お稲荷様ー。おいなりさん作りすぎtうわ、何この落書き!ひどいなこれ!なんでお稲荷様に落書きなんてするんですかね。センスのかけらもあったもんじゃないですねこの辺のクソガキはしつけがなってないですね全く
はい、ピッカピカになったでござるよじゃ、ここにおいなりさんおいときますねーねぇ雷蔵…
ねぇ三郎…
あの子はいい子だね…
僕らを綺麗にしてくれたね…
人間なのに、いいやつだね
また、来てくれないかな
まだ、お礼を言ってないしね。
「こ、これはこれは稲荷大明神様方…!遠路遥々と…」
「堅苦しい挨拶なんていらない。とっとと案内しろ」
「は、ははぁ!こちらへどうぞ!」
「こら三郎。そうやって不機嫌丸出しにするんじゃないよ」
「雷蔵、私はもう疲れているんだ。お前が来たいというから来てやったんだぞ?」
「うん、祭も終わったことだし。そろそろ僕らも羽伸ばそうよ」
「はは、伸ばせるのは尻尾だけだよ」
大きな祭りも終わって、久々に三郎と一緒に大川油屋へと足を伸ばした。
社の中じゃゆっくりなんて出来やしない。こうして尻尾を出して動き回ればすぐ人間にみつかる。そうなる前に、ここで自由に動き回りたい。
九尾もあれば蛞蝓たちに手入れしてもらった方が楽だし、何よりゆっくり温泉に入りたい。
今日は泊り込みの予定で来たんだし、明日になったらのんびりと帰る事にしよう。
入り口の暖簾をくぐり兄役や周りにいた蛙どもが揃ってその場に跪き頭を下げる。そんなことしなくていいから、早く風呂に案内して。大川もそろそろこの方式を止めるべきだと思う。時間の無だったらない。
いつもの大湯に行く途中途中でも、蛞蝓と蛙に頭を下げられる。やらなくていいと言っているのに。
だが、やらずにはいられないのだろう。僕らは稲荷。商売繁盛の神だ。ここで丁寧な接客をしなくては大川油屋は潰れるだろうに。
「わー!おしら様お久しぶりです!相変わらずな白いお肌で!飛びついてもいいですか!」
……丁寧な、接客を…?
「え、…私にお土産ですか?いやいや、だからそういうのは受け取れないと何度も…」
「ウー………」
「……んもう!じゃぁありがたく頂戴いたします!うわーこれはまた立派な大根ですね!どうしますかこれ!煮ますか!焼きますか!」
「…ウー…」
「そうですね!じゃぁさっそく煮てきます!おしら様これからお風呂ですか?じゃぁ出来上がったらお届けしますね!」
「ウー……」
大きな声でおしらと話をしている(?)のは、見たことの無い蛞蝓だった。三郎も突然の声に、そっちの方向に目を奪われていた。
おしらの前にいるのは、僕らより頭一つか二つぐらい小さい蛞蝓だった。
おしらにペコリと頭を下げて、大きな大根を抱えて、よろよろしながらこっちのほうへ走ってきた。
「こら夏子!危ないだろう!前を向いて歩かんか!」
「む!その声は兄役?ごめん今ちょっと前向いてる場合じゃない大根重いどうしよう困ったまじで腕つっちゃうどうしよう!」
ドタドタと大きな足音を立てて、僕らの方を見向きもせずに横を通り過ぎたその子は、そのままエレベーターの方へと入っていってしまった。
僕も三郎も、ただただその子の後姿を眺めていた。
「い、稲荷さま、申し訳ありません!何分新米の小娘でございまして…!」
「…今の、蛞蝓じゃないな………。まさか、人間か?」
「は、はぁ。左様でございます。しばし前に、大川様が直々にここへ招きまして…」
「へぇ…」
三郎の目が、スッと細められた。どうしたんだろう。
行こう、と声をかけられ、僕と三郎は兄役の背に続き、大湯へ足を運んだ。
「あぁー!やっぱりここの薬湯が一番気持ちいいね!」
「あぁ本当にな…。疲れた身体にここはやっぱりいいな…」
九本の尻尾を湯につけずにふわりふわりと動かす。
一本ずつ蛞蝓女たちにブラシを入れてもらい毛づくろいをしてもらう。あー、疲れた。
三郎と釜に腕をかけてうつぶせになりふぅと溜息をつく。
「おしら様ー…?あ、いた!さっきの大根煮れましたよ!熱いのでよく冷ましてから食べてくださいねー!」
パチリ
僕と三郎の目が開く。またあの子の声だ。元気だな。そして相変わらず声がデカい。
そういえばあの子は人間だと、兄役が言っていた。僕らの尻尾を毛づくろいしている蛞蝓たちとは違って、人間だという。…何故人間がこんなところにいるんだろう。
「ねぇ君?」
「は、はい!」
「この声の主は、人間だって本当?」
「は、はい、そうでございます…」
「へぇ、本当に人間がいるんだ…」
神の疲れを癒すための油屋に人間を雇うだなんて、大川は一体何を考えているんだろうか。
「はい!おしら様あーん!」
え?何で?神様にあーんしてんの?何してんのこの子?怖いもの知らずなの?
