白虹は琥珀にとらわれる 05
旺季は去り際、一緒に来ないかと言った。首を横に振る華蓮に、彼は寂しそうに笑い、背を向けた。

深く、深く、息を吐く。室の片付けをするものの、身が入らない。思うのは、この先のこと。
思いの外、彼に対して情が湧いていたらしいことに気付いて、櫂兎は苦笑する。
それも当然だった。彼との付き合いは、もう十数年になるのだから。

彼の空にした茶器を盆に置く。ことりと音がした。櫂兎は瞑目する。
熱心に迫られ求婚されて、それを突っぱね断っておきながら、のうのうとお友達であろうとした自分は、なんと愚かだったろう。自分がそうありたいと思うばかりで、彼の都合なんて考えないで。
自分が傷つきたくなくて、相手も傷つけたくないからと、武器を持つことは間違いだと決めつけて、武器を手にした彼の決意も知らずに、彼の背にある守りたいものにも気付かずに。

彼は、ただ、どうしようもないお人好しで、貧乏籤を引くのが得意な人だった。

それを知った後で、それを否定するのは、至極難儀で、覚悟が要った。


「けれども、俺は否定しなきゃならない」







それは、ようやく片付けを終え、室を出たところでのことだった。


「……へえ、お姫様って天女様だったんだ」


降ってきたその声に、ぞわりと総毛立ち言い知れぬ恐怖を感じる。振り向けばそこには、甘い笑みを浮かべた晏樹がいた。華蓮が動揺をとり繕い、恭しく頭を下げようとしたところで、彼の腕がこちらに伸びた。


「ねえ、これは何の冗談?」


まるで恋人を相手どるように、彼は華蓮の髪を掻き上げた。そのまま下へ、するりするりと指を通しながら、彼は耳元で囁く。


「棚夏櫂兎」


声をあげようにも、それは悲鳴にならず、ひゅうと細い息だけが漏れた。
背中に衝撃を受け、苦しく噎せる。冷たい床と、見下ろす晏樹に、叩きつけられたのだと理解した。

晏樹は「やっぱり殺しておけばよかったんじゃないか」なんて物騒なことを呟きながら、起き上がろうとした華蓮の身体を床に押さえつける。肩に爪をたてられ、華蓮は痛みに顔を歪めた。もがこうにも身体が動かず、見れば服の裾を握られている。今ばかりは、この動くのに適さないふわふわの女官服がうらめしくて仕方なかった。

晏樹は、華蓮の瞳を覗き込むと、菫色のその独特な色に「ふぅん」と呟いた。


「似ているとは聞いていたけれど。本人だったなんて」

「ち、ちがっ」

「何が違うの?」


そう尋ねた晏樹の笑みに、華蓮は息を止める。それは、獣が牙を剥いたような獰猛な笑みだった。


「確かめてあげるから。大人しくしてなよ」


そう言った晏樹は乱暴にも華蓮に馬乗りになり、その腰紐に触れる。かかる体重が、身をよじり抜け出そうとする華蓮を許さない。
華蓮が思い切り蹴り上げた脚は、晏樹に当たることなく空を切り、あろうことか晏樹に掴まれてしまう。彼は華蓮の脹脛に手を滑らせた。


「大人しくしててって言ったのに。いけないなあ」


その口元は弧を描いているが、目は少しも笑っていない。その表情に、華蓮の背筋が凍る。
己へ伸びてくるその手に、抵抗しなければ、逃げなければと考えるのに、身体は時が止まったかのように動かず、恐怖に呑みこまれそうになる。

その時だった。まるで突風が舞い込むように、彼が現れたのは。


「何やってるんですか貴方!」


それは、聞いたことのない、それでいて酷く聞き覚えのある声だった。


「脱がせようとしてたんだけど」

「駄目に決まってんでしょう!」


突然の乱入者に感謝しながら、その声の主に視線を向けた華蓮は目を見開いた。
華蓮は、その人物のことをよく知っていた。その人物が、この場にいるはずがないことも。


「だって君が遊んでくれなかったから」

「俺"で"遊ぶの間違いじゃないですかねえ、っていうか、そんな暇を持て余してたからってなに人の叔母に手出してるんですか!」

「だって君と似てたし」

「あの、俺、そっちの趣味はないので…」

「そういう意味じゃなかったんだけど。むしろそれ、ありえないんだけど。何言ってんの気持ち悪いよ」

「いや、発端は貴方の発言ですからね」


呆れたように、その人物は晏樹に言い放つ。晏樹へのその対応は、酷く慣れた様子で、彼らのこの景色はまるでいつものことのようだった。


「いつ帰ってきてたの」

「今朝ですよ。迎えに行ったら入れ違いだなんて予想外でしたから、これでも急いで戻ってきたんですよ? これから長官に報告しに行くところだったんです」


そうして彼は、華蓮に向き合い、にこりと人好きのする笑顔を浮かべた。


「どうもお久しぶりです、華蓮叔母さん」


そこには他でもない自分が、棚夏櫂兎がいた。


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空中三回転半宙返り土下座
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