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「無事、李侍郎がお戻りになりましたことをここにご報告します」

既に化粧も落とし、髪も服も戻した彼らは、くたびれた様子で告げる。玉がどこか残念そうな顔をして志津を見た。まだ揶揄いが足りなかったらしい。

「戻してしまったのですか」
「李侍郎が怯えられていたので」
「ああ。見目もそうですが、化粧の香りが駄目だったのでしょうね」

楊修がそう言って頷く。女性を女性たらしめているもの、というのは何も身体的特徴だけではない。香り、という一点でも薫く香や化粧の有無で男女の違いは生まれている。そこから、彼らを女性だと錯覚してしまってもおかしくない。

「それでは私達はこれで。書類仕事の続きをしてまいります」

仕事を強調して志津が言う。そのまま踵を返した志津を、櫂兎はちょいちょいと呼び止めた。

「尚書にご用があるから、少し戻るの遅れるね」

何の用かと志津は眉をひそめながらも了承し、一人仕事に戻っていった。

「用、か。何の用だ」

残った櫂兎に、黎深は鼻を一つならして問うた。櫂兎はそれに、綺麗な笑みを返す。

「お時間頂けるのですね。いえ、少し気になったもので、お答え頂きたくて。
私が何者か、随分と気にしていらしたでしょう? 何か分かったのかなと思いまして」

にこにこと、内心は伺わせない笑顔の櫂兎に、黎深は少し間を空けてから答える。

「お前は、私達を知っている。しかし、私達はお前を知らない。私達ではない私達が、お前を知っているのだろう」

目をぱちぱちとさせた櫂兎は、これはたまげたとでもいうように額に手をやった。

「さすが、黎深」

うーんと感嘆の息を漏らした彼は、今までの笑みとは違った、気の抜けるようなとろんとした表情を浮かべた。

「分かるものだなあ…」

しみじみとそう呟いた櫂兎は、そこで仕切り直しとでもいうように、すっと姿勢を正した。

「では。私も戻らせていただきますね、お時間頂きありがとうございました」

一礼して、櫂兎はその場を退いた。
櫂兎が見えなくなって程待たず、尚書室に残る一同は黎深に注目する。その目は、先ほどの、彼とのやり取りの意味を問うていた。

「あれは、どういう意味ですか」

沈黙に、たまらずといった風に楊修が口を開いた。黎深はそれにぞんざいな言葉を返す。

「そのままの意味だが」

「意味が分かりません」
「どういうことです?」
「さっぱりわからん」
「わからんな」

「あれの素性を、正体を、私達は気にしたが、奴は私達のことを気にしなかった。訊く必要がなく、また、奴自身己について話す必要性を感じていない節があった。話さず、わかっているものとして話をすすめることや、何故知っていると思われること。それを鑑みるに――」

「わからーん! さっぱりわからん!」
「この脳足りんにも分かる言葉でお願いします紅尚書」
「なっ、分かってねえのはお前もじゃねえか!」

ぎゃあぎゃあと喧嘩しだす飛翔と玉を横目に、楊修は訊ねた。

「私は割と、あの男の正体が何かというところは問題としていないのですけれども。結局、あれは放っておいても大丈夫な人間なんですか?」

そういえば、一応そういう理由でさぐっていたのだったかと、騒いでいた二人は口を噤む。さらにその内情に、黎深の私情が混ざっていたのだったが、それは工部から緊急事態だと引っ張ってこられた彼らの至り知らぬところだった。

「何の意味もなく、あれに饅頭屋をつけたと思うか。饅頭屋と一緒ならば、うろつかれてもさほど問題はない」
「ならいいか」
「騒ぎ損ですよ。もうこんな時間じゃないですか」

終わりはあっさりとしたものだった。
解散とでもいうように、それぞれが仕事に戻る。黎深にだけはいつものごとく、仕事の二文字はなかったが。
そうして悠々と黎深が寛いでいるところに、暫く経って絳攸が戻ってきた。その表情はきりりとしている。先程まで、女装した志津達を女性と間違え、拒否反応を起こしぐったりしていたとは思えない切り替えようだ。

「黎深様! 棚夏櫂兎が何者であれ、もう何でもいいですよ! それよりも早くお仕事して下さい!
吏部に回されて溜まっていた書類が、今凄い勢いでなくなっていってるんですよ。このままでは、貴方の印の足りない書類だけが残ってしまいます」
「印など、お前でもそこらのガキにでも、パンダにでも捺せるだろう」
「あ、な、た、の! 印が必要なんですよ! あとさすがにパンダは厳しいかと思います」

真面目くさった顔で言っては黎深に書類を差し出す絳攸。黎深はやれやれと受け取る。

「後宮に迷い込んでいた者の言うこととは思えぬ、見上げた発言だ。なあ、絳攸」

迷わせる原因を作ったのは貴方でしょう、と、絳攸は叫びたくなるのをぐっと堪えた。

「黎深様、お仕事を」

絳攸に促され、黎深は書類に目をやる。渋々と、黎深は印を持ち、渋々に、明らかに牛歩な速度で印を捺しはじめるのだった。


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深海でお米を炊いてきました。
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