「そうだ、セーガ君。これ」
櫂兎は清雅の手をとって、質屋に置かれている鎧の、所有者証明をする木板と証書をぽんと乗せた。
「長官に、差し上げて」
へらりと笑ってから、櫂兎は立ち上がる。
「どこへ行く気だ?」
「後宮に帰ろうかと思って。軒にはさすがに戻れないでしょう?」
櫂兎のそんな答えを聞いて、清雅が仏頂面になったかと思えば、唐突に自分の上着を脱いで櫂兎に乱暴に被す。
「ほわ!?」
「その酷い顔は隠しておいた方がいい」
「さっすがー、セーガ君、気が回る。ばれないように気を遣ってくれてんだ」
てれてれと緩んだ顔で笑う櫂兎に、清雅は舌打ちをする。そんな清雅に、櫂兎は更に笑った。
「えへへ。手拭いと一緒に、洗って返すね」
「手拭いは返さなくていい。洗っても落ちないだろう、それは」
「そう?」
清雅に言われ、櫂兎が手拭いを広げてみれば、確かにそこには化粧品やら何やらがべったりとついてしまっていた。合成洗剤でもあれば綺麗に落ちるかもしれないが、ここ彩雲国での『洗濯』となると、いくら濯いでも元の通りにはならないだろう。
「じゃあ記念にとっておこう」
「何の記念だ」
「女装仲間として意気投合した記念?」
「してない! やめろ!」
清雅は櫂兎を鋭く睨む。あまりの嫌がりっぷりに櫂兎は苦笑いした。
「冗談だよ」
記念にとっておくとすれば、これはきっと清雅の優しさ記念である。そんなことを本人に言おうものなら、きっと否定されてしまうのだろうが。弱ったところに、効いたのだ。櫂兎にしてみれば、確かにあれは、優しさだった。
人目を避け、後宮まで戻ってきた櫂兎は、滞在中の室に入るがすぐさま化粧を直す。衣服の乱れも今一度整えて、外に出られる格好になったところで、胸の饅頭不足に気付いた。応急的に布を包めて詰めるが、いつもと違う感覚で落ち着かない。庖厨所にまで行き饅頭を補充するべく立ち上がった櫂兎は、室を出るついでに洗ってしまおうと、汚れた手拭いを手にとった。
ひょっこりやってきた庖厨所で、いつもの調子で櫂兎が饅頭を頼めば、やけに驚かれ、いつもと違った仰々しい受け答えが返ってきた。不思議に思いながらも、お饅頭は貰えるようなので、櫂兎はその場で大人しく待つことにする。
饅頭を待つ間、どこか落ち着きのない人が、側を行ったり来たりしては、櫂兎に視線をやって、満足そうに立ち去る。それを何度も繰り返されたところで、ようやく櫂兎は自分が見られていることを理解した。珍獣にでもなった気分である。
(そういえば、お饅頭貰いにくるのって、いつもは女装する前の姿だもんなあ)
仰々しくもなるわけである。心なしか、人が集まってきている気もする。
いつものお饅頭を受け取った櫂兎は、騒ぎになる前に、その場を逃げるように退散した。
人目につかない建物の裏にまできたところで、饅頭を胸に詰め、櫂兎は一息つく。やはり、これが一番しっくりくる。
(ちょっと待て? 肉まんを胸に詰めて「しっくりくる」ってどういうことだよ!)
色々と自覚していなかった自分の異常さに櫂兎は衝撃を受けた。数秒後にはけろっとしていたが。しっくりくるものはしっくりくるのだ、それが己の性ならば、仕方があるまい。…何か大切なものを失っている気がしないでもなかったが、櫂兎は気のせいだと思うことにした。
水で洗った手拭いは、涙や鼻水の跡などある程度は綺麗になったが、やはり化粧の跡ばかりは消えそうもなかった。
「はは、キスマークまでついちゃってら」
顔を押し当てていたからか、口紅がうっすらと唇の形でついていた。
もう一度濯いで、よく絞る。この天気だ、外に出しておけば今日中には乾くだろう。
華蓮が室に戻ってきてみれば、いつの間にやら室に訪ねていていたらしい奈津と寧明が、興味津々といった様子で清雅の服を見ていた。…人目につくところに残しておいたのは失敗だったかもしれない。
彼女らは、戻ってきた華蓮に気付き、慌てたように清雅の服から距離をとる。
「おかえりなさいませ、華蓮様!」
「ええ、ただいま戻りましたわ。それで、貴女達? そんなにその服が面白いかしら?」
「それはもうっ」
「寧明!」
目を輝かせ、興奮した調子で拳を握る寧明を奈津が諌める。そんな奈津もどこかそわそわとしている。
男物の上着一枚が室に残っていたのだ。確かに、誤解を招くのも仕方がないのかもしれない。しれない、が。全ては誤解である。もう本当に。
「残念ながら、貴女達が期待したような、或いは想像したようなことは、一切ございませんわよ」
「大丈夫です! 奈津お姉様も私も、口は堅い方ですからっ!」
「本当に、ないのですけれどねえ…」
清雅の服をたたみながら、華蓮は苦笑した。
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