貴子たちへの説明も無事に終わった。稲葉と同じアパートに住んでいると言うと、行ってみたいと迫られた。それをかわすのになんとも苦労したのだが、ひと段落ついたので良しとした。


そして次の日の昼休み。いつものメンツで机を囲んでご飯を食べている時だった。


再び現れたのだ。爆弾を爆弾と知らずに抱えた青木センセーが。


教室に現れた時、また厄介なのが来たなと思った。思わず顔をしかめた私と同じく、稲葉も顔をしかめていた。


「あ、田中さん」


私かー、と思いっきりため息をつきたいのを堪えた代わりに、顔が険しくなったのがわかった。稲葉は私に同情の眼差しをむけるが、同情するなら変わってほしいところだ。


「田中さんにも、これをと思って」


差し出されたのは比較的綺麗な英和辞典だった。あれで懲りてなかったのか。というか、“おうちに問題がある生徒”全員に自分の私物を配って回っているのだろうか。それなんて慈善事業?


「田中さん、確かあまり英語が得意じゃなかったと思って、私が使っているものだけどぜひ勉強に役立てて欲しいの」


悪かったな。英語苦手で。吹き出した貴子たちを睨みつける。


「アルバイトも大変でしょうけど、学生の本分である勉強も疎かにしてはダメよ。それと昨日、田代さんにも言ったけれど、クラスメイトのことは今からさん付けで呼びましょうね。呼び捨てなんて持っての他です。それが社会の常識ですよ」


どうやら直前にしていた会話をしっかり聞かれていたらしい。


「ご心配なく。先生にそんなに心配していただく必要はありませんよ」

「いいえ。田中さんはご両親もいらっしゃらず、たった一人で暮らしているんです。寂しいでしょうし、心細い時もあるでしょう。心配するのは当たり前です。お母様はきっと何か事情があっただけよ。貴女が立派に生きていたら、きっと戻ってきてくださるわ」


事情って、男と借金作って駆け落ちですが。あと、アパートにはあなたよりずっと経験豊富な人たちがいます。ついでに稲葉も。


「みんな、これを依怙贔屓なんて思わないでね。田中さんと稲葉くんは特別なのよ。みんなもわかってくれるわよね。ハンデのないみんなは、二人を応援してあげましょうね。ハンデがあって大変だと思うけれど、お友達みんながいるから、田中さんだって頑張れるわよね」


思わずぴくりと反応してしまったのはしょうがないことだと思う。さらに顔をひきつらせる私に対し、青木はとてもとてもいい笑顔だ。


「私のこと、お母様と同じように思って、いろいろ相談してね。大丈夫。田中さんは一人じゃないわ」


ぷっつんと何かが切れたのがわかった。


気づいた時には、私は近くにあった椅子を蹴り倒していた。


教室がシンと静まり返る。


「あの、ペラペラ、ペラペラ、人んちの事情喋らないでもらえませんか?教師って守秘義務とかないんですか。あと、ハンデとか言うけど、ハンデってなんですか。教師であるあんたがそーいう線引きしちゃうんですか?両親揃ってれば幸福ですか。両親いなければ不幸な人生ですか。他人に決められたくないんで、そういう線引きやめてもらえませんか。あと、昨日も思いましたけど、相談する相手は自分で決められるんで。あんたらが子供を見る仕事だっていうなら、こっちだって大人のことよくみてるんですよ。誰が自分を本当に助けてくれそうか、“ちゃんとした”アドバイスをくれそうかぐらい判断できるんで。あまりガキ扱いされるのも不愉快です。あと、気をつかってもらったようで申し訳ありませんが、英和辞典はすでに持っているのでいりません」


だあああっと一息で言い切って、私はだいぶ満足したかとおもえば、そうでもない。


なぜなら青木はことさら微笑んで見せたのだ。


「田中さん。椅子を倒しちゃだめでしょう。使っている子が可哀想だわ。謝りなさい」


あんた話聞いてた?と思った瞬間だった。


「・・・・桂木さーん、椅子倒したー。ごめんねー」

「お、おお・・・・」


教室の端の方で男子で固まっていた桂木を見つけ、適当な態度だったけれどとりあえず謝ってみせる。


「じゃあ、気分悪いんでこれで失礼シマス」

「田中さん。まだ話は終わってませんよ」

「お花つみに行って来まーす」


適当に言い訳して教室を抜け出した。


私は気持ち早足でなお君がいるであろう生徒指導室へ向かった。勢いよく扉を開くと、中にいた面々が驚きの声をあげた。


「あ・・・」

「田中?どうした?」

「あー・・・、お客さんいたんだね。だったら・・・、いいや」

「田中?」


中にいた男子3人は顔を見合わせた。


「いやいや、俺ら喋りに来てただけだし。千晶ちゃんになんか話あったんだったら、俺らが出てくよ」

「うええっ、いや、あのっ、ただ、愚痴りたかったっていうか、鬱憤が溜まって爆発しそうだったから発散しかったっていうか、それだけなんで・・・。その、大丈夫デス!」


上履きの色から同級生だとわかったけれど、見知らぬ男子3人組にすっかり恐縮した私はそのまま退散しようとしたが、なぜかそのうちの一人に捕まりあれよあれよと中に入れられた。


