それから数日、学校中がミセス・ノリスが襲われた話でもちきりだった。噂がまわりにまわり、俺がミセス・ノリスを持っていたことも知れ渡っていたせいか、俺に向けられる生徒の目には畏怖の念が込められているようだった。なるべくすれ違ったり目を合わせないようにしていることがありありとわかる。
そもそも、『秘密の部屋』とはなんなのか。
俺は頭の中にホグワーツの地図を思い浮かべながらそんなものがあったかどうかを思い出していた。といっても、俺が知っているのは千年も前のゴドリックの時の物だし、あれからこの学校の教室は基本的には変わっていないものの、俺が知らない隠し部屋が増えていてもおかしくはない。
それに創設者の部屋も秘密の部屋と言えば秘密の部屋だ。あそこの存在を知っているのは今のところ俺たち3人だし、他に誰かが立ち入った形跡もないことから、やっぱり知っているのは俺たちとヘルガがいたらヘルガも含めての4人だろう。
合言葉が必要だし、俺たちは、少なくとも俺はその合言葉を誰かに教えることはなかったからだ。
その答えを、俺はハーマイオニーによって知ることになった。
それは魔法史の授業だった。
たった一人、教授にしてゴーストであるビンズ先生に、ハーマイオニーはおそらく史上初めて手をあげて質問をしたのだろう。ビンズ先生ですら驚いたようにハーマイオニーを見上げていた。
「グレンジャーです。先生、『秘密の部屋』について何か教えていただけませんか」
ハーマイオニーのきっぱりとした声が教室内に響いた。居眠りをしていた生徒が起きるほどの衝撃だった。教室内にピンと張りつめたような空気が広がる。誰もがビンズ先生に注目をしていた。
ハーマイオニーの説得と、教室の空気に圧され、ビンズ先生が渋々話し出した。
「『秘密の部屋』とは、皆さんも知っての通り、ホグワーツは一千年以上も前、その当時のもっとも偉大なる4人の魔女と魔法使いたちによって、創設されたのであります」
俺は愕然とした。『秘密の部屋』の説明をするにあたって、まさかゴドリックたちの話から入るとは思っていなかったのだ。ここからはいるということはつまり、俺たちが関係するということだ。
でも、俺は部屋のことを知らない。
嫌な予感にギシリと心臓が軋んだ。
ピンズ先生によって語られる俺たちの過去のことが、俺の耳を通り抜けていく。
「しかし、こうした真摯な事実が『秘密の部屋』という空想の伝説により、曖昧なものになっておる。スリザリンがこの城に、他の創設者に全く知られていない、隠された部屋を作ったという話がある」
俺は思わず立ち上がっていた。みんなの視線が一度俺に向けられていたが、続けて話し出したピンズ先生へすぐに戻されることになる。
「その伝説によれば、スリザリンは『秘密の部屋』を密封し、この学校に彼の真の継承者が現れるときまで、何人もその部屋を開けることができないようにしたという。その継承者のみが『秘密の部屋』の封印を解き、その中の恐怖を解き放ち、それを用いてこの学校から魔法を学ぶにふさわしからざる者を追放するという」
「嘘だ!彼がそんなっ、サラザール・スリザリンはこの学校の創設者なのに、生徒を追放するというんですか!?」
「祐希?ちょっと落ち着きなよ」
ロンが俺のローブを引っ張り座らせようとする。それにはっとなって周りを見回すと、恐怖にそまった目が俺を見ていた。そうだ、今疑われているのは俺だ。
それでも、俺の頭の中にはサラザールと、サルヴァトアの顔が浮かんでいた。あいつらが、そんな選民意識をもっていないことは知っている。誰よりも知っている。なのに、なんだこれは。なぜ、そんな部屋が存在すると言われているのだろう。
「もちろん、全て戯言であります。当然ながらそのような部屋の証を求め、最高の学識ある魔女や魔法使いが、何度もこの学校を探索したのでありますが、そのようなものは存在しなかったのであります」
俺はゆっくりと椅子に座りこんだ。腹の中を沸々と湧き上がってくる熱をどうにか収めることに必死になっていた。表情をつくろうこともできない。幸いだったのは、この話が終わった途端、周りの生徒がみんな無気力状態に戻り、誰も俺のことを気にしなくなったことだろう。
