ふわりふわりと私の顔の前を揺れる大きな尻尾に心奪われる。尾浜様は私に背を向けつつもニヤニヤしながら尻尾を動かしていた。お客様と従業員の境界線がこんなにツラいと感じたことはない。目の前にいるのが野良犬とか野良猫とか、野生の狸だったなら誰の許可もとらずにこの目の前を動く尻尾に飛びついていたというのに、この尻尾の持ち主は、お客様であり、神様である、体の一部。勝手に触ることはできない。

「か、勘ちゃん…夏子ちゃんが可哀相だよ…」
「まぁまて雷蔵、もう少し」

私は今鉢屋様に後ろからがっちり抱きしめられ、身動きが取れない状態にある。それは別にいい。もう慣れたことだから。鉢屋様と不破様の尻尾は先立ってお二人がお泊まりに来られた際に存分に堪能させてもらったのだ。二人の毛並みはふわふわでいてそれでさらさら。毛皮って、こういうもののことを言うんだと至福のひと時を味わったのだ。だけど、目の前のこの別の毛玉は、きっとお二人とは違う触り心地だろうというのはみて解る。竹谷様は毛の質は堅かったが、表現するならもふもふ。久々知様は龍だったから毛に覆われているわけではなかったけど背の毛はとても手触りが良かった。滝夜叉丸と三木ヱ門様、お二人は龍と八咫烏だったけれど、獣の姿の時触らせてもらうのをすっかり忘れていた。人型の時は髪の毛さらさらだったし、きっとあのお二人も手触りがいいんだろうなぁ…。

「夏子は、動物が好きなの?」
「はい…!」

「俺の尻尾も触りたい?」
「…は、い……!」

「うっは!見て雷蔵この夏子の物欲しそうな顔!たまんない!」
「可哀相だって勘ちゃん!夏子ちゃん涎たらす勢いだよ!」

「可哀相になぁ夏子。私の尻尾では満足できないか?」
「嗚呼鉢屋様…!どうかその御慈悲を…!」

「勘右衛門の気持ちが解った夏子のその顔いいな」
「三郎!」


「うああああああああああどうか御慈悲をおおおおおおお!!」


鉢屋様は一度私の手元に尻尾を持ってきてはくれたのだが、御慈悲をという私の顔を見た瞬間その尻尾を引っ込めた。あと少しでもふもふを味わえると思っていたのに!しかも体は抱きしめられてて動けないし!こんな地獄ってないよ!

言うの忘れてた。私は無類の動物好きである。ジュンコちゃんと接することができたから解ってもらえているとは思うが、生き物という生き物が本当に好きだった。転勤族で山暮らし、というのも多かったせいか動物と触れ合える機会が多かったからかもしれない。小さい時は野良猫と戯れ、虫をつかまえ、時には蛇を首に巻き、カブトムシを捕まえ舞い上がっていた頃もあった。野生の狸なんてよく触ってたし。だから今神様とはいえもふもふ三体に囲まれているのにどこ一つとして触れられないというのが、禁断症状が出るんじゃないかというぐらい体に悪影響だ。背にはもふもふ。目の前にもふもふ。その横にももふもふ。もうだめだ。死ぬ。

「あはははごめんごめん!何も涙を流す事ないだろう!」
「これは拷問です…!」
「悪かった悪かった!触っていいz「ありがとうございます!!!!」

許しを得て、目の前に近づいてきたそれに、私は勢いよく抱き着いた。あぁ!これこそ本物のもふもふ!稲荷様方とはまた違う触り心地!!毛は短いけどしっかりした手触り!!硬すぎず柔らかすぎず!!なんて素敵な触り心地なんっでしょう!!!

