シリウスは凝り固まった体をぐっと伸ばした。壁にはレイからの依頼内容がびっしり書かれた紙がある。その一つに取り消し線を引く。ようやく一つ完成したものをみて、とりあえず、これを明日にはレイに見せなければいけない。欠伸を一つして、集中していたために疲れてしまった目をほぐす。
完成したものは戸棚にしまい、テーブルの上も簡単に片づける。
シリウスは逃亡者であるために杖は持っていない。そもそも、シリウスが使っていた杖はアズカバンに投獄されるときにぽっきりと折られている。しかし、今、シリウスの手元には杖がある。それはアリィに渡されたものだ。彼女曰く、自分で作ったのだと言っていたが、本当だろうか。
シリウスの生活は、レイやアリィ、サラ、祐希の誰かがこの部屋に来ることによって成り立つ。シリウスにも信じられない話だが、ここは、創設者のみが入れるように仕掛けられていた部屋らしく、この部屋の存在は現ホグワーツ校長でもあるダンブルドアですら知らないらしい。
学校のすべてを網羅していたと思っていたシリウスも、まさかこんな隠し部屋があるとは思ってもみなかった。
毎日4人のうち、誰かしらが必ず来て、シリウスに人間らしい生活を提供していく。窮屈な思いをしていないとは言い切れないが、長年アズカバンで生活していた環境を思うと天と地ほどの差があるのは言うまでもない。
また、レイから計画を聞いていたことも、シリウスを大人しくこの部屋に閉じ込めておくことに役立っていた。
あのドブネズミのことを思えばいますぐこの部屋を飛び出し、殺してしまいたいと思っているが、まず第一に、この部屋を物理的に出ることは不可能だ。
外からしか扉が開かないようになっている。この仕掛けが、もとからのものなのか、シリウスが外に出ないように4人の誰かが仕掛けたのかは知らない。
ともかく、信じると決めた4人の指示に従い、こうしてレイの依頼を受けつつ毎日を平和に過ごしているのだ。
シリウスは、簡易ベッドに横になると、ベッドサイドにとりつけられた手元ライトをつける。そして、一冊の本を手に取ると、挟んでいたしおりの場所を開く。
しばらく本を読んでいると、突然、一つしかない部屋の扉が開かれた。驚いてドアの方を見ると、そこには祐希がいた。
「祐希?どうしたんだ。こんな時間に」
「いや…、一杯付き合わないかと思ってな」
そういって取り出したのは、ワインと二つのグラスだ。
シリウスは祐希とワインを見比べ、顔をしかめる。
「一杯って、君は未成年だろう」
「心は成人している」
「しかしだな…」
「まあ、シリウスが飲まないならそれでいいけどな。俺は勝手に飲む」
祐希は乱暴にもそういうと、さっさと先ほどシリウスが片づけた机の上にグラスを置き、ワインの栓を抜き始めた。用意が良いことにつまみまで持ってきているらしく、ローブのポケットから菓子類が数種類出てくる。
本気で、ここで飲む気なのだろう。確か彼はまだ13歳か?確かに前世のことを考えると、俺より年上なのだろうが、とシリウスはようやく開けたられたらしいボトルをグラスに傾ける祐希を見る。
そこにいるのは、どう見ても、子供だ。日本人だということもあってか、同い年の子よりも幼く見えるため、余計に酒を片手にしている姿は、大人の真似事をしている微笑ましい光景にしか見えない。ただし、そのグラスに注がれているのはブドウジュースなどではなく、しっかり発行され、アルコール度数もそれなりに高いワインなのだが。
「まったく…」
シリウスはため息をつくと、祐希の向かい側に座った。彼がこのような行動をするのだ。何かあったのだろう。酒に溺れてしまいたくなる気持ちも、理解はできるため否定はできない。ただし、見た目はどうあがいても子供なのだが。空いているグラスを手に取り、無言で祐希はボトルを傾け、シリウスの持つグラスにワインを注ぐ。
グラスを合わせるとチンと軽やかな音が鳴る。ワインを口に含むと。独特の酸味と苦味が舌の上に広がる。それとは別に芳醇な香りが口の中に広がっていく。久しぶりの酒だった。それも、結構いいワインらしい。
「どこで手に入れたんだ?」
「セブルスの部屋からくすねてきた」
「……お前は時々、空恐ろしいな」
「教師の前で飲むのはやめたんだ。むしろ褒めろ」
「褒める要素などまったくないだろう」
本当に、こいつは、時々こうして不遜な態度をとるのだ。何を考えているのかわからなくなる。
「それで?何があったんだ?」
「何がって?」
言いながら、グラスに再びワインを注ぐ。もう空になったらしい。
「もっと味わって飲めよ。結構いいワインだぞ?」
「そうなのか?」
「ああ。まさかスニベルスがこんないい酒持ってるなんてな」
「スニベルス…、ああ、イジメっこ」