またよく解らない声が聞こえた。きっと彼女は隣の風呂にいるのだろう。
「……お前ら全員下がれ。その代わりに、人間とやらをここへ呼んでこい」
そう言ったのは、僕じゃなくて三郎だった。
突然のことに困惑する蛞蝓たちを「私の言葉が聞こえなかったのか」と三郎がまた急かす。
珍しいな、三郎が興味を持つなんて。
しぶしぶ、といった様子で蛞蝓たちは僕らの尻尾を手放し釜から立ち上がり、大湯から姿を消した。
その後すぐに近くから「え!私!?」とあの子の声が聞こえてきた。バタバタと走る音が聞こえて、パッと壁から顔を出す。
あ、やっぱりさっきの子だ。
「お、お呼びでしょうか!」
釜の真下まで来て、僕らを見上げるようにその子はこっちを向いた。手に持っているのは小さな包み。
「……お前、人間って本当か」
「あ、はい。私は、蛞蝓じゃなくて、人間です」
「名前は」
「…白浜、夏子と申します」
「……」
「…あ、あの、私に何か御用でしょうか…」
三郎が、何かを考えるようにじっと彼女のことを見つめた。その視線に耐えかねて、彼女は恐る恐る口を開く。
「ねぇ、僕らの尻尾を毛づくろいして欲しいんだけど?」
助け舟を出すように僕がそういえば、「は、はい喜んで!」とさっき蛞蝓たちがおいていったブラシを手に取った。
ペタペタと足音を鳴らし風呂釜を登ってくる。登りきって僕らを視界に入れると、彼女はぐりんと目を見開いて「わぁ、」と声を漏らした。
「もしかして、お二人は、お稲荷様なんですか?」
風呂釜に腰掛、三郎の尻尾から毛づくろいを始めた。
「そうだよ。僕らは稲荷だ」
「やっぱり!尻尾、ふわふわですね……」
うっとりするように手で、三郎の尻尾を撫で、ブラシを通す。
「うわぁ本当にふわふわ…。気持ちいい…」
「君は人間なんだってね?他の稲荷の者に会ったことがないのかい?」
「えぇ、私は基本的に宴会場で料理運んだりしているもので…。あんまりお湯場には来ないんです」
「そっかそっか」
「あ、でも、私の祖母の家の近くに稲荷神社はあったんで、稲荷さまの像なら見たことありますよ」
その言葉を聞いて、気持ちよくて寝ていた三郎の耳がピンッと立った。
「其処が酷く荒れている場所でして、多分近所の子供たちが、そこのお稲荷様の像に落書きしまくってた事がありましてね、」
「その時稲荷の像を綺麗にして社に稲荷寿司を供えたのはお前か!!」
「うおわあああ!!!」
突然、三郎が振り返り、バランスを失った彼女はゴロゴロと音を立てて風呂釜から転げ落ちた。
え、今、三郎、何て…?
「お前なのか!?あの時、私たちを磨き、食い物を供えたのは、お前なのか!?」
「痛ッ!頭痛い!打った!」
「どうなんだ!」
「ひいい!!そうですそうです私です!あの時は100均のタオルなんかで拭きとってすみませんでしたぁああ!!!」
「そうか、やっぱりお前か!見たことある顔だと思ったら…!!お前か!お前なのか!!!会いたかった!会いたかったぞ夏子!!」
「うわああああああ!!全裸あああああああああああああ!!!」
三郎が夏子ちゃんを追うように風呂からザバリと出て、そのまま夏子ちゃんに抱きついた。
まさか、本当に彼女なのか。
「夏子!ありがとう!お前のおかげであの落書きされた身体のまま総会に出なくて済んだんだ!