「ありがとうございます!!!ありがとうございます!!!!」

「夏子はもふもふ病か」
「僕らの時も随分と堪能してたね」
「あぁ、出会った初日に毛づくろいしてもらってな」
「三郎が?許したのか?珍しいこともあったも……嗚呼、そうか、探していた子だったからな」
「そう、私たちがずっと探していた子だ」
「出会えた時は奇跡かと思ったよ」

「夏子」
「はい鉢屋様!!」

「じらしたお詫びに、こんなものは如何かな?」

背でばふんと煙が舞い、私のお尻は畳に落ちた。はて、鉢屋様は何処にと思ったのだが、煙の中から出てきたのは大型犬ほどの大きさにある九尾の狐。

「は、ちや様…!?」

「おぉ!三郎のその姿を見るのも久しぶりだなぁ!」

狐は私が尾浜様の尻尾に抱き着く腕に擦り寄ると、私の膝に頭を乗せて、眠るように目を閉じた。

「狐カフェ…!今此処にあり……!!」

「夏子ちゃん鼻血出てるよ!」
「お気になさらず!生理現象です!!」

これは全て鉢屋様が私を殺すために計画的にやっていること。膝から見上げるつぶらな瞳。腕を撫でる様に動くさらふわな尻尾。嬉しくない、わけがない。こんな天国にいていいのだろうか。しかも、従業員如きが、上級神様三人に囲まれるだなんて…!私はきっと地獄に落ちる定めなんだわ…!こんなに今から贅沢しちゃうから…!

しかしあろうことか、「それじゃぁ僕も」と不破様も姿を狐に変え膝に乗り、私のもふもふ天国はさらにレベルを上げた。鼻血はさっきにもまして勢いを増し、私の両手は勝手に毛皮を求めて激しく動くのであった。クルエラじゃあるまいし、こんなに毛皮に心奪われる日がくるだなんて…。尾浜様もお二人の子の姿は久しぶりだと、不破様の尻尾をふわふわと堪能し始めた。くそっ、私のもふもふ一個奪っちゃって。尾浜様は自給自足してくださいよ。立派な御狸様の総大将なのですから。


「そういえば尾浜様?」
「うん?」

「尾浜様は、隠神行部様と仰られましたね?私、失礼ながら『隠神刑部』というのは、本の中では妖怪と…」
「そう。松山の化け狸、『八百八狸』の総大将。これでも四国最強の妖怪だよ」

不破様の尻尾から手を離しひらりと揺らすと挨拶程度にだろうか、部屋に妖火がいくつも灯った。青白いそれはゆらゆら揺れながら、尾浜様の手の中に再び納まり、まるで手品のようで私は思わず拍手をしてしまった。

「妖怪でも……神様、なのですか?」
「そうそう。俺はあの松山城の守護神だったから。神と崇められながらも、化け物とも呼ばれたんだ」
「……何故です…?」


「そりゃぁあれだよ、仕えていた城でお家騒動があって、俺もその時の城主は正直どうなんだろうと思い始めたから謀反側についたんだ。そんで結局それがバレて、封じられた。厄神と恐れられちゃってさぁ」


「そうでしたか…」
「本末転倒ってこういうことだよなぁ。俺もあの時謀反側につくなんて馬鹿しなきゃ、長い間封じられずにすんだってのにさ」

悲しそうな顔をしてそう話す尾浜様に、その話はやめようというかのように、不破様が尾浜様の膝に乗った。ふわふわがふわふわを抱っこしてる。なんてすばらしい光景だろうか。

「夏子は俺が化け狸の総大将だって言っても怖がらないね」
「へっ?」

「他の蛞蝓はそりゃぁ距離をおいたさ。神ならまだいいが、根本は妖怪だ。自分も化かされちゃたまんないとでも思ったんだろうね。そのせいもあってか随分と此処へも来てなかったし」

「お、尾浜様は良い方ですよ!私のこと、だって、その、稲荷様方と探してくださっていたというお話も聞きましたし…!」


「そうだよ!俺は良いヤツなんだから!あははは!夏子は素直でいい子だなぁ!」


妖怪と人は紙一重。神様と人間だってそうだ。昔は同じ時と世界で過ごしていたというのに、異端な力を持っていたというだけで人はそれを遠ざけた。いい例が伊賀崎様だ。人と関わりたいだけだったのに爪弾きにされて、命を奪れた。尾浜様もそうだったのだろうか。お家騒動があったとはいえ、長く仕えていた相手に不信感を抱くというのは相当の事があったからに違いない。今でこそ守護神と言える存在なのだろうけど、封じられるときは、人に恨みを持って眠らされたに違いない。