きっと、今の俺は表情がごっそり抜けおちた顔をしていたに違いない。
授業が終わった瞬間、俺はロンたちに謝ってから、変身術の教室へ向かって走り出した。
今の時間、スリザリンは変身術の授業をうけているはずだからだ。しかし、そこまで行く必要はなかった。変身術が終わったのだろうスリザリンの一団が階段下から上ってくる。
その中にサラの姿を見つけた俺は、周りの目など気にもせず呼び止めた。
「サルヴァトア」
「おやおや、『秘密の部屋』の怪物は穢れた血を排除する。知らないのか?次はお前かもしれないぞ。赤司!」
サラの前に歩み出て、にやにや笑いながらマルフォイが高らかに嘲笑う。
「マルフォイ。俺は今最高に機嫌が悪い。お前のおふざけに付き合うだけの余裕がないんだ。どけ」
「ハハハッ、やっぱり怖いのかい?そりゃそうだよねえ?あんな石にされてしまうかもしれないんだ」
「ドラコ。どいてくれ」
静かな声が響き、周りで同じように嗤っていたスリザリン生が顔をしかめた。サラがマルフォイの後ろから前に出てくる。
静かに見つめてくる青い瞳は空のようにも、凍った湖面のようにも見えた。
そして、彼の白い頬にはなぜかさらに白い湿布が張られていた。
「行こう。話す」
伏せると同時に逸らされることになった目。彼の態度から、俺がこうしてくることは分かっていたのだろう。
マルフォイたちは不満そうだが、それを無視してサラも俺も歩き出した。
「おい、サルヴァトア!前にも言ったと思うが、友達は選べ!こんな奴と何を話すことがあるっていうんだ」
マルフォイが俺たちを追い越し、サラの前に立ちふさがった。
「ドラコ、退いてくれ。俺はこいつと話さなければならん」
「何を話すっていうんだ?こんな穢れた血と」
「ドラコ・マルフォイ。今その言葉を出すということは、俺に喧嘩を売ったんだと思っていいのか?」
「祐希、やめろ。今はその話をしているときじゃないだろう。ドラコも、今はどいてくれ。その問答はこの前済んだはずだが」
「済んでない!君が勝手に切り上げただけだろう。僕は納得してないぞ!」
「納得してもらおうとも思っていない。ただ、こいつらとの関係についてドラコでもとやかく言うことは許さない」
低い声だった。それに怯んだドラコの横を俺たちは通り過ぎる。
やがて次の授業開始を知らせるチャイムが鳴るが、俺たちは無言のまま歩き続けた。そしてついたのはやはり創設者の部屋だ。
「『秘密の部屋』についてだろう」
部屋に入るなり、俺に向き合ったサラが切り出した。
「アリィにも聞かれ、引っぱたかれた。貴様にも殴られる覚悟はしている」
サラは自分の頬を撫でた。そこには白い肌に張られた真っ白な湿布がある。その下がどうなっているのかはわからないが、引っぱたかれたということは赤くなっているのだろう。アリィは物知りだから、きっとすぐに『秘密の部屋』がサラザールによるものだとわかって問い詰めたのだろう。
そして、それを聞いて引っぱたかれたということは、つまり、そういうことだ。
「話せ」
ともすれば、怒鳴り散らしてしまいそうなのを必死に抑えた。サラは静かに目を伏せると小さく息をついた。
「まず、結論を言おう。『秘密の部屋』は確かに俺が作ったものだ」
俺の拳がサラの頬にめり込んだ。サラの体がふっとび壁に激突した。その時、中央に置いてあった円卓も壊れていたが、今の俺にはどうでもよかった。
サラが頬を抑えながらなんとか起き上がる。
「で?」
杖を振って机を直し、椅子に座る。
サラはよろけながらも起き上がると、痛かったのだろう、頬を抑えながら同じように椅子に座った。
「史実は聞いたか?」
「ついさっき」
「あれは、半分は本当だ」
「へえ?」
「俺とお前が喧嘩をしたのは覚えているな?」
「もちろん」
「俺はその時学校を出た。そして、そこで、ある生き物を拾った」
「………へえ」
「それを城に持ち帰った。ただ、生徒がいるなか、職員室で育てるわけにも、禁じられた森に入れるわけにもいかないものだった」
うん、言いたいことはいろいろある。だが、俺はそれをぐっと抑え込み一つうなずいて先を促した。
「そして、俺はそれを育てるために他の生徒が入らないような部屋を作った。それが秘密の部屋だ」
