを見回す。少し胃がむかむかするが、二日酔いはなさそうだった。
あんなにもお酒を飲んだのに、意外と大丈夫なものだ。お酒は二十歳からだからみんなは真似しないように!
とりあえず身支度を整え、リビングに行って見るとルリ子さんが、みんなは滝場に作られた大雪原へ行ったと伝えられた。
また、大家さんがどこともしれない場所へ空間をつなげたらしい。本年もブレずにこの屋敷は妖怪アパートとして遂行するようだ。もう、今更驚くこともない。
昼食用に作られたらしい寒ブリをのんびりといただく。元旦からとても美味しい料理にありつけてとても幸せだ。
一通り満足した後、防寒具を着込んで大雪原へ繰り出した。
といっても、浴場を通り過ぎて滝場の隣に開けられた穴をくぐるだけだが。
穴をくぐってみて私は唖然とした。大雪原と言われ、なんとなくでしか思い描けていなかった景色。しかし、目の前にはその想像をはるかに超えた世界が広がっていた。三百六十度、真っ白な雪景色。ともすれば遠近感が狂ってしまいそうだ。地平線がはるか遠くにも思えるし、すぐそこにあるようにも思える。
わずかに黒い裸の木がぽつぽつと立っているが、もしこのまままっすぐ進んでしまったら、背後にある滝場へ繋がる穴なんてすぐに見失ってしまいそうだ。
そんな穴のすぐ脇になぜか立派なかまくらがある。中からはやんややんやと騒いでいる声がしていることから、みんなはそこにいるのだろう。
中に入ろうかと思ったけれど、私は思わず足を踏み出していた。雪の中をずぼずぼと歩いていく。歩くたびに踏み固められていく雪がギュ、ギュ、と音を立てる。埋まる足首が冷えてくるし、むき出しの頬も冷たく、ちょっと水があっただけですぐに凍ってしまいそうだ。冷たい風が吹き抜けていく。しばらく歩くと、人型に凹んだ雪があって、きっと稲葉たちだろうと思った。その先には犬の足跡が入り乱れている。これはシガーだ。シロも混じっているのだろうか。
人型の隣に私も後ろから倒れ込んで見る。雪は衝撃を吸収し、私は灰色の空を見上げた。雲の位置が低いのかもしれない。空がとても近く感じた。こうしているとまるで世界に一人だけになってしまったみたいだ。背中から冷たさが浸透してくる。ずっとこうして倒れていると、きっと凍傷になってしまうのだろう。この世界は生き物に厳しい世界だ。
全身で雪の冷たさや吹き抜ける風の音を感じていると、突然、ハッハッという荒い息遣いが聞こえたかと思えば横から突如として灰色の影が私の上に降り立った。私を押さえつけるように胸元に大きな前足を乗せたのはシガーだ。目があったと思った瞬間シガーに顔を舐めまわされる。冷えた頬には、シガーの舌はとても熱い。
「うわっ!シガー!ちょ、待ったっ!わわああっ」
「わっはっはっはっ!やれ!シガー!」
「ぎゃはははっ田中がシガーに襲われてる!」
前足でマウントポジションを取られているためなかなか起き上がれず、私はシガーにべとべとにされるまで舐めまわされた。なんとかシガーの下から抜け出したころには暴れまわったおかげで冷え切った体に熱が戻っている。
「もーっ!シガー!べとべとじゃん!」
「お前がそんなところで黄昏てるのが悪いな」
明さんがしたり顔でそんなことをいうものだからぶすりと膨れっ面になる。
「田中!早くこないとお前の分も鍋食っちまうぞ!」
「鍋!?」
「ああ、とっておきの鍋だぜ?」
にやりと笑う明さんに私はすぐに立ち上がった。
「待って待って!私も食べる!」
できる限りの駆け足でかまくらに戻る。シガーは私の横を軽やかに跳ねている。くそう、なんでそんなに元気なんだ。
「あ!そうだ。明さん!」
前を歩いていた明さんが振り返った。
「昨日、っていうか今朝?膝、借りちゃってごめんなさい。その、だいぶ酔ってたっていうか・・・あの・・・」
「ほう、お前記憶はちゃんとあるのか」
「悲しいことにばっちり」
忘れていられたならどんなにいいだろう。今朝の私、なぜ膝枕をしてもらったよ。今更ながら羞恥心が湧き上がってくる。
「酒強いな。今までにも飲んだことあったのか?」
「まさかー。そもそも未成年じゃお酒買えないし」
「そりゃそうか。お前は小学生に見えるもんな」
「小っ!?高校生です!」
「成人してもそのままなんだろうな」
「そんなことないですよ!成人するころにはばっちりちゃんと年相応の見た目に・・・」
