(※女の子の日についての描写が入ります。苦手な方は次のページへ進むことをお勧めいたします。)
無事に稲葉へのカミングアウトも終え、同時にアパートの面々にも私となお君が元から顔見知りだったことが知れ渡った。
その日も普通に授業を受けて、普通に過ごしていたときだった。
それは突然やって来た。ツキン、と内臓を鋭い針で突いたかのような痛みに、顔を引きつらせる。授業が終了すると同時にカバンに常に入っているポーチと一緒にトイレへ駆け込んだ。
そして、ポーチを開けて愕然とする。
ポーチに入れいてるはずの薬がなかった。しかし、下腹部に走る痛みは酷くなる一方。そう、アレがやってきたのだ。女特有の月に一度はやってくるアレである。実は、妖怪アパートに居を移してから、まったく来ていなかったアレ。来ていないことを自覚したのは随分経ってからだったが、楽だから別に良いやとほとんど気にしていなかった。それよりも、母親の失踪から始まり、家がなくなり稲葉のアパートに転がりこんだり、妖怪や幽霊がいたり、自分には守護霊がついていると言われたり、というのに慣れるのに必死でそんなこと頭の中からすっぽり抜けてしまっていたのだ。
そうして気付けばすでに妖怪アパートに移ってから約半年が経過していた。つまり、その間、一回も来ていなかったのである。ということは今までの分も取り返すような勢いで活動するのだ。
さあっと血の気が引いたのは何もアレのせいだけではなかった。
とにかく、ナプキンだけ持っていたため助かった。
私は毎回アレの時には必ず1日目が一番ひどい。痛みで失神するぐらいだ。なので毎回かかさず痛み止めを持ち歩いているのだ。しかし、前回のアレの時に使い切ったのをすっかり忘れていた。それもこれもあの母親のせいだと逆恨みをしつつ、早急に対策を立てなければならない。
トイレの個室に篭りながら、冷や汗をダラダラと流す。
そうやって考えを巡らせている間にも腰は重くなり、下腹部に鈍痛が走る。
このままでは、痛みがひどくなり本当にトイレから一歩も動けなくなってしまう。保健室に行けば痛みどめくらいはあるかもしれない。
保健室はこのトイレの場所から少し離れたところにある階段を降りて、廊下を少し歩く。つまり、今の状態で歩くには遠い距離だ。
しかし、行くしかない。
意を決し、壁伝いでトイレから這い出る。よろよろとしている私を他クラスの生徒が不審そうに見ている中、私は数歩歩いたところで力尽きた。痛みの波が襲って来たのだ。お腹を抱えてうずくまる。周りの生徒がざわついているのがわかったが、それどころではない。音さえも遠のくなか、先ほどとは違う冷や汗がどっと流れ出て来ていた。これはまずい。このままいけば脱水もプラスされてしまう。しかも、これは本格的に痛くなりますよの合図だ。
なんとかしなければと考えなければならないはずなのに、痛みで思考がまとまるはずもなく、壁に寄りかかり膝を抱えるようにしてうずくまっていると、力強く肩を引かれた。
無理やり顔を上げさせられる。目の前には険しい顔をしたなお君がいた。その周りには、クラスメートが心配そうに私を見ている。
「田中!どうした!?」
「ふっ・・・な・・・くっ・・・」
なお君と呼びたくてもままならず、本能に従ってなお君のシャツを掴みすがりつく。その瞬間また走った痛みに、うめき声をあげる。
「ほけん、しつっ」
「ああ、今連れ行く」
保健室に行きたいというのが伝わったのかどうか。なお君は素早く私を抱き上げると、野次馬化していた生徒をかき分け、保健室へと連れて行ってくれた。
保健室に運ばれた私。養護教諭は痛みに呻く私にとても驚いていた。早急にベッドに寝かされ触診しようとしているが、私は素早く先生に耳を寄せるように伝える。ちょうど、痛みの波が収まった瞬間だったからよかった。
養護教諭に生理痛であることを伝え、痛み止めが欲しいと言うよ、先生はやっと納得したように私を見て、そのあと苦笑を浮かべた。
「そこまでになる前に、もっと早くきなさいよ」
「うっ、すみません・・・」
「先生?田中は。救急車は呼ばなくていいんですか?」
「ああ、大丈夫大丈夫。痛み止めを飲んだらすぐに治るわ」
「でもっ!」
「ただの月経ですよ」
「ああっ!先生!!」
あっさりバラしてくれた養護教諭に避難の声をあげる。そんな私の声を無視して、養護教諭は薬品が入っている棚の中を漁りだした。
なお君はというと唖然としていた。
「月経ってことは、生理痛か」
「ううっ、なお君には知られたくなかった・・・」
察して欲しい。そして、声には出さないで欲しい。いたたまれないから。とか言っている間に、再び激痛の波が襲って来て腹部を抱えて身悶える。
「はいはい。ありましたよー」
養護教諭がお馴染みの薬と水をコップに入れて持って来てくれた。それを受け取り、なんとか飲み下す。
「これでもう大丈夫ですから。千晶先生は戻ってくださって大丈夫ですよ」
「はあ・・・。わかりました。田中とりあえず次の時間は休め。後で様子を見にくるから」
「うん。ご迷惑おかけしました・・・」
謝罪した私になお君は頭をひと撫でして出て行った。そのあとも痛みと戦うこと數十分。