「あ、俺らいない方がいいよな」

「いやいやいやいや!あのっ、本当に!愚痴りたかっただけでっ!いてもらっても、っていうかあのっ」

「とりあえず田中は落ち着け。お前が駆け込んでくるなんてよっぽどだろう。何があったんだ?」

「あー・・・、その。えっと、とりあえず、報告。あの、ちょっと昼休みプッツンしちゃって、椅子蹴り倒しちゃって・・・」

「はあ?」


その時、私はみた。目の前の男子3人の眼が興味に輝いたことを。


「え、なになに。大人しそうに見えてたけど、意外とアグレッシブ?」

「いやいや!あの、普段は大人しくしてるんだけど・・・。その、先生ごめん!もしかしたら、青木に何か言われるかも!」


なお君に両手を合わせて謝罪する。冷静に考えるとそうだ。あの行動は本当によくなかった。口で言い返すだけならまだしも、椅子を蹴り飛ばすとか。今思うとなんとも恥ずかしくなってくる。絶対に、アパートの大人たちに青春だねえって笑われる!


「青木“先生”な。にしても、昨日じゃなかったか?我慢するとか言ってただろう」

「だってさー。青木センセーがあんまりだったんだもん。親切心とかのレベルを超えてるっていうか、あれ、むしろ善意じゃなくてなんか私に恨みでもあるの?って感じだよ。最初はさ、私の英語の成績があんまりよくないからっていって、英和辞典持って来たの。でも、それは昨日も稲葉にあったし、私にもかよとか思ったけど、まあ良いよ」

「あ、俺ら聞いててもいい話?」


ちょっと気まずそうに男子の一人が言った。私が話し出すと思ったから聞いてくれたんだろう。私は少し考えてから頷いた。相談とかお叱りを受けていたとかいう感じじゃなかったところをみると、純粋になお君と喋りに来たんだろう。だとしたら、私の事情で追い出してしまうなんて申し訳ない。


「あ、俺ら普通科の井川飛鳥です」

「同じく普通科で倉田亮っす」

「同じく槇幸司」

「あっ、えっと、商業科で千晶先生のクラスの田中七海です」


ぺこりと頭を下げあい、じゃあどうぞ、とアスカに振られた為再び話し始める。このあと稲葉から聞いたが、この学校ではそれなりに有名な不良らしい。たしかに制服を着崩している感じとかは不良っぽいけれど、全然怖い感じがしなかったから、気づかなかった。


「えーっと、それで、まあ、例のごとく個人情報ぺらぺらと喋ってくれちゃって、しかも昼休みの教室だよ。結構人いたし、青木センセーの登場でみんなこっちに注目してたし。しかも、わざわざ注目集めるように、『みんな、これは依怙贔屓じゃないのよ。ハンデがある二人を応援してあげましょうね』だよ!?ハンデって何!?親がいなかったら、不幸ですか!?そりゃあさ、かかる苦労は違うかもしれないけど、親がいたって不幸になることだってあるし、そんなの本人の感じ方次第じゃん!」


だんだんヒートアップしてくた私は、ソファーをばしばし叩きながら力説する。


「それをあのセンセー様は、さも私が不幸のどん底にいますみたいな言い方してくれちゃって!それにそれに、私を母親のように思って、だって!?誰が思うか!あんたみたいな母親だったら、そっこーでグレてるわ!つうか、こっちはこっちで勝手にやるからほっとけって思うわけよ!誰が、あんな人を母親に思えるか。つうか、あの他人の話を聞かない感じ、本当にあの人に似ててイラっとくるんだよ!」


なお君は苦笑しながらドウドウとなだめてくる。


それを見て、しかも今は初対面の前でヒートアップしてしまったことを反省し、深く息をついた。


「ごめんなさい。・・まあそんな感じで、ブチギレて、思わずイラっとした心のままに椅子を蹴り倒して、ちゃんと丁寧語つかって抗議したんだけど、まったく届かなかったので、あれ以上居たらたぶん次は、本人を蹴っちゃいそうだと思ってこっちに逃げて来ましたー」


締めくくった瞬間、前の3人はお腹を抱えて笑いだした。途中途中私の話にいいリアクションをしてくれていたけれど、そんなに笑われるようなことがあっただろうか?