ぐぬぬと唸る。自分で二十歳の頃を想像して見るがとても二十歳に見える外見になっているとは思えなかった。昔の写真を見ても、私は身長や体つきが変わっても顔はまったく変わっていないのだ。恐ろしいことに。二十歳になってもこのままである可能性は捨てきれない。
「いいじゃねえか。まだランドセルが背負えるぜ?」
「それ、もうただのコスプレじゃん!絶対に無理だって!」
「いいや。今時の小学生はガキっぽくねえからなあ。お前の方が年下に見えるんじゃないか?」
「ひっどっ!」
そんなじゃれあいをしながら入ったかまくらは、思ったよりも広く、しかも想像よりずっと暖かかった。階段があったり、トイレやベッドルームまで作られており、大人の本気の遊びを垣間見た瞬間だった。
敷物やテーブル、こたつぶとんが持ち込まれており、その中に入ってしまえばお尻も冷たくはない。
そして、全員でテーブルを囲ったところで鍋の登場だ。
コンロの上に置かれた鍋の蓋を開けると、なんともいい出汁の香りがかまくら中に広がった。しかし、中を見て見ると鍋いっぱいに大きな白い塊があった。
「モチ!?」
「聖護院大根ですね」
白い塊は大根だったらしい。こんなに大きな大根があるのだと初めて知った。
「これは前菜よ。だからこれだけ、なんだって。昆布とグジの出汁でたーっぷり煮込んであるから、ほら!」
切り分けられた大根に柚味噌がちょっと乗せられ渡される。それを食べるとジュワと大根から出汁が染み出し、大根は柔らかすぎて溶けていくようだった。本当に美味しい。
「さて、メインは残ったお出汁でグジ鍋でーす」
大鍋いっぱいに具材を入れ、グジ(甘鯛)の切り身をしゃぶしゃぶ風にして食べる。広いかまくらといえど、人数が人数であるためぎゅうぎゅうだ。ちょっと動いただけで足と足、肩と肩がぶつかるような状態で食べる鍋は格別に美味しかった。
大人たちは昨日あんなに飲んだっていうのにまた酒を飲み始め、明さんは私に勧めてくるが、今回はそれを遠慮させてもらう。だって体にまだお酒が残っているような気がするし。それよりもご飯が食べたい。
ワイワイやっているとかまくらの入り口からひょこっと黒い影が現れた。
「やあ、また楽しそうなことをやってるねえ」
「龍さん!」
「オー!久しぶり!」
「あけましておめでとう!」
「おめでとー!」
龍さんの場所をあけるためにもはや折り重なるようにして詰め、龍さんを迎え入れる。
「では私もお土産を」
龍さんが取り出した酒瓶のラベルにはでかでかと魔王と書かれている。
「あんたにぴったりだよ!」
全員大爆笑して、再び鍋を囲った。
龍さんが加わったことで、最近の学校についての話になり、その流れでなお君の話題になった。
私がなお君と知り合いだったことにも驚かれた。
「なんで教師になったんだろうって、すんげえ不思議っす。あ、田中は千晶がなんで教師になったのか知ってんのか?」
「うーん・・・、まあねえ。いろいろあったんだよ。縁だよ。稲葉。縁があったんだよ」
「なに一色さんみたいなこと言ってんだよ」
じと目で睨んでくる稲葉に苦笑する。
「なお君に聞いてみたらいいよ。私も正確なことは知らないし」
「だって、田中も思うだろ?もし千晶が歌手になってたら・・・スーパースター間違いなしかも」
「明さん似のスーパースターねえ」
龍さんが明さんをみながら呟く。確かになお君と明さんの雰囲気は似ているかもしれない。
「多分、一種の『異能者』だね」
龍さんいわく、普段の姿とはかけ離れた天才的な、精進的な者にモードチェンジできる力を持っているものを異能者というらしい。
でも、異能者だからといって、望んでいる力なわけではない。能力は選べないからだ。他者からみたら羨ましいだけだろうが、意に沿わない本人からしたらその異能力は邪魔なだけ、という具合なのだろう、と龍さんが語る。でも、天才はやはり滲み出るオーラが違うように、普通にしていてもわかってしまうものなのだ。それに周りは惹かれていく。
「人は強い力に惹かれるからね。それがなんなのかわからなくても、確かな力がそこにあるというだけで、人は惹きつけられるんだ」
「“業”だよネー。いい異能に惹かれるならいいんだけどネー」
異能といってもさまざまあり、それがいい風に発揮されるのならいいが、悪いように発揮されてしまえばカルト集団の完成だ。悪質な宗教団体になってしまいかねない。つまり力も使う人間によるということだ。
やっぱり一番怖いのは生きてる人間なんだなあと噛み締めた。