数日後、万全の体勢で地下牢教室にやってきていた。
扉の前で一つ深呼吸をする。
しかし、ドキドキは収まらない。まるで、片思い中の相手に会いに行くかのようだ。
もう一度深呼吸する。
そして、俺は扉をノックした。
「グリフィンドール、祐希・赤司です。ご相談したいことがあって、参りました」
「……入りたまえ」
バリトンボイスが少し間を開けて聞こえてくる。
扉を開けると、彼の机の上には課題であろう羊皮紙が山のように積まれ、それを一つ一つ開いては点数をつけていくというのを繰り返していた。
「見ての通り我輩は忙しい。下らん用ならお引き通り願おうか」
おお、つまり話は聞いてくれるってことか。
「実は折り入って、ご相談したいことがあります。スネイプ教授は今の私の保護者をご存知ですよね?」
スネイプ教授の手が止まった。
しかし顔をあげようとはしない。リーマスに聞いている限りだと、彼とは同級のはずだが、あまり仲は良くなかったようだ。ただでさえスリザリンとグリフィンドールなのだから当たり前なのかもしれない。
「ダンブルドア校長先生から、彼の例の日”にはスネイプ教授のご自宅にお邪魔することが可能だとお聞きしました」
「それがどうしたというのかね」
極力感情を押さえつけたような声だ。彼は平静を装うように次の羊皮紙に手を伸ばす。
「ということは、私の保護者の事情をご存じだと思います。実は最近、脱狼薬というものがあると聞きました。スネイプ教授ほどの魔法薬学教授ならば作り方をご存じではないかと思います」
「それは我輩にアヤツのために時間も労力も裂けといいたいのかね?見上げた忠誠心だ。あんな人狼にかけてやるほどの労力が私にあるように君には見えるのか。え?」
「いいえ。違います。もちろん、スネイプ教授が煎じていただけるのであれば彼もとても安心するでしょうが、そこまでは言いません。ただ、私に教えていただきたいのです」
そこで初めて彼が顔をあげた。
俺をしっかり見据えるその目は、最初は揺れ、次に呆れ、そして怒りに変わった。
やはり、スネイプは目で語ることが多いようだ。
ある意味わかりやすいと言ってしまえばいいだろうか。日本人の中で生活してきた賜物かもしれない。日本人は他の国よりも表情をつくろうことが上手い。というより、見栄を張ることを美徳としている節があるようで、内心で何を思っていても笑っていたりするのだ。
我慢強いといえば聞こえはいいのかもしれないが、当初はいつも浮かべているその笑顔が気味悪くて仕方がなかった。
まあ、そういうこともあって、人の目をよく見るようになり、観察力もついたと思う。
「ほうほう、君は薬学がどういうものか一年学んできたにも関わらずわかっていないようですな。魔法薬とは微妙な科学と厳密な芸術である。中でも脱狼薬はその最たるを行く。それを一年間学んだだけで思い上がるような輩が、その繊細で緻密な作業をできるとは、我輩には到底思えん。それとも、何かね?君は7年生でも習わないような魔法薬を自分ならできるとでも思いあがっているのかね?なんとグリフィンドールらしい、高慢さだ」
「そうですね。魔法薬学はとても難しい。素人が簡単につくれるものならば、もっと世に出回っているはずだ。それがなっていないということは、これまで何人もの研究者が費やしてきた時間を正確にくみ取ることができるものが少なかったということ。それだけでも、その難しさは推して知るべしといったところですよね」
「ほう、そこまでわかっていて、我輩に教えを乞おうというのか」
「ええ」
「くだらん。先ほども言った通り、我輩には貴様なんぞに構ってやるような時間はない」
「もちろん。わかっています」
「ならば帰れ」
「いいえ。私は指導してほしいと言ったのではありません。脱狼薬の作り方を教えてほしいと言ったのです」
「っ、貴様はわからんのか!思い上がりのグリフィンドールが!」
「私は素人ではありません。なんでしたら、材料をいただければ先生が言ったものをつくって見せましょうか?」
口角をあげる。逆上し、立ち上がっていたスネイプ教授は俺の提案に思考を止めたようだった。今まで激昂していたはずなのに、その瞳が注意深く俺を観察してくる。
さすが、閉心術を得とくしているだけある。
「あ、そうそう!忘れていました。もう一つ、先生に見ていただきたいものがありまして」
「……何かね」
「これ、私が書いてきたんです」
先生に差し出したのはここ数日文献などをあさり自分なりの考察のもと導き出しまとめた論文だ。俺の自信作。ただし、実験はしていないから、考察の域を出ないため論文としては未完成だが。