授業が終わるころにはすっかり回復して暇を持て余していた私は養護教諭とおしゃべりをしていた。だって、途中から授業復帰とかしたくないし。ノートは後で貴子たちの誰かに見せてもらえばいいだろう。
養護教諭は推定40代後半の女性だ。名前は初めて知ったのだが、仁王先生というらしい。保健室を利用することも初めてだったのだ。知らないはずである。仁王先生は旦那さんもお子さんもいるらしい。お子さんは中学生だそうだ。
「千晶先生って素敵よねえ。私旦那にお姫様抱っこなんてされたことないわ」
うっとりしながら、そういう仁王先生は、私が抱きついても手が後ろで繋がらないぐらいふくよかだ。旦那さんがどのような人かは知らないが、お姫様抱っこなんて腕と腰に負担がかかる技をこの先生相手にできるとは思えなかった。いくらなお君でも無理だろう。
「若い頃とかにしてもらわなかったの?」
「うちの旦那、私よりひ弱なのよ。前に腕相撲したらあっさり勝っちゃったわ」
快活に笑う先生に、顔を引きつらせる。
「よかったじゃない。人気の千晶先生にお姫様抱っこされて」
「そんなの堪能してる暇もないよ」
「毎回そんなに重いの?」
「うん。だいたいは。しかも、半年ぐらい来てなかったから、今回は重いと思う」
「半年って、そんなに空くならちゃんと婦人科にいかなきゃだめよ」
「だって、忘れてたんだもん。いろいろと環境の変化がめまぐるしくって」
「最近何かあったの?」
窓の外を見ると体育の授業中の生徒がちらほらと見えた。体操服の白が太陽に反射して光っているように見える。
「いろいろ。引っ越したり、担任の先生が変わったり?」
「そう」
「文化祭も終わっちゃったし・・・」
「次のイベントは、期末試験かあ」
「うっわ、それ言わないようにしたのに!」
「学生の本分ねえ。といっても、社会人になってからも勉強勉強よ」
「えー。そうなの?」
「そうよ〜。やれ資格だ、試験だ、研修だってね」
「それは嫌だなあ。先生もまだ勉強することあるの?」
「当たり前じゃ無い。医学は日々進化して行っているからね。教員方だって、研修とか講習に行ったりしてるでしょう」
確かに思い当たるところはある。たまに講習だかなんだかに行かなければならないため授業が休講になったりするのだ。あまりよく考えていなかったが、なるほど、勉強をしに行っていたのか。社会人も勉強からは逃れられないらしい。
「でも、高校での勉強は高校でしかできないわ」
「そんなことないでしょ。教科書とかあったらできるじゃん」
「あら。じゃあ、今から小学校の勉強をもう一回やり直そうと思うの?」
「嫌だ」
「そういうことよ」
おほほほと朗らかに笑い声を上げながら仁王先生はパソコンに向き直った。何をしているのか聞いたら、保健だよりを作っているのだとか。そんなことも仕事のうちなんだなあと驚く。
「先生やってるのって楽しい?」
「私ね、小学校の頃、毎日のように怪我をしてたのよ。遊んでは転んで膝こぞうにかさぶたが絶えなかったわ。毎回泣きながら保健室に駆け込んで、気づいたら保健室の先生に名前を覚えられてたの。あら、また転んだの仁王さん。ってね」
「やんちゃだったんだ?」
「運動神経が悪かったのよ。動きたいのに足がついて行かなくて転ぶの。その時、保健室の先生に優しくしてもらったから、私はこの仕事を目指したわ。それを今やれているんだもの。やりがいはあるわよ」
仁王先生は決して楽しいとは言わなかった。楽しいばかりではないのだろう。でも、やりたいことだったから、やりがいを感じている。
再びパソコンのキーボードを叩きだした仁王先生を横目に見ながら、私はぼうっとしてその時間を過ごした。
「本当に顔色も戻ったな」
休み時間になり、保健室に入って来たなお君の第一声がそれだった。
「薬を飲めば、ね」
「なんともなくて良かったよ」
「常備薬の常備は忘れないようにします」
「ぜひそうしてくれ」
殊勝にうなだれてみせると、なお君は鷹揚に頷いた。
教室に戻ってからも大変だった。私が運ばれたことは例によって貴子の情報能力により知れ渡っており、教室に帰って来た途端心配され、原因はなんだったのかを聞かれまくり、まさか生理痛ですなんて言えるわけもないので適当にごまかしにごまかさなければならない1日だった。
「お前、本当に大丈夫なのか?」
家に帰り着き、ぐったりする私に稲葉が心配してくれる。その様子をみて首をかしげる他の面々に、稲葉が今日あった出来事を話して聞かせるものだから他の人たちにまで心配されてしまうのがなんとも居た堪れない。
「大丈夫だよう。前にも言ったじゃん。生理痛、私めちゃくちゃ重いんだって」
種明かしをすると、稲葉はきょとんとした後顔を真っ赤に染めた。初心な反応にこちらがきょとんとしてしまう。
「なるほどねえ。にしても、動けなくなるほどなんて、本当に重いんだネ」
「そうなんですよー。しかも今回は痛み止めも買い忘れてたんで、失敗でした・・・」
「う、動けなくなるほど痛いってどんだけだよ。みんなそうなるのか?」
「まさか。人それぞれだよ。まったく痛まない人もいるみたいだし」
「女って大変だな・・・」
神妙に呟いた稲葉に大人組と一緒になって笑った。