09
さて、戻ってきた絳攸なのだが、絶体絶命の窮地に立たされているとでもいうようにその顔色は悪く、部屋の隅でまるまってガクガクと震えている。

「……あの、絳攸殿。私です、私。要志津です」

志津が話しかけるが、絳攸は信じられるわけがないとでもいうような表情で叫ぶ。

「嘘だ! 要官吏はそんな服なんて着ない!」
「着せられたんです…」
「要官吏は男だ!」
「私も、女性になった覚えはありません…」

志津は頭を抱えたくなった。おかしい、絳攸を連れ戻すという任務は完了したはずなのに、ちっとも事件が解決した気がしない。

「ちょっと、涙目になってるじゃありませんの…」

あまりに怯える絳攸に苦笑しながら、櫂兎が絳攸に近寄ろうとする。しかし絳攸は、それを拒絶するように首をブンブンと横に振った。

「近寄るな! 来るな!」

志津と櫂兎は顔を見合わせた。こんな様子の彼に近付けるはずもない。この格好は、後宮で動き回るにはよかったのかもしれないが、絳攸に対してはよくなかったようだ。

「これなら、最初からしゅ…藍将軍に連れ出してもらった方がよかったんじゃないかな」
「確かに」

櫂兎の呟きに同意した後に数拍おいて、志津はあれ、と首をかしげる。
何故櫂兎が楸瑛について知っているのか。確かに楸瑛が後宮に忍び込んでは春を撒き散らしていることは、一部では知られた話ではあるし、彼が絳攸と交遊のあることは広く知られている。だが、色男という噂はあれど、後宮に忍び込んでいることは、外部にまでは漏れていないはずだ。
不思議には思ったが、緘口令が布かれている情報というわけでもない。人の口に戸は立たぬもの、きっと誰かから聞いたのだろう。

「このままというのも何です。この格好を、何とかしてきましょうか」
「だね…」

絳攸を、ちょうど側を通りかかった秋官吏に託し、志津達は奥の個室で着替えることにした。

志津が脱ぐのに四苦八苦している間に、櫂兎はすんなり着替えてしまう。…脱ぐのも、早いらしい。
彼は、鬘は外しているのに、化粧が残っているせいで、妙な雰囲気を纏っていた。男と言い切るには、唇に引かれた紅が目立つ。元々の彼の平凡素朴とでも言おう性質の中で異彩を放ち、どきりとするような、どこか危うい魅力があった。

櫂兎は、脱いだ服を畳み装飾品をまとめた後、胸に詰めていた饅頭を一つ手にとると、パクリと大口でかぶりついた。

「わ、……美味しい」

口に転がり込む肉の角切りに、櫂兎がほろろと顔をほころばせる。味わうようにゆっくり咀嚼して、感嘆の息を吐いた。お気に召したようだ。

「持った感じだとふわふわなのに、結構もちもちもしてるんだなあ。ああー、この生地のほのかな甘さ…葛餡との相性抜群」

自ら帯紐をたどたどしく解いていた志津は、櫂兎の言葉に嬉しそうに笑った。その周りには花も飛ぶ勢いでほわほわとしている。

「そのお饅頭、劉輝様もお気に入りなんですよ。お肉ごろごろで、腹持ちもよくて。棚夏殿のお口にも合ってよかった」
「うん、おいしい。なんかにやけちゃう」

へへへ、と笑う櫂兎に、志津も笑顔を返した、その時。ぴん、と腕がつっぱる感覚がした。

「…おや?動けなくなってしまいました」
「ちょっ、志津さんそれどうしたらそうなるの!」

櫂兎が饅頭を食べているのを見ながら脱いでいたせいか、何がどうなったのか服がこんがらがってしまっていた。腰紐が腕に巻きついてしまって、腕が縦にしか動かせない。うーんうーんと唸りながら志津はなんとか解こうとするのだが、今度は膝の方が動かせなくなってしまう。

「あはは、手伝うよ」

櫂兎は残りの饅頭を口に詰め込んで、志津の服を解きにかかった。

「ああー、上から脱ごうとしてこの紐がここにきちゃったわけか…帯も着けたままだし」
「うーん、すみません…」
「いやいや、初めてなのにやれって方が無茶だよ。むしろ慣れてないってのに一人でさせちゃってごめんね」

楊修に声を掛ければよかったかなとぼやきながら、櫂兎はあれよあれよと鮮やかに志津の服を解いていく。
囚われの身(志津が自分でやったのだが)から晴れて自由となって、志津は宙を仰ぎ、息を長く吐いた。

「女性は、本当に大変なんですね…」
「まあ、あれは女性の服の中でもあまり動かないこと前提で作られている類だから…」

苦笑しながらそう言って、残ったお饅頭三つを包んだ櫂兎は、さて、と髪を掻き上げた。

「残りはあとで食べるとして、お化粧を落とさないとね」


§


すっかりいつもの通りの装いになって、吏部に戻ってきた志津の顔を見た絳攸は、まさに地獄で光をみたとでもいう様子で目を輝かせた。

「要官吏! よかった、いえ実は先ほど要官吏を名乗る女官が追いかけてきて…」

「それ、私です」
「え」

ぽかーんと口を開けた絳攸に、志津は『絳攸が後宮で迷っていたため』という原因一点のみを伏せて事情を述べた。

「尚書から、後宮への潜入指示がでていて、女装していたんですよ。そこの棚夏殿と一緒に」
「なっ、黎深様がっ、いやっ、紅尚書がっ、志津殿に女装をっ、なんて嫌がらせ、いや、あの、間違えて申し訳ありません…!」
「えええ、じゃあもしかしてあの、この世の物とも思えぬ強烈な美女は…」
「やーそんな、美女だなんて照れるなあ」

へらり、と女装時とは印象の異なる気の抜けるような笑みを浮かべた櫂兎に、絳攸が叫ぶように謝る。

「申し訳ない! 俺は、いや私は、とんでもない勘違いを」
「男……男?」

秋は信じられないという風に櫂兎を見た。これがどうなったらあれになるのか、不思議でたまらない。ぼへーっとした顔で穴が開くほど見つめる秋に、志津は苦笑を滲ませながら口を開いた。

「こら、失礼ですよ秋官吏。でもまあ…私も目を疑いましたがねぇ…」

彼の場合、むしろあれで男だと気づく者の方が奇異であるだろう。

「はは…まあ、勘違いは誰にだってあるしね」

褒め言葉として受け取っておくよ、と櫂兎は笑った。


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深海でお米を炊いてきました。
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