上司の命令で結婚することになった。

現在降谷は潜入捜査中で所帯を持つことは不可能に近いというのに上層部はそれを理解していないのか、と呆れたが上司命令だと云われれば従うしかない。

「この婚姻は必ず君の為になる」

弱点を持つことが一体何の得になるのだろうか。
しかしこの話を持ってきた上司は降谷より遥かに上の人間で断ることなど出来ない。渋々頷いた降谷に上司は満足そうに笑っていた。

結婚相手は大方権力者の娘か何かなのだろう。どこかで降谷を見かけ見目に惹かれて結婚を迫ってきているのかと考えると憂鬱になった。

この国を守る為に警察官になったというのに柵が多すぎる。いっその事相手から破談にしてくれないかと、と結婚するにあたっての条件を突きつけた。

式はしない、親族への挨拶もしない。
外では名前を呼ぶな、そもそも近付くな。
仕事で女を抱くこともあるが嫉妬するな、干渉するな。
こちらも干渉することはない。
そもそも自分が恋愛感情を抱くことはない。

など。
女性の部下に聞きながら最低な男になってみたのだが、意外なことに相手は全ての条件を飲んだ。

そんなにも自分と結婚したいのかと一瞬考え呆れたが、どこぞの権力者の娘ならば降谷以上に柵もあるだろうと憐れに思った。

なんにせよ、降谷が夢見ていた温かい家庭は築けそうにないと溜息をつきながら届いた婚姻届に判を押した。





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「抱かれては駄目。触れられても駄目。こうして君に触れていいのは私だけなんだから。判ったね?」

確認するように、縋るように、幾度も幾度もそう云われていたので男からの申し出は好都合だった。


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『妻』と初めて顔を合わせたのは新居に移ってからだった。新居といっても降谷が帰って来ることは殆どないだろうが、それでも夫婦になるのだから立ち会わない訳にはいかない。

妻として立っていた女はとても美しかった。
濡れ羽色の髪、黒曜石のような瞳。雪のように白い肌に赤い唇。そして精巧な人形のような顔立ち。立ち振る舞いも上品で上流家庭の娘なのだろうと容易に予想することが出来た。

──正直、見惚れてしまっていた。
彼女の容姿、立ち振る舞いは降谷の思う「大和撫子」そのままだった。

「よろしくお願いします」

薄く笑みを浮かべながらそう言う彼女。彼女の表情にこれからの生活についての不安は一切感じられない。

望んでいたことが叶い喜んでいるのか、それとも諦めからなのか。今回が初めて顔を合わせる降谷に彼女の感情を読むことは出来ない。

「ああ、よろしく頼む」

彼女と結婚することが自分の為になるのだとあの上司は言った。それが一体何なのか、徹底的に探ってやろうと思った。






彼女との生活は案外上手くいっていた。
仕事もあるし、『妻』のことをバレてはいけないので頻繁には帰って来れないがいつ帰ってきても『妻』は降谷を出迎えてくれた。

「おかえりなさい、零さん」

彼女が作った料理や飲み物を口にすることは無かったが、彼女はいつだって降谷の為の料理を作っていた。

勿体ないからやめろと言っても頑なで、なら帰って来てくださいと言われてしまった。なので彼女との家に帰る頻度を少しだけあげれば彼女は嬉しそうに笑った。

「零さん」

柔らかな声で名前を呼ばれる度、薄い笑みを向けられる度に荒んだ心が癒されていくのを感じた。温かな家庭など築けないと思っていたのにいつの間にか彼女との家が『帰る家』になっていた。

少しずつ言葉を交わして妻のことを知る。
彼女は動物が好きだそうだ。躾が終わればハロを此処に連れて来るのもいいかもしれない。降谷がいない時、きっと彼女の傍に寄り添ってくれるだろうから。

諦めで始まった関係だけれど降谷は妻に『恋』をしていた。






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段々と接点を作り始めている。帰宅してくる頻度もあがっている。面倒だけれど頑張らないと。終わったら沢山甘やかしてくれるって約束したから。


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最初に降谷が並べた条件を律儀に守る彼女は外で降谷を見かけても何でもない顔をしている。ちらり、と自然な動作で降谷を見てそっと目を逸らす。

例え隣に知らない女がいたとしても彼女が何かを言ってくることはない。

それに一抹の寂しさを感じるようになった頃彼女を外で見かけた。赤銅色の髪をした男と仲良さげに話している姿だ。
浮かべている笑みは自然なもので、降谷に向けられている笑みとはほんの少しだけ違っている。

「あの男は誰だ」
「あの男って…。昼間のことですか?」
「ああ、そうだ。……建前上とはいえ、君は僕の妻だろう。ああいう風に男と二人で会うなんてやめてくれ、みっともない」

それは判りやすい嫉妬だった。彼女が困ったように眉を下げる姿にさえ苛立ちが募る。
自分は平然と隣に女を置いて時には抱いているというのに。冷静な自分が頭の片隅で囁いた。

判っているとも。干渉しないと言ったのは此方なのに彼女の行動を制限しようとしている自分は余りにも身勝手だろう。

しかし、彼女に恋する男として自分の知らない彼女がいるのはとても、嫌だった。

「……近々大きな仕事がある。必ず無事で帰ってくるから、君に待っていてほしい。伝えたいことがあるんだ」





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彼の言葉にこの生活の終わりを悟った。穏やかな生活は案外楽しかったけれど何だか落ち着かなかったから漸く見えた終わりに安堵した。