お前の稲荷寿司のおかげで餓えて死ぬこともなかった!
お前のおかげだ!会いたかった!また会いたかったんだ!こんなところで会えるなんて…!」
「ぎゃあああああああ稲荷大明神様止めてください裸で抱きついてますよ裸です当たってます凄い当たってます離れてください離れてください!!!」
あれは、ちょっと前の出来事だ。
僕らのいた社が、人間の勝手な開発とやらで潰されることになった。
工事の日程が決まり、村の人間たちは僕らの元へ来なくなった。
今まで村を支えてやっていたのは、僕たちなのに。今まで村の人たちを助けてあげていたのは僕たちなのに。
勝手に、僕らの場所を奪おうとした。
僕らは我慢が出来なくなって、工事に来た人間を神隠しにあわせた。
そして、あの社には手出しをさせないようにした。
あの人間たちは今何処に居るんだろうね。日本の何処かにはいるはずだから、安心していいよ。
そして神隠しを何回も起こした。
予想通り、工事はやらなくなったのだが、あの神社は気味が悪いと、更に村の人たちは僕らの社に近寄らなくなった。
祭りも行われなくなり、食べ物も供えられなくなり、空腹が続いた。神とはいえ、食べ物がないと餓えて死ぬ。死ぬといっても、天国の方に逝くだけだけどね。
そして徐々に村の人間の信仰心がなくなり、
あまつさえ村の子供たちが
私たちの身体に落書きをするようになった。
嗚呼、人間とは本当に愚かな生き物だ。
今までこの村を守ってきたのは
誰だと思っているんだ。
ある日、僕も三郎も、もう我慢が出来なくなった。
山火事でも起こしてやろう。
この村と共に、僕らも死のう。
そう三郎と決めたその日、
彼女が来た。
見たことのない子だった。
彼女は、美味しそうな稲荷寿司を持って、僕らの社に訪れた。
始めは、またか、と神隠しにあわせようと思った。
だが、彼女は違った。
バッグから小さなタオルを出し、寒くて凍えるような手で、僕らの身体を拭いた。ゴシゴシと、寒いのに、自分の手もツラいだろうに。
そして、稲荷寿司を供えて、彼女は消えた。
僕らは泣いた。泣いてそれを食べた。
久しぶりに、人間の優しさに触れた。
僕らは村を守るための神だったのに。
山を、村を、人を、殺そうとしていた。
あの優しい人間まで、殺そうとしていただなんて。
僕らは何て愚かなことをしようとしていたのだろう。
そして、お礼を言いたくて、僕らは彼女をずっと探していた。
嗚呼、やっと、やっと君に逢えた。
「…あぁ、そういえば、そんな事もありましたわ……」
「やっぱり、夏子ちゃんなんだね」
「ちょっと前って…もう多分10年ぐらいたちますけど…」
「私たちからすればつい昨日のことのようだよ」
お二人があのときの、と、彼女は僕の尻尾の毛づくろいをした。
「私は稲荷大明神、鉢屋三郎」
「僕は稲荷大明神、不破雷蔵」
「あの時は、本当にありがとう」
「夏子のおかげで、私たちはあれ以上人間を殺すことはなく、鬼になることもなかった」
「夏子ちゃんのおかげで、僕たちはまた人間を信じようという気になった」
「「心から、ありがとう」」
「…いえ、そんな、私の好きでやったことですから…」
ふわり、ふわり、ブラシが通る。蛞蝓の手より優しくて、気持ちいい。
「お前に礼がしたいんだ!何でも言ってくれ。出来ることなら何でもしよう」
「…本当ですか?」
で、では、
そう言って彼女は顔を上げて、
「し、尻尾に抱きついてもいいですか!?」
三郎と僕は、久しぶりに大きな声で笑った。
風呂場に響くほどに、大きな声を出して笑った。
腹を抱えて、笑った。
この人間の側は、何て居心地のいいことだろう。
白浜夏子。
こうして彼女の存在は、僕らの生きる楽しみとなった。