目の前の少女からもたらされた情報に安室は持っていたポットを落としてしまった。
陶器でなくてよかった、と慌てている梓の心配そうな声を遠くに聞きながらそんなことを考える。

「それは…本当、ですか」

なんとか絞り出した声は情けなくも震えていた。しかしそれを気にしている人間は何処にもいない。
目の前の少女──蘭は、安室のそんな声に泣き腫らした目で頷いた。

「千尋ちゃん。学校辞めて、横浜に帰るそうです」




千尋が横浜に帰るのだと蘭に聞いてから数日。安室は千尋の姿を見ることが出来ていなかった。単純に彼女がポアロに来てくれなかったというのもあるが、会いに行く理由が安室には思いつかなかった。

千尋は確かに安室の思い人であるが引っ越しをしている最中に現れても彼女の養母たちに不審に思われるだけだろう。

聞いている引っ越しの日は今日。心此処にあらずといった様子で仕事を熟す安室を梓だけではなく蘭や園子も心配そうに見ている。

「あの、安室さん。大丈夫ですか?」
「……大丈夫ですよ!」

梓の問いに笑顔で答えるが梓は変わらず心配そうな顔をしているのできっと今の安室の顔は酷いものだろう。

千尋は海外に行くわけではない。
同じ日本という国の中にいるのだし、東都と横浜ならば会いに行けない距離でもない。それなのにこうも気落ちしてしまうのはきっと千尋に「ポアロの店員」としか見られていないという自覚があるからだろう。

よく行く喫茶店の店員さん。
安室がいくら彼女に好意を寄せており、それを伝えてきたとしても千尋の中では安室はただの店員でしかない。そんな人間に「会いに来ました」と云われてもきっと困らせてしまう。

はぁ、と溜息を零しつつ仕事を熟す。
カラン、と来客を告げるベルが軽快な音を鳴らした。気落ちしているとはいえ今は仕事中だ。切り替えなければ。そう思いながら出入口に笑顔を向けた安室は思わず固まった。

「こ、こんにちは…」
「千尋ちゃん!」

おずおずと顔を見せた千尋に園子が喜々としながら声をかけた。その声に安室は我に返る。一人で来たのかと彼女の周りを見てみれば、彼女によく似た子供が傍に立っていた。
子供は興味深そうに目を動かして店内を見ている。

如何して横浜に帰ってしまうのか、と詰め寄ってしまいたい気持ちをぐっと堪え安室はいつもと同じ笑顔を千尋に向けた。

「こんにちは、千尋さん。お席は蘭さんたちと同じで大丈夫ですか?」
「あ…はい、お願いします」
「千尋ちゃんには色々聞きたいことがあるの!きっちり説明してもらうわよ〜」
「お手柔らかにお願いします…」

ふん!と意気込む園子に千尋は苦笑いを零している。たった数日見なかっただけでその光景がとても懐かしいもののように見えた。
じっと此方を見てくる子供の存在に気が付いた。誰も触れないが彼女の弟だろうか。最初に千尋のことを調べた時、弟の存在など何処にもなかったのだが。

安室がじっと見つめていることに気付いたのだろう。子供は少し頬を赤くすると彼女にぎゅ、と抱き着いた。

「…どうしたの?」
「んーん…」

もじもじと体を動かす子供の姿は大変可愛らしいし、そんな子供を見つめる千尋の微笑みもとても美しい。仕事が立て込んでいて荒んでいた安室の心が癒される。

席に座ろうとした千尋を見て──安室は違和感を抱いた。あまり凝視できない箇所ではあるが千尋のお腹が若干膨れているように見える。
ちらり、と確認の為園子や蘭を見るがやはり膨らんでいるように見えた。体重の増加によるものではないだろう。

一つの可能性を安室の脳は叩き出した。いやしかし彼女はまだ未成年だ。即座に否定するが、脳裏をよぎった男のことを考えるとその可能性も有り得る。
平然とした顔でお冷を出しつつ安室はそっと口を開いた。どうかこの予想は外れてくれ、なんてらしくもなく願いながら。

