「ロン、この前の話だけどさ」
「この前?」
「スキャバーズを俺の知り合いに診せるって話しただろ?」
「ああ、それね」
「送ってほしいって言われたからしばらく預かってもいいか?」
「うん、いいよ」
ロンはポケットに手を突っ込むと、わしづかみにしたスキャバーズを取り出した。
それを受け取り、「虫かご」の中にいれる。
「じゃあ、しばらく預かるな」
「うん。よろしく」
これで、俺の任務は完了した。
学校が始まると、ホグワーツ内も本来の騒がしさを取り戻したようだった。シリウスも影を潜めていることもあってか、生徒の表情は明るい。
木曜の夜、俺とハリーはグリフィンドール塔を抜け出し、「魔法史」の教室に向かった。そこが、リーマスが見つけてくれた練習場所になる。
教室内は真っ暗で、まだリーマスは来ていないようだった。俺たちはランプに明かりをつけ、しばらく待つと、リーマスが荷造り用の箱を抱えて現れた。
ビンズ先生の机に降ろすと、リーマスは凝った肩を大きく回す。
「なんですか?」
「まね妖怪ボガードだよ。祐希に頼まれてね。火曜からずっと城をくまなく探していたんだ。幸い、フィルチさんの書類棚の中に潜んでいてね」
「こいつが一番ディメンターに近いだろう。練習するなら実戦が一番だけど、本物のディメンターをここに呼んでくるわけにもいかないだろ。そんなことしたら、ダンブルドアから退学処分を食らっちまう」
俺は肩を竦めておどけてみせる。
「さて、ハリーは俺からの宿題はやってきたか?」
「うん。幸福な思い出を考えてくるってやつだよね」
「ああ」
「いくつかは考えてきたけど…」
その思い出がパトローナスを作りだせるか不安だとハリーの表情が語る。
「ならパトローナスを作りだすのに、どうして幸福な思い出が必要なのかは憶えているか?」
「うん。確か、ディメンターは幸福な思いを吸ってマイナスな要素つまり、絶望を引き吊り出したいんだよね。でも、パトローナスは幸福の塊で絶望はないから、近づくこともできない、だっけ」
「ああ、おおむね合ってる」
「それで、えっと、人の心によって形を変える、んだよね?」
「そうだ。まあ、一番影響を受けやすいのは好きな人だな」
「え!?」
「これは幸福な思い出にもよるんだが、好きな人か変わることによって守護霊が姿を変える。逆に言えば、ハリーに好きな人がいるなら、ハリーの守護霊はその好きな人を象徴するような動物になるってわけだ」
「ぼ、僕、好きな人なんていないよ!」
「たとえばの話だ」
喉の奥で笑う俺に、ハリーが耳を赤くする。
「まあ、それまでは自分自身を象徴するものになる場合が多いな」
俺は杖を前にかざし、呪文を唱えた。すると、俺の杖から銀色の線が飛び出たかと思うとそれは空中で獅子の形になった。獅子は教室内を縦横無尽に駆け回るとやがて俺のそばで腹這いになる。
「俺はこの通り獅子だ」
「まさにグリフィンドールって感じだね」
「まあな」
そもそも、俺がゴドリック・グリフィンドールだからな・グリフィンドール寮の紋章を獅子にしたのも、俺のパトローナスが獅子だったからだし。
「よし、じゃあやってみろ。呪文は、エクスペクト・パトローナムだ」
「エクスペクト・パトローナム」
ハリーが小声で繰り返す。
「幸せな思い出は浮かべられたか?」
「う、うん」
「その思い出に神経を集中させろ。心を満たせ。そして呪文を唱える」
「エクスペクト・パトロノ、違った。パトローナム……、ごめん、エクスペクト・パトローナム、エクスペクト・パトローナム」
ハリーの杖先から何かが急にしゅーっと吹き出した。銀色の煙のようなそれは、すぐに雲散したが、ハリーが興奮したようにこちらをみた。
「見た!?何か出てきた!」
「ああ。初めてにしては上出来だ」
俺がうなずくと、ハリーは嬉しそうに、銀色の煙があった場所をみつめた。
「なら、実践してみるか」
「え、もう!?」
「実践あるのみだ」
「祐希って、結構スパルタだよね。前から知ってたけど」
ハリーが苦笑するなか、リーマスに合図をする。
「箱を開けたらハリーは怖いものとしてディメンターを思い浮かべろ。そうするとボガードはディメンターとなって出てくる。そうしたら、さっきのように呪文を言え。上手くいけば、抑えることができる。心を強く持つんだ」