「で、その生き物ってなんなんだ?」
「………」
サラがためらった。俺の方をちらっと見て、口を開こうとするが、また閉じる。
正直、サラの魔法生物好きの加減は知っているし、ドラゴンの卵を拾ってくるぐらいだ。今更何を拾ってきても驚かない自信があった。だが、そんな生徒を危険にさらすようなものを校内にいれるなよとはいいたい。
「な・ん・な・ん・だ?」
「………バジリスク」
俺は思わず頭を抱えた。
「はあ!?お前、ふざけてんのか!?というか、どこで拾ってくるんだよそんなもん!学校に入れてんじゃねえよ!部屋作ってやってんじゃねえよ!」
「しょうがないだろう!旅に出たときに会って、話をしたら意気投合したんだ。住処も追われていたし、ちょうど寒い時期に入っていて弱っていたから保護する名目だった。もちろん、校内に姿を現さないように言い含めた」
「そーいう問題じゃないっていうのはわかってるだろうが!」
「パーセルマウスしかあの部屋には入れないし、パーセルマウスの希少性はお前も知っているだろう」
「そうだけど、いや、実際に開かれてるだろうが」
「そうだ。俺は生徒を殺すことはするなと言い含めた。俺の命令は絶対だ。それはバジリスクもわかっている。だから、他の奴に操れるわけがないと思っていたのだが…」
「それが覆されたってわけか」
はあ、と深いため息をつく。
まさかバジリスクを拾ってくるとは思わなかった。おおかた、俺たちには言えなかったのだろう。俺とは喧嘩中だったし、騒動を起こした後ということもあって、ヘルガもロウェナもピリピリしていた。
あの時にもしバジリスクを見せられたとしても、当たり前だが、飼うことは許さなかっただろう。というより、バジリスクを飼おうという発想自体間違っている。
「まだ校内にいたことにも驚きだが、」
「え、ちょっと待て。つまり自由に出られるのか?」
「あたりまえだろう。じゃなかったら、俺が死んだあと、どうやって餌を手に入れるんだ」
なんでそんなバジリスク側の意見なんだよ。問題はそこじゃないだろう。
「禁じられた森に続く抜け穴もいくつか作ってあるし、あの時はまだ小さかったからな。すぐに他へ行くものだと思っていた」
「へー、そーですかー」
「なんだ、その気の抜けた声は」
「呆れてるんだよ。お前のその魔法生物好き加減に!」
「好きなものは好きだ」
「開き直るな!それで、今回のことどうするんだ?」
「ひとまず、バジリスクに会いに行く。あとは、開いた奴を見つけ出さねばならん」
「パーセルマウスしか開けられないんだっけ?つまり今の時代にパーセルマウスを扱える奴がいるってことか」
「そうみたいだな」
「そういえば、サラは生まれ変わってからもしゃべれるのか?」
「当たり前だろう。パーセルマウスは外国語と変わらん。一度覚えてしまえば誰だって使える」
「俺でも?」
「そうだ。確かに先天的なものはあるが、言い方を真似れば言いたいことを伝えるくらいはできるだろう。聞き取るのは難しいだろうがな」
「へえ」
パーセルマウスが増えれば、ヘビのペット化も可能になるかもしれないのにな。
「とにかく、俺は一度『秘密の部屋』に降りる。バジリスクに事情を聞いてくる」
「わかった」
俺がうなずいたところで、サラが大きく息を付き椅子の背もたれによりかかった。
「にしても、貴様、思いっきり殴ったな。まだ痛いぞ」
頬を指でなぞると、痛みが走ったのか顔をしかめたサラににやりと口角をあげる。
「そりゃあ、本気だったからな。マルフォイの分も含めてだ」
「理不尽だ」
「あそこでアイツに手をださなかっただけ良いだろう。結構キレてたからな」
「まったく、早くヘルガが来てほしいものだ」
「来年に期待してくれ」
「それより、もう少し自制しろ」
「今回は仕方ないだろう。まさか教師が生徒を脅かすものを入れるとは思っていなかった」
チクリと嫌味を混ぜるとサラは何も反論はできないようだった。今回の事件はよっぽど堪えているらしい。まあ、俺からもアリィからも殴られておいて、反省の色もみせなかったら、それこそもう一発、殴るところだ。
とりあえず、授業をさぼってしまったので、その時間はそこで二人で過ごし、次の時間から俺たちは授業に出たのだった。