退院したハリーに、俺は空き教室へと呼び出された。
ディーンやトーマスが、告白か?とからかってきたが、それを適当にあしらいながらハリーについていく。
だいたい、俺たちは男同士だというのに、そういうことがあるわけがない。俺はノーマルだ。
というよりも、ハリーの深刻そうな顔を見て、そんな冗談言えるわけがない。
空き教室に来た、俺は、適当な机にもたれかかり、ハリーと対峙する。
ハリーは沈鬱な表情のまま俺に向かい合った。
「ねえ、祐希は、このまえのクイディッチ、来てたんだよね?」
「ああ。見てた」
「ディメンターをまた追い払ったって、聞いた」
「へえ、誰から?」
「ハーマイオニー。ホグワーツ特急の中で見た魔法と同じ魔法だったって。他にも、いたみたいだけど」
尻すぼみになっていくハリーの言葉に苦笑する。
「そりゃあ、あいつらが大量に近づいてきて、大歓迎のハグする奴はいないだろ」
俺の冗談にハリーが少し笑みをこぼす。
「それで、ハリーはこんな空き教室に呼び出して、何が言いたいんだ?」
促してやると、ハリーは少し迷ったそぶりを見せた後、俺をまっすぐに見つめてきた。
前髪から覗く傷跡が痛々しい。レイに見せてもらった映像を思い出す。彼にはこれから先、死にたくなるほどつらい出来事がいくつも待ち受けている。そのどれだけを俺たちの手で減らしてやれるのか。楽にしてやれるのか。
成長させるには、苦労も多分にしたほうがいい。
そういったのは誰だったか。
それでも、と願う。少しでもいい。それで腑抜けになってしまうならそれもそれでいい。ただ、この子たちが最後に笑っていられるように。そのそばにはできるだけ多くの人間がいてあげられるようにしてあげたいと思うのは、先を知っている人間のエゴだろうか。
「僕に、あの魔法を教えてほしい」
決意を込めたハリーのエメラルドグリーンの瞳。
彼の母によく似ているらしい瞳。リーマスも、あのセブルスでさえ、この瞳には弱いらしい。それはおそらくシリウスも同じだろう。彼らにとって、かけがえのない存在だったことが、それだけで良くわかる。
「ディメンターをやっつける方法を教えてほしい」
「……あれは、『守護霊の呪文』と呼ばれている。ディメンターを殺すための魔法は存在しない。おそらく死の呪文でも奴らは殺せないだろう。パトローナスはあくまで、ディメンターを追い払うための呪文だ」
「それでもいい。もしまた、ディメンターがクイディッチに侵入してきたらどうする?僕はまた箒から真っ逆さまだ。どうしてか、僕はあいつらに近づかれると気を失うみたいだし」
「影響を受けやすいんだ。それは決してハリーが弱いということではない」
「でも、僕はもう気を失って戦えなくなるなんて嫌なんだ」
「俺は、ある人からたまたま教えてもらえたからこの呪文を知っているだけだ。便利だから使うことはたびたびあるけどな」
「便利?」
「それはおいおい知っていけばいい。つまり、俺が言いたいのは、俺はスペシャリストでもなければ、お前と同じ学生だということ。魔法は中途半端に教わることが一番怖いことだ。強い力にはそれ相応のリスクもある。知っていなければいけない理屈も多くある」
「うん」
「……まあ、いいか。難しいことは。俺は今は教師じゃないしな。友人の頼みだ」
「じゃあ!」
顔をぱっと輝かせたハリーに苦笑する。そして、俺は机に腰掛けたまま杖を取り出した。
「エクスペクト・パトローナム」
俺の杖から銀糸が紡ぎだされたかと思うとそれは形をつくり、俺たちの胸ほどまである大きさの獅子へと姿を変えた。
「俺の守護霊だ。形は人それぞれ。その者の心で形は決まる。人の心は変化するものだ。そのために守護霊も姿を変えることがある」
「ずっと、同じ形じゃないの?」
獅子は教室をぐるりと一周走ったかと思うとハリーのそばで止まった。ハリーは魅入られたように守護霊を見つめる。そっと手を伸ばし、守護霊へ触れようとすると、それは光の粒となり雲散して消えた。
「守護霊に攻撃力はない。これはいわゆる盾だ。俺たち生きる者と、ディメンターとの間で障壁となる盾」
「どうやるの?」
「呪文を唱える。エクスペクト・パトローナム」
「えくす…、えくすぺくと?」
「パトローナム。守護霊よ来たれ」
「エクスペクト・パトローナム」
「そうだ。そして、一つ。なんでもいい。幸せなことを思い浮かべる。その思いがエネルギーとなり、守護霊へと変わる。パトローナスは、希望、幸福、意欲そういったプラスエネルギーが塊となった存在だ」
「プラスエネルギー…」
「ま、言ってしまえばディメンターの大好物だな」
「え!?」
「ディメンターは生体こそ良くわかっていないが、人が持つそういったプラスエネルギーを食べて生きているとされている」
「じゃあ、食べられちゃうよ!?」
「ハリー。ディメンターに近寄られたとき、何を感じた?」
「……寒くて、幸せとか、楽しいとかそういう気分がごっそりなくなっていくみたいな…」
「そうだ。それらを人は絶望という。この場合、マイナスエネルギーといえるか」
「うん」
「人が併せ持つその二つがあって、初めてディメンターはプラスエネルギーを食べることができるんだ。ディメンターはプラスエネルギーに惹かれるのではなく、マイナスエネルギーに惹かれ、それを引き出すためにプラスエネルギーをむさぼる」
「そうなんだ…」
「しかし、パトローナスはプラスエネルギーのみで作られている。つまり、幸福の塊だ。マイナスエネルギーがないため、ディメンターは近づくこともできないんだ」
「なるほど」
「さて、と。講義はここまで。実践はまた今度だな」
「え!?」
「なんだ。夕食を食いっぱぐれる気か?俺は勘弁だぞ。もう腹ペコなんだ」
「わかった」
「次は、そうだな。また時間が開いた時でいいか。別に寮の部屋でもできるしな」
「呪文に失敗しても、部屋が吹っ飛んだりしないならね」
「ハリーが呪文をちゃんと言えれば問題ないだろう」
「うっ…エクス…、エクスペクト、パトローナム…。エクスペクト・パトローナム」
ぶつぶつと唱え始めたハリーに笑みをこぼす。
普段の授業もこれぐらい意欲を見せてくれればいいんだけどな。覚えもよく、発想力もあるため、生徒としてはとても優秀なのだが、いかんせん、授業はあまり好きではないらしい。まあ、この歳の男の子ならじっと授業を聞いているよりも実践の方がずっと頭に入るのだろう。
「じゃあ、次に練習するまでに、ハリーに一つ課題をやる」
「え!?課題!?」
「パトローナスを出すのに必要な、幸福な思い出をいくつか候補にあげておけ」
「幸福な思い出を?」
「たとえば、それはただの妄想でもいい。それを思い浮かべて幸せな気持ちになれるのなら、なんだって、な」
「わかった」
しっかり頷いたハリーに満足し、俺たちは大広間へと向かった。