けれども一つ問題がある。
彼が私に向ける目だ。判りやすい好意の視線。恋愛感情を抱くことはないと云っていたのに、中也と会った私を見る目には嫉妬の色があった。

嗚呼、早く帰りたい。


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長年潜入してきた組織を壊滅させる手筈が漸く整った。
秘密裏に用意されたホテルで各国の捜査官たちと入念な打ち合わせをしていると件の上司に呼び出された。何やら降谷に会いたいという人物がいるらしい。

「例の結婚に関するお方だ」

例の結婚に関する人間。ということは妻の関係者ということだろうか。親族への挨拶もしていないので怒っているのだろう。

慎重にならざるを得ないタイミングで何故そんなことを言うのか。上司のタイミングの悪さに溜息をつきたいのをぐっと堪え、その関係者が待っているという部屋へ向かう。

通された部屋で待っていたのは包帯だらけの青年と家で降谷の帰りを待っている筈の妻だった。
何故妻が此処に。確かに彼女の関係者かもしれないが彼女が此処にいる理由にはならない。

降谷が見たことのない白と黒の市松模様の着物を着て、妻は椅子に座る青年の隣に立っていた。

「どうして君が……此処に」
「………だから厭だったのに」

降谷の言葉に答えず、うんざりといった顔で妻が言う。その顔を見るのも初めてだ。
妻の言葉に青年がふふふ、と笑みを零した。

「そうかい?私はとても楽しいよ」
「悪趣味」
「おや。そんなこと云ってもいいの?ご褒美があるのに」
「、意地悪…」

ぷい、と拗ねたように顔を逸らす妻を青年がそっと引き寄せる。引き寄せられた妻の顔が見えたがまるで恋する乙女のようだ。

……今思い出すようなことではないが、降谷は一度も妻に触れたことがないような気がした。あの男はああも簡単に触れているのに自分は許されていないという事実に唇を噛み締めながら平静を装いつつ口を開く。

「僕に用、と聞きましたが何の用ですか。忙しいので手短にしてほしいんですが」
「ああ、ごめんね。君にはお礼を云いたくて」
「……は?」

目の前の青年に礼を言われる覚えなどない。そもそも青年と彼女の関係はは一体何だ。思い当たるものはある。が、それを認めたくはない。
しかしそんな降谷を嘲笑うかのように青年が口を開いた。

「君のお陰でいい息抜きになったみたい。私と結婚する前の練習になったよ、有難う」
「……は?」

練習?自分との結婚生活が?一体其れはどういう意味だ。おれを、だましていたのか。
青年の隣で平然とした顔で見てくる妻だった彼女に詰め寄りたいが、今降谷が優先すべくは私情ではなく組織の壊滅である。

押し黙ってしまった降谷を見て、青年があれ?と言葉を漏らした。どうやら降谷が何も反応しないというのは予想外だったらしい。

「………何が目的でこんなことを?」
「、」
「そうだね。云ってしまえば、君たち──というより君の上司たちからの依頼でね。大切な任務を遂行中の君を面倒な見合いなどから守りつつ護衛をしてくれって」

何かを云おうとした妻を制して青年が云う。力関係としては青年の方が上のようだ。
つまり彼女が降谷に笑みを向けてくれたのは、優しく労わってくれたのは全て仕事だったからという訳だ。

「………なぁ。伝えたいことがある。もう一度だけあの家に戻ってきてくれないか」
「駄目。そんなの私は許可しない」
「貴方には関係ないことでしょう。これは僕と彼女の問題だ」
「関係はあるよ。云ったでしょ、君との生活は私とのこれからの為の練習だったんだよ。云ってる意味判るよね?」

言われた言葉の意味が判らない程愚かではない。
目の前の青年と彼女はそういう関係であるということだ。しかしだからと言ってこの恋心を踏み躙られる謂れは降谷にはない。

彼女を見る。彼女は既に降谷のことを見てなどいなかった。

「なら、どうして。あんな風に笑ってくれたんだ」

ぽつりと呟く。本心からの言葉だった。
彼女が笑いかけなかったら、今のように淡々としてくれていたら。きっと恋などしなかった。彼女と家庭を築いていきたいなんて思いもしなかった。

何と答えたらいいのか考えているのか視線をさ迷わせていた彼女が漸く口を開いた。

「貴方が、それを求めていたから」

嘘だと言いたかった。そんなことはないと否定したかった。
でも言えなかった。事実だったから。

青年が腰を上げる。それに寄り添うように彼女が立つ。自然な動作で肩を抱かれ、彼女は嬉しそうに頬を緩ませた。

部屋から出ていく二人を降谷は見送ることしか出来なかった。
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鈴さま、リクエスト有難うございました!
自分でも中々酷いネタを考えてしまったな、と思っていたのでこれでリクエストが来た時は少し驚きました笑
この後は無事に組織を壊滅させて、次はポトマに潜入した降谷さんが「は!?マフィア!?」ってなる流れでしょうか…
番外編などぼちぼち書いていますのでお付き合いいただけると嬉しいですー!
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