「うん」
ハリーは杖を固く握りしめた。
俺も杖に手をかけながら、リーマスに合図を送る。リーマスが蓋を開くと、ゆらりとディメンターが箱の中から立ち上がった。フードに覆われた顔がハリーの方を向く。
教室のランプが揺らめき、ふつりと消えた。ディメンターは箱から出てきて音もなくするするとハリーの方にやってくる。
ガラガラという音がする。息をすっているのだ。身を指すような寒気が襲う。
吐く息が白いと感じたとき、ハリーが杖を前にし呪文を叫んだ。
「エクスペクト・パトローナム!」
しかし、ハリーの杖からはわずかな銀の煙が出るだけだった。
俺は杖を手に、ハリーの前に踊りでる。そして姿を変えようとするディメンター基、ボガードにボガード用の呪文を唱える。
「リディクラス」
ボガードが変化したかと思うと箱の中へとい入っていく。すかさずリーマスが蓋を閉めた。
俺の後ろではハリーが青白い顔で倒れている。蓋を閉めた段階で、リーマスが杖先に明かりをともし、ランプにも火を入れた。
「ハリー。ハリー」
ハリーの頬を叩き、ゆすり起こす。
ハリーはすぐに目を開けた。
「ごめん」
「大丈夫か?」
「うん…」
メガネの下を冷や汗が滴り落ちていく。それを服の袖で拭ってやる。
ハリーは机にすがって立ち上がり、その机に寄り掛かった。
「さあ」
リーマスが返るチョコレートを渡した。
「これを食べると良い。それからもう一度やろう。一回でできるなんて期待してなかったよ。むしろ、もしできたらびっくり仰天だ」
「ますますひどくなるんです」
蛙チョコレートの頭をかじりながらハリーが呟く。
その顔色はいまだに青白い。
「母さんの声がますます強くきこえたんです。それに、あの人、ヴォルデモート…」
「ハリー、続けたくないなら、その気持ちはわたしには良くわかるよ」
「いえ、やります!」
ハリーは強く言った。
「なら、次は別の思い出を選んだ方がいいだろうな。今回のはあまり十分じゃなかったようだ」
ハリーはじっと考える。
その間に俺は暖炉に火をつけ、できるだけ室内を温かくした。まあ、ディメンターが現れる時点であまり意味はないのだが、気休めくらいにはなるだろう。
しばらくして、ハリーが再び教室の中央で身構えた。
「いいかい?」
「お願いします」
そして、再びハリーの前にディメンターが立ちはだかる。しかし、今度はハリーの杖からは何も出てくることは無く、ハリーは倒れた。
「ハリー!ハリー!しっかり!」
俺がボガードをしまう間にリーマスがハリーを揺り起こす。
「父さんの声が聞こえた」
ハリーのくぐもった声が聞こえ、俺は振り返った。
リーマスの表情は俺の方からは見えないが、その心中を察するには難しすぎた。
「父さんの声は初めて聞いた…。母さんが逃げる時間を作るのに一人で、ヴォルデモートと対決しようとしたんだ」
「ジェームズの声を聞いた?」
「ええ…」
「でも、先生は僕の父をご存じないでしょう?」
「わ、私は、実は知っている。ホグワーツでは友達だった。さあ、ハリー。今夜はこのぐらいでやめよう。この呪文はとてつもなく高度だ。祐希もいいね。今夜はここまでだ」
俺は肩を竦めたとき、ハリーが再び立ち上がった。
「違います!僕、もう一度やってみます!僕の考えたことは、十分に幸せなことじゃなかったんです。きっとそうです。ちょっと待って…」
リーマスは厳しい表情でハリーを見ていたが、ハリーが必死に思い出を考えているのを見て諦めたようだ。
「いいんだね?」
「はい」
「気持ちを集中させたね。行くよ…それ!」
リーマスは三度はこの蓋を開けた。
ディメンターが現れる。ランプの光は消え、暖炉の火は弱くなる。体の芯から冷やされていく。
「エクスペクト・パトローナム!」
今度は驚くことにハリーの杖先から銀の煙が飛び出したかと思うとそれが意図的にハリーとディメンターの間に幕を作り出した。その幕の影響でディメンターはハリーに近づくことができないでいる。
ハリーの表情を見て、俺はハリーの前に躍り出た。
「リディクラス!」