「いやー、最初の印象と違って、すっごいおもしろいなー田中!」

「そりゃ、どうも」

「はははっ、にしても、そのセンセーってあの美人のセンセーだろ?俺ら担当じゃないから知らねえけど、そんな人だったんだなあ」

「気をつけた方がいいですよー。目をつけられたら、めっちゃ面倒くさいんで」


なお君は吸っていたタバコを灰皿に押し付けると、私の隣に座った。


「で、スッキリしたか?」

「うん。とりあえずは」

「とりあえず、な・・・。気持ちはわかるが、あの手はこっちが対応を工夫するしかないぞ」

「わかってるよー。相手は宇宙人だと思わないとやってられないってことぐらい」


宇宙人と言った瞬間に前の3人は再び吹き出した。


「でもさあ、なんか、私をお母さんだと思ってっていうフレーズが一番嫌だったかな。こっちの事情を上っ面だけしか知らないのに、人の親を語ってんじゃねえよって感じ」

「寂しいからそうやって反抗してるんだって思われるだけだ。放っておけ」

「ううー、耳栓買おうかな」


結構本気で悩む。青木が話しかけてくれた瞬間に耳栓をして話終わった後にありがとうございますって笑顔でお礼言えば満足するんじゃないかな?青木を満足させなければいけないことが面倒だけれど、おそらく寂しい子認定されてしまっているだろうから、余計に絡んで来そうで面倒だ。


「一応、俺の方に何か言って来たらフォローしておく」

「お願いします。にしても・・・キレるなんてすっごい久しぶりだよ・・・」

「普段は温厚だからなあ」

「というか、怒るとか、後が面倒になるだけだから、スルーしてるんだって。あの母親を思えば、大概のことは許せる」


私が言い切ると、なお君は苦笑した。否定の言葉が返ってこないあたりなお君もわかるのだろう。一度だけなお君と母親があったことがあるのだが、その時のあの人もまた強烈だったと言える。思い出したくもない過去だ。


そのあとは、昼休みが終わるまで他愛ない話をして過ごした。男子3人組はいたって面白い人たちだった。なんだかよくわからないうちに気に入られたらしく、最後には田中ちゃんと呼ばれるようになった。


教室に帰ると、一瞬伺うような仕草をされたため、お騒がせしてごめんなさいと一つ謝った。ついでに、桂木にはもう一度ちゃんと謝った。自分の椅子、倒されたらいい気はしないよね。


「いいって。大丈夫だから。にしても、田中の意外な一面みたよなあ」

「な!怒り方が静かすぎて・・・。俺、下手な先生より田中の怒り方の方が怖かった!」


岩崎が桂木に同意したのを皮切りに何人かからも同じような感想を頂いてしまった。つまるところ、怒らせないようにしようと決心したらしい。いや、めったなことじゃ怒ったりしないから。


貴子たちは、心配そうにしてくれたけれど、稲葉は目があった瞬間にやりと笑われた。


「よお、お疲れさん」

「その顔ムカつく」

「まさか、俺より先にお前がキレるとは思わなかった。意外と短気なのか?」

「稲葉じゃあるまいし。人が神経過敏になっているところを突くあの人が悪いと思いまーす」

「そりゃそうだな。第一、相談するなら、人生経験豊富なのがアパートにはごろごろいるしな」

「それね。何年生きてるんだかわからない人たちばかりだからねえ」


二人でそこまで言いあって、クスリと笑いあった。






その夜、大人たちの晩酌中に私がキレたことが話題になった。


「もう、俺びっくりしたんすよ!この田中が!いきなり椅子蹴り倒したんスから」

「へえ、七海ちゃんが珍しいねえ」

「だあって!聞いてくださいよ!」


持っていたコップをダン!と音を立てて机に置く。


「あの女!こともあろうに、私んちの事情、ぜーんぶペラペラ喋りやがったんですよ!それにそれにっ」

「まあまあ、もう一杯、飲みなよ」


佐藤さんが横から麦茶を注ぐため、コップを抑えてそのお酌を受ける。


「ありがとうございます!」

「それで?」

「しかもしかもっ、あの女ってば、母親のことも勝手に美化してるみたいで、出て行ったのは事情があったのよだって!男作って出て行っただけですが!」


コップに入った麦茶を勢い良く煽る。飲み終わってぷはーっと息をついた。


横で、稲葉がコップと私を見比べながら顔を引きつらせ、酒じゃないよな?と呟いていたが知らないふりをする。


「何が!ハンデがある、よ!何がみんながいるから寂しくないって!?見当違いも甚だしい!同情するなら金をくれ!」

「よ!七海!」


なんて古本屋から合いの手が入る。


「へえ、随分古いの知ってるね」

「知ってるって言っても、そのフレーズぐらいですけどねー。ドラマ自体は見たことないです。あ、どうも」


佐藤さんが再び注いでくれるお茶を、コップを両手で支えることで受ける。


「いやー!いいねえ!七海ちゃんの大爆発!直に見たかった!」

「いやいや、もう勘弁っすよ。教室が凍りついたんっすよ」

「別にそんなに怖くはないって。キレたって言っても椅子を蹴り倒しただけで、怒鳴ったりはしてないじゃん」

「それが逆に怖いんだよ!桂木もビビってただろ!」

「そうだっけ?」


あのときは頭に血が上りすぎて、桂木の反応まで気にしていなかった。稲葉が若干引いているのはわかるが。まあ、確かに、教室に戻って来たときには桂木と岩崎、その他数名から怒らせないようにするという決意表明をいただいてしまったのだが。


「凍りつく教室!教師に反抗して椅子を蹴り倒す!」


古本屋がお腹を抱えながら笑っている。


「いやあ、青春だねえ!」


お酒を煽りながら詩人が相変わらず落書きのような顔をして言った。


ほら、やっぱり言われた。


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