「その、千尋さん。違ったら申し訳ないんですが……妊娠、されてます……?」
「え!?」
「……よく、判りましたね」

蘭や園子の驚愕とした視線を受けながら、千尋はそっと頬を赤らめながら安室の言葉に頷いた。可愛らしい。大変可愛らしい姿だが突きつけられた事実に眩暈がした。

「もしかして、あの彼氏さんとの!?」
「……うん」
「……手が早いわね」

しみじみと園子が言う。ふとした瞬間、見せつけるように彼女の首筋に鬱血痕や噛み痕があったのを幾度か見たことがあるので体の関係があるのは知っていたがまさか子供を作ってしまうとは。

警察官という立場から注意を促すべきだろうか。と、安室が考えていると、大人しくしていた子供が飽きてしまったのか愚図りだしてしまった。

「ままぁ、ぱぁぱは?」
「もうすぐ来るよ。だからいいこにしていようね」
「ふえ…」
「……ちょっと待って。まさかその子もなの!?」
「もしかして、学校辞めるのって」
「うん。治くんと約束してたから」

さらりと口にした、あの男との『約束』というものが気になるがこれ以上深入りすると更に傷を負ってしまいそうで恐ろしい。

ふわあ、と可愛らしい欠伸をする子供を膝の上に置き、そっと頭を撫でている千尋の姿に泣きそうになってしまう。のに。これを作り出したというのが自分以外の男という事実が何とも言えない気分にさせる。

盛り上がる女子高生たちと千尋のやり取りを微妙な気分で聞きつつ仕事をこなしていると再度、ポアロの扉が開いた。

「いらっしゃいま、」
「やぁ」

短くそう云って、にこりと笑みを浮かべるのは話題の人間である太宰である。
意味深な笑みを安室に向けた後、太宰は迷いなく千尋の傍へと寄っていった。

「ごめんね、遅くなってしまって。終わったよ」
「有難う」
「千尋も挨拶は済んだかい?」
「挨拶?」

蘭の疑問に千尋が少しばかり悲しそうな顔をした。
引っ越しの挨拶か。しかしそれならば千尋が悲しそうな顔をする理由が見当たらない。

うろ、と視線を彷徨わせた後千尋はゆっくりと口を開いた。

「横浜に、戻るから。多分東都にはあんまり、」

つまりそう頻繁に会うことが出来ないことだろう。千尋につられて安室も自身の眉が下がるのが判った。

「そう、なんですか…」

横浜くらいならば会いに行くのは簡単だ。だが安室が彼女に会うとすればそれ相応の理由が必要で、理由によっては彼女の隣に陣取っている太宰が許さないだろう。
ちらりと視線を向ければわざとらしく笑みを向けられた。

「……千尋ちゃん。落ち着いたら連絡してね、約束よ!」
「横浜くらいだったら会いに行けるから、また会おうね」
「……うん。有難う」

悲し気な顔から一転して、嬉しそうに笑う千尋。太宰は少々不満げだが水を差すようなことはしない。
この流れで自分も会いに行くと言えないだろうか。タイミングを見計らっていると、太宰自然な動作で机の上に置いてあった伝票を手に取って立ち上がった。

「千尋。そろそろ帰ろうか。もう眠いようだし」
「あ、うん」

太宰の言葉通り、二人の子供は千尋の膝の上で船を漕いでいる。
そっと子供を抱き会計をしてポアロを出ていく二人を安室は見送ることしか出来ない。今でも千尋のことは好いているが、あの間に割り込むようなことは無理だ。

ポアロから出ていく瞬間。不意に、太宰が安室を見た。
そのまま彼はは、と鼻で笑って──見せつけるように千尋の体を引き寄せる。千尋は不思議そうな顔をしながらもそれを拒否するようなことはしない。

これは、喧嘩を売られた。

「ねぇ、安室さん。やっぱり…ショック?」
「そう、ですね…。千尋さんに子供がいたのは驚きましたが……千尋さんの子供なら愛せますよ!」

にっこりと笑う安室に園子が黄色い声を上げる。
子供がいるというのは予想外だったが、そんなのは関係ない。絶対に負けない。あらゆる理由をこじつけて会いに行ってやる。
そんな決心をしながら、安室は歩いていく二人を見送った。
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立夏さま、リクエストありがとうございました〜!
冬企画の時は書けませんでしたがとても楽しいネタをいただいて、楽しく書かせていただきました!
安室さんて好きな人(夢主ちゃん)に子供がいたとしても、「君の子供なら十分愛せる!」とか言いそうなタイプだよなぁと勝手に思ってます…( ´艸`)
またリクエスト企画をすると思うので、その時はぜひご参加ください^^
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