「『ポリジュース薬における仮説』?」
俺はにこにこ笑いながらスネイプを見る。彼は俺の様子に気味悪く思ったようだが、その論文を開き読み始めた。
読み進めていくうちにスネイプがのめりこんでいくのが手に取るようにわかり、顔がにやけてしまう。
そうだよな。薬学者なら気になる内容だよな。好奇心を与え、その知識欲をうずかせるものであろう。俺もそうだ。これを考えながら早く自分の考察を試してみたくて仕方がなかった。
論文の内容を簡単に言ってしまえば、ポリジュース薬って実はもっと改良できるんじゃねーの?っていうものだ。
ポリジュース薬とは、相手の髪の毛など一部をその薬に混ぜればその相手の姿になるというものだ。
魔法使いも万能ではない。魔法で無機物を有機物にできたり置物を生き物にできたりはする。さらに、一応変身術として人間を動物にすることはできる。しかし、人間を他の人間の姿にすることはできない。まあ、髪や鼻など一部を変化させれる人間はいるけど。
完全に相手の姿になる魔法というのは存在しない。そこでこのポリジュース薬が存在する。作り方はとても難しいが、まあ、材料と知識さえあれば作れないものではない。
ハーマイオニーあたりならさっさと作ってしまえるだろう。
で、俺が考えたのはこの魔法薬、実はまだ発展型をつくれるんじゃないかというもの。
そう考えたのは、じつはこの魔法薬、声までは変わらないのだ。相手と同じ声にならなければ変装は簡単にばれてしまうだろう。それなのに声は変わらない。つまり、女が男になる、または男が女になるとその声音で簡単にバレてしまう可能性がある。
それではこの魔法薬の意味がないではないかとおもい至ったのだ。
そして、この論文である。
材料とその効能から何がほかに必要であるのか。また他の魔法薬の中には声音に影響が出るモノもあるためその材料を銜えたらどうなるだろうか。
材料どうしが影響を及ぼす過程で、ポリジュース薬の本来の目的である姿を変える効能が失われてはいけないから、どの材料は使えないとかそういういろいろな仮定を考慮して考察した論文だ。
あとは実験し検証してみるだけなのだが、それには材料が必要であり、俺はその材料を持っていないためできないのだ。
買いに行ければいいんだけど、あいにくそんな金も持ってないしな。
スネイプは一度すべてに目を通すと、もう一度読み直し始めた。
「どうですか?」
「……誰かの論文を写したのか」
「……え、そこまで疑いますか…」
そこまで疑われなきゃいけないなんて、とショックをうけていると、舌打ちを寄越された。
そして、しばらく何かを考えていた後何かに思い至ったらしくはっと顔をあげた。
「貴様、まさか今までの授業では手を抜いていたな?」
「あ、」
思わず素で声を漏らすと、スネイプの額に青筋が浮かんだ。
「貴様の成績は中の中…。他の成績についても同様だ。そんな貴様がこのような論文を出せるわけがない」
俺は肩をすくめた。
「天才少年になるつもりはないんです。俺の場合すこしズルをしていますから」
「ズル?」
「それについては、また今度。それより、これで教えてくれる気になりました?なんだったら、このポリジュース薬改を作らせてもらってからでもいいんですけど。俺の考察が正しいかどうかを確かめてからでも構いませんよ」
スネイプは俺を舐めるように見た。まるでその目でうそを見抜こうとしているかのようだ。
そういえば、スネイプって日本人でもないのに黒髪黒目だよな。外国では珍しい。
「よかろう」
それはたっぷり、それはもうたっぷり間を取ってからつぶやかれた言葉だった。
「まずはこのポリジュース薬を作ってみたまえ。その出来によって脱狼薬について考えて差し上げよう」
「ありがとうございます。では、先生の都合のよろしい時間に材料をいただければと思います」
「貴様は自分で買おうとは思わないのかね?」
「先生、お忘れですか?俺、奨学金でかろうじてここに通っているような貧乏人ですよ?」
「……ああ、そうだったな」
それからは、今後のことは、先生の予定がわかり次第俺のもとに梟を飛ばしてくれるらしい。教室は使っていいとのこと。しばらくはスネイプの監視のもとで行われることだろう。
まあ、それは全然いい。彼の意見も聞いてみたかったし。
「じゃあ、よろしくお願いします」
日本式で深々と礼をとってみせると、奇妙なものを見る目で見られた。
それから、俺は上機嫌で地下牢教室を後にした。