「で?誰が封印を解いてくれたんです?」
「雷蔵だよ」

「え?不破様?」

「そう、僕は正真正銘の稲荷だけど」
「私の方は元々妖怪。ただの化け狐だよ」

「え!鉢屋様も妖怪だったんですか!?」

「そうそう。あぁ、これ話してなかったね!僕は元々一尾の稲荷だったんだけど、怪我して動けなくなってる三郎を助けたのがきっかけでね」
「人の姿を知らない私は雷蔵の姿を借り人型とはなったけど」
「僕如きじゃ一匹の妖怪の命を救う事なんてできないから、」
「善法寺様というお方にお力をお借りしたんだ」

「あ、あぁ、ぜ、善法寺様……」

思い出したくもない嵐の中にいたなぁ、そんな名前の神様…。

鉢屋様が元々妖怪だったんて知らなかった。だけどよくよく考えたら、そりゃぁ九尾狐といえば妖怪を象徴する尻尾の数ではないか。いや、まぁ、漫画で得た知識だけど。怪我でぼろぼろになってる鉢屋様を偶然不破様が見つけて、妖怪とはいえ見捨てることはできないと知り合いである善法寺様に頼み込んで鉢屋様の御命を救ってもらったのだという。ただしその命を救うには条件があると善法寺様は指を立てておっしゃられた。

「一度、これと不破の血を入れ替えること。君の血の方が回復力は断然に早い。だけどその症状で君も彼と同じ姿になるけど、構わないね?」

断ることなく了承。一度世界が一転した感覚に落ちたが、気が付いたら尻尾に違和感。鉢屋様と同じ九尾が生え、そして妖怪らしい鋭い爪。目も赤く、自分だけど、自分じゃないみたいと不破様は己をまじまじと見つめた。気を取り戻した鉢屋様はそれに感謝し、一生離れないと決めたらしい。そしてそれと同時に頼みたいことがあると、松山の奥へ不破様と連れて行って、

「それで、不破様が尾浜様を助けた、と」
「そう!久万山の洞窟の中でね。勘ちゃんと三郎は元々友人だったみたいで。僕、命はなんともできないけど、人如きが張った結界ぐらいならどうとでもできるから」

へにゃりと笑ってそう言ったけどいやあんた結界がどうとでもなるって恐ろしいこと過ぎワロタ。

鉢屋様は善法寺様から改めて不破様に御命を救われたという話を聞き、そのお礼に稲荷として二人でこの地を守るようにと命じられたらしい。そして自由を手に入れた尾浜様はひとまず松山の城を寝床に、その地を守る神として生き続けていたとおっしゃられた。恨んだ封じられたとはいえ、その土地への思いは強かったかららしい。

「夏子にはこの気持ち解らないだろう。二人から聞いたぞ、転勤族ってやつだったんだってな?」
「あ、え、えぇ、こんなんだから私、何処が地元と言っていい場所なのかも正直解んないですし……。嫌な思い出もあったりしますしね…」

「帰る場所があるというのは良い事だよ。僕らだって君を探して転々としてたけど」
「そう、最終的にはボロい神社で石造となりあの石の上に座るのが一番落ち着くというのがあるからね」

「あはは、私には解らない感情ですね」

それに今、私に帰る場所という所は存在しない。正しくは、帰れなくなったという言い方の方が正しいのだけれど。まぁここでの生活楽しいし。蛞蝓たちの「いってらっしゃい」と「おかえり」も、案外悪くないと思えるようになってきた。今私の帰る場所はどこ?と聞かれたら、「向こうの世界」と答えるよりも、「五階の寝室」と先に答えてしまうかもしれない。…ううん、それはそれで問題なのだろうけど…。