三度この呪文を唱えると、パチンと大きなおとがしてディメンターが消える。同時にハリーのパトローナスも消えた。俺はボガードを箱の中に押し戻す。
「よくやった!」
リーマスが歓声を上げる声に振り返ると、ハリーは椅子にへたり込んでいた。遠目からもわかるほど憔悴しきっている。
「よくできたよ、ハリー!立派なスタートだ!」
「もう一回やってもいいですか?もう一度だけ?」
「いや、今はダメだ。一晩にしては十分すぎるほどだ。さあ」
リーマスはハリーデュークス菓子店の大きな最高級板チョコを一枚ハリーに渡した。
「全部たべなさい。そうしないと、私はマダム・ポンフリーにこっぴどくお仕置きされてしまう。来週、また同じ時間でいいかな?」
最期は俺に確認をした。
「ああ」
「あの、ルーピン先生?僕の父をご存知なら、シリウス・ブラックのこともご存じなのでしょう?」
リーマスがぎくりと振り返る。固くなった表情で、ハリーを見つめ返す。
「どうしてそう思うんだね?」
「べつに…、ただ、僕、父とブラックがホグワーツで友達だったって知っているだけです」
リーマスは意図して表情を和らげた。
「ああ、知っていた。知っていると思っていた、というべきかな。ハリー、もう帰った方がいい。大分遅くなった」
「ハリー、悪いけど、先に帰っていてくれ。リーマスと来週のことで話すことがある」
「うん。わかった」
ハリーが出て行ったのを見届けて、俺はリーマスと向かい合う。
「話っていうのはなんだい?」
「まあ、ここでもなんだし、送っていくよ。リーマス」
「…それは本来なら僕の言葉なんだけどね」
「細かいことはいいだろ?」
「はあ、しょうがないね。ただし、あまり長居は許せないよ?」
「ああ、大丈夫だ」
室内のランプと暖炉の火を消して、箱を抱えて教室をでる。
「そういや、あの大量の菓子…」
「あ、」
「いつも言っているが、甘い物も取りすぎるのは毒だぞ」
「違うよ。あれはハリーのために買ってきたものであって…」
「リーマス」
俺がリーマスの名を呼ぶと、彼はぎくりと肩を揺らした。
「あれぐらい許してくれないか?クスリを飲むときには絶対に必要なんだ」
「俺も鬼じゃない。薬を飲む期間ぐらいなら、ある程度は許してやるさ。だが、ある程度だ。再三いっているが、リーマスの糖分摂取量は異常なんだ!このままだと本気で糖尿病になるぞ」
「そうなっても、祐希がクスリを作ってくれるだろう?」
「馬鹿。そんなことのためにクスリを作るか。だいたい、ちょっと甘いものを控えるだけでいいんだ。というか、忙しかったはずなのにいつ買ってきたんだ?ハニーデュークスのものもあっただろう」
「ああ、それなら、今は便利で通販があってね。会員限定なんだけど、会員になったら、届けてくれるんだ」
嬉々として語るリーマスに頭を抱える。だめだ。リーマスの甘党は相当なものだ。いくらいっても聞きやしない。
「とりあえず、今持っているものを出してもらおうか。ハリー用の菓子としてなら、俺が来週責任を持ってハリーと共に持っていく」
「そ、それは…」
「それとも、部屋のもの全て、消してやろうか?」
「それは勘弁してくれ…。はあ、わかったよ。仕方がないな」
リーマスがローブのポケットに手をやると、そこから出てくるでてくるチョコレートの山。おそらくハリーのディメンター対策も兼ねて、今回持っていたのはチョコレートばかりだったのだろうが、それにしても種類豊富で、明らかに多いその寮に頬を引きつらせる。
「…持ちすぎじゃないか?」
「え?これぐらい普通だろう?」
再び頭を抱えることになったのは言うまでもない。これは、今度抜き打ちでリーマスの部屋のお菓子を掃討する必要があるな。
「とにかくこれは没収!クスリの期間は、薬と一緒に甘いものも持って行ってやる」
リーマスが捨てられた子犬のような顔をして俺を見るが、俺は譲る気はない。
「それと、リーマス。シリウス・ブラックのことだけど」
「え…」
途端に表情を凍りつかせたリーマスを見て、俺は言葉を飲み込んだ。
「……いや、何でもない…。お休み。リーマス」
「祐希?」
踵を返し後ろ手に手を振った俺は、談話室へ戻ると思われたのだろう。リーマスは追いかけてくることは無かった。