「若かりし頃のオイタさ」
「やったほうよりやられる方が覚えているっていうけどな。でも、お前らのはやりすぎだろ。俺らの時代なら、強制的に懲罰だったな。よかったな。懲罰反対のダンブルドアで」
「まるで見てきたように言うな」
「一部は見てる」
「ああ、レイの言う映画か」
「だから、お前らの関係は知っているさ。どれだけシリウスがジェームズを大切に思っていたのかも、リーマスがお前らに依存していたのかも、な」
「?」
祐希の言いたいことがわからず、シリウスは首をかしげる。祐希は、ぽつりと、まるで独り言をしゃべるかのようにそっと言葉を落とした。
「リーマスには、秘密の守り人を変更する話、しなかったんだな」
4人は親友だった。親友だと思っていた。あのときだって、変わらず、そう、まったく変わらず親友だと思っていた。
シリウスは、グラスの中で揺れるワインレッドを見つめる。グラスを揺らすたびに、光の反射角を変える表面には、シリウスの顔が歪んで映っている。
「……そうだ。俺たちは人狼であるリーマスを疑っていた。疑わざる終えなかった。闇の勢力が拡大する中で、人狼や、巨人族、そのほかにも沢山の種族が闇に落ちて行った。友であるリーマスを疑うことは辛かったが、仕方がなかった。あの時代は、となりの人間すらも信用できない。そういう時代だった」
「リーマスは、未だに真犯人が誰なのかも、どうして、最悪の出来事が起こってしまったのかも知らないんだな」
「俺は君に感謝しているよ。今のリーマスを見てはいないが、きっと、あいつにとって、祐希は希望になっているだろう」
「だといいけどな」
ふっと、気配を崩した祐希に、もしかして、と思う。
「リーマスが原因か?」
「何が?」
「ヤケ酒の理由だ」
「半分正解。半分外れ」
「半分?」
「今日、ハリーのディメンター対策の練習をしてたんだよ。ボガードを使ったんだが、やはり、キツイな。っていうことで景気づけに一杯やりたかったんだ」
「そういえば、君はあまりディメンターが得意じゃないと言っていたな」
「ハリーほどじゃないけどな。っていうか、あれが得意な奴とかいないだろ」
祐希が再びグラスにワインを注ぐ。いつの間にかボトルの中身は半分まで減っていた。
「ハリーはどうだ?習得できそうか?」
「一応、今日、それらしきものは出せていた。何回かやっていったら、出せるようにもなるさ。ハリーは魔法の技術に関しては良いモノを受け継いでいる」
「ジェームズもリリーも優秀な魔法使いだったからな」
「…会って、見たかったな」
ぽつりと落とされた祐希の言葉に、ぐっと胸にせりあがってくる想いに蓋をするのに必死だった。抑えなければ、みっともなく涙を流してしまいそうだった。
「……ハハッ、祐希なら、気があっただろうな」
意図して、口角をあげる。無理やり絞り出した声はちゃんと笑っているように聞こえていただろうか。こちらを見ない祐希には、きっと俺の頬が引きつっていようが、気づかれないだろうから。
「イジメの荷担をするつもりはないが、イタズラの荷担ならしてやってもいいな」
「イタズラ仕掛人に参加するか?」
想像する。俺たちの時代に、祐希がグリフィンドールの生徒としているところを。俺たちは、きっと入学当初から馬が合うだろう。様々なイタズラグッズを作り、面白おかしく学生時代を謳歌する。時には一緒に叱られることもあるだろう。危険な目に合うかもしれない。それでも、あいつらの中に祐希がいる姿が、容易に想像できた。
「…お前がいたら、未来は変わっていたかもしれないな」
「シリウスは、ピーターじゃなくて、俺に秘密の守り人を譲ったか?」
「いや、祐希はバカな俺の考えを見抜いて、止めたことだろう」
「さあ、どうだろうな。実際、盲点だっただろう。力が一番弱くて小心者の奴に鍵を握らせるというのは。ただ、小心者だったからこそ、簡単に闇に屈服していた」
「それを見抜けたなかった俺は大ばか者だ」
「もし、を考えても仕方がない。最善などわかりゃしないんだから。必要なのは、何を取捨選択するかだ。今の状況で、何を優先し、何を掴みとりたいか。それが大切なんだ」
「その姿で言われると違和感があるな。まるで仙人のような言葉だ」
「人生経験はシリウスよりずっと豊富だからな」
祐希は肩を竦め、グラスに口づける。
「何を掴みとりたいか、か…」
「シリウスは、ハリーと暮したいか?」
「ハリーと?」
「そうだ」
祐希に言われて、想像してみる。
プリベット通りで見たハリーはまるでジェームズの生き写しのようだった。しかし、彼のエメラルドの瞳だけはリリーにそっくりだった。そんな彼と共に暮らす。