「夏子は、私が元々妖怪でも軽蔑しないか?」
「しませんよ!あたりまえじゃないですか!」
「ははは、ハッキリ答えてくれるな。お前は本当に良い子だよ」


軽蔑なんてするわけがない。だってこんなにお優しいのだから。


「それじゃぁ聞くが夏子」
「はい?」




「お前、この間の嵐の夜に、誰に抱かれた?」




全身に雷が落ちたように、体の動きが止まった。それは今、一番、聞かれたくなかったご質問だった。


「私達のもとに立花様がいらっしゃった。それも、雷蔵が送った文箱を持ってだ。湯屋の従業員に頼まれたのだと、あの立花様がお前の手紙を持ってきたのだぞ…!」
「そうだよ!挙句の果てに借りは返してもらえる約束になってるって言ってたんだよ!夏子ちゃん、お前もしかして立花様に食われたんじゃあるまいね!?」

「あ、いえ、そ、その、」

「いやいやいや、あの日は雷神も風神も荒ぶっておられた。七松様に食われたか?」
「ちょっと待って、善法寺様は薬にも通じているから恐らく…!」
「案外中在家様も手を…!?」
「食満様だって、安心できんぞ……!!」
「潮江様もいがいと食う時は食うって聞いたことあるしな…!」


「あ、ちょ、え、えと…!」


い、言えねぇ!!!この空気!!誰に食われたとか言えねええええ!!

な、なんなのこの感じ!!あの上級神様方に対する信頼感のなさはなんなの!!い、いや食われたけど!!確かに食われたけどさぁ!!「あのお方は絶対に手は出さないよ!」とかいう意見はないわけ!?食われてる前提っていったいなんなのよ!!


「言え夏子!誰に食われた!」
「やだー!!そんなこと面と向かって言えるわけないじゃないですかーー!!」

「食われたんだな…!?」
「こ、この口がうっかり…!」


うっかり食われた事を肯定するような言葉を口にしてしまい、私の肩を掴んでいた鉢屋様は項垂れる様に畳に手をつき負のオーラを纏った。後ろにいた不破様も残念そうに鉢屋様の背を叩き額に手を当てた。別に私の処女なんて神様にがっかりされるほどの価値ない。今は立花様恨んでるレベルだし。


「…でも、食われたってことは、もう純情失ったわけだし、手を出しても言って事だよね?」

「は、い…?」

「あの方々の次っていうのは正直気が引けるけど、でも俺だって男だからさ、ね?」
「Noooooooooooooo!!」


ね?じゃねぇ!!何してんだこのエロ狸!腰の手を離せ!今すぐに!その目がエロいんだよ!!!


「お離しくださいませ尾浜様私は別にそんな初回を終えたからと誰でも足を開くと思ったらあうsgぢやだsssdmfvそおくぉえfrくぃ!!!」
「可愛いなー夏子!ちゅーしたくなるなー!」


「コラァアア勘右衛門やめろーー!!」
「勘ちゃんそれ以上はダmあsださsdgひだhjs!!」

「ヴォェエエエエエエエエエエエエエ!!!たっけてーーーー!!!」


拘束される腕から逃げようと必死に暴れるのだがこの細マッチョ化け狸様はかなり力があって離れられない。挙句の果てに頬を両手で掴まれ、刻一刻と近づく尾浜様の麗しき唇。くそおおおここまできたらままよ!とガッチリ目を瞑り来るべき時に備えたのだが、


バチチチッ!!と大きな音が鳴り、私の顔を包んでいた手は離れ、尾浜様は後ろに倒れた。



「…へ?」

「え!?ちょ、勘ちゃん!?」
「勘右衛門!?どうした!?大丈夫か!?」



白目をむいて倒れた尾浜様。


何が起こったのか解らなかったのだけど、私の首で、チャリと小さく音を立てたのは、七松様が置き土産に私に下さった勾玉のペンダントだった。








『困った時に役に立つ 大丈夫だ死にはしない』







「………ハッ…!これか…!」

退 

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