まともな生活など、ここ10年していないが、それでも、甘美な響きだった。きっと楽しいだろう。暮す場所も、そのための職も何もかもないが、それでもそう思う。
「そうだな」
「俺がそれを叶えてやるよ」
「ふっ、俺が望んでも、ハリーが望まんだろう」
「それはハリーに聞いてみるしかないだろうけど、俺の予想が正しければ、ハリーはあんたについてくるって言うと思うぞ」
「ありえんな」
「賭けてもいい。ま、それもこれも誤解を解いてからだけどな」
「そういえば、俺はちゃんと聞いていなかったんだが、どうやって誤解を解くつもりなんだ」
「?話してなかったか?」
「ハリーたちの前で証明して、その証人と、ダンブルドアとファッジにもバラすぐらいしか聞いていない」
「十分じゃないか?」
「どこがだ!」
首をかしげる祐希に噛みつくようにして言う。
しかし祐希は、どこ吹く風でグラスにワインを注ぐ。しかも、ワインはそれで終わってしまったらしく、瓶の中身を揺らして、残念そうに眉を下げた。俺の倍は飲んでいるだろう。
「くわしくって言ってもなあ…。ハリーたちを招待して、その前でスキャバーズの正体を明かす。そうすりゃ、お前がなぜ脱獄をしてきたかも芋ずる式に理解してもらいやすい。それから、証人に一番、堅物そうなセブルスを用意する」
「なぜスニベルスなんかに!?」」
「だから一番堅物だからだっつっただろ。それに、あいつはダンブルドアの私兵だからな。あと、不測の事態に、すぐに動ける教師はいた方がいい。俺たちだけでは、咄嗟の時に魔法で対処はできても、法的には難しいこともある。大人と子供の差だな」
「ぐっ…、しかしだな…」
「お前らの過去のいざこざなんかしらん。むしろ、ここで一回仲直りでもしたらどうだ?」
「気持ち悪いことを言うな」
スニベルスと俺が仲良くだって?それは無理な話だ。あんな根暗と仲良くするだなんて、想像しただけでも虫唾が走る。
「なら、いい大人なんだから、いがみ合うことだけはやめてくれ。仲裁するのも面倒だ」
心底呆れたように肩を竦めた祐希は手に持っていた瓶を杖先でつつくと、瓶は瞬く間にインコに姿を変えた。そのインコは喋れるらしく、俺を見てはメンドウ、メンドウと繰り返す。
「まあ、これくらいか?伏線はいくつか回収したし、あとは不測の事態がおきなければいいし、まあ、次のクイディッチの試合でハリーがパトローナスを完成させるはず。そのあとは、優勝杯があって、期末試験、か?その期末試験の最終日の夜にバックビークの処刑があって、その帰りに、だから…。あ、そっか。試験は必要だな。だって、予言があるはずだし。ってことは、試験日まではまたなきゃいけないのか。面倒だな、この辺の伏線。場所は叫びの館じゃないとダメだしなあ」
祐希が言っている言葉の半分も意味がわからなかったが、最後の場所だけははっきりとわかった。
「叫びの館に行くのか?」
「そうだ。それも伏線のうちの一つならば、行かせておかなければいけない。何がどの段階で必要になるかわからないからな。知識は最大の力だ」
「にしても、期末試験まで待てというのか?」
「10年以上待ったんだ。今更数か月延びたところで変わらないだろう?」
「長年待ったからこそ、今にでも俺は殺しに行きたいと思っているんだよ」
「そんな物騒なこと言うなって……」
ふらりと祐希の頭が揺れる。もしかしてこいつ、酔ってるのか?と祐希の顔を覗き込めば、目が座っていた。酔っているのと、眠気がきているのだろう。
「祐希、そろそろ眠ったほうがいい」
「大丈夫だ」
「目がほとんど開いてないぞ」
「大丈夫」
「寮に戻れとは言わないから、もう寝よう」
「シリウス」
「なんだ?」
「眠い」
「…だから、もう寝ようっていってるだろう」
呆れてものもいえなくなるが、なんとか祐希を立たせて、簡易ベッドに運ぶ。さすがに、子供のこいつを床に転がすことなんてできないしな。
祐希はもうほとんど目を開けていない。自力で立つことすらままならないらしい。
精神的には大人でも、体は子供なのだ。そんな子供の体でワインのボトルを空けてしまったのだから、酔いが回るのもうなずける。むしろ、この歳で笊だったら嫌だ。
ベッドにころがし、毛布を掛けてやる。しばらくもぞもぞと動いていたがやがて寝息が聞こえてきた。
「こうしていたら、ただの子供なんだがな…」
杖を使い、コップなどを片づける。
それから、もう一枚毛布を取り出して、床に腰を下ろした。その状態で動物モドキの犬に変化して眠る姿勢になる。地面で寝るのなら人よりも犬のほうが温かいからだ。
明日は平日だが、祐希が起きられるかどうか。
まあ、こいつの頭なら、一日ぐらいさぼったところで問題ないだろう。
すっかり、子供の顔をして眠る祐希に苦笑をこぼし、シリウスも眠ることにした。