華蓮に関する恋の噂に、またひとつ、新たに加わろうという噂があった。それは年若い御史との、年の差ある燃えるような恋。
口が堅いとはなんだったのか、と華蓮は目を覆った。その上、御史というところまで割れてしまったとは恐ろしい。
なんでも、寧明の話した清雅の服の特徴から、そのような服を着た御史がいたと幾人かの女官から証言がとれたのだとか。皆の記憶力が怖い。
いや、後宮で生きる者にとって、些細なことに注意し記憶しておくというのは確かに必須技能なのだが。こんなところで発揮されるのを見たくはなかった。その名までは、明らかになっていないことだけが救いだろうか。
そんなこんなで、数日後。
その噂の発端になった服も、人目を忍んでばっちり洗濯したので、桃仙宮付近でうろついていた清雅を捕まえてはそれを押し付けた。用事はこれだけだと櫂兎がその場を去ろうとすれば、「おい」と低い声で呼び止められる。ああ、怒っている。これは怒っている。
「噂になっているようだが、どういうことだ」
「あっは、耳が早いことで…」
「始めは女官達の間だけでの噂だったようだが、昨日その噂を拾い聞いた御史がいてな。御史台内に瞬く間に広まった。今では御史なら知らぬ方が珍しいくらいだ」
「何その情報伝達速度」
「お前の案だろう」
「そうでした」
いくら手柄の奪い合いにギスギスする御史台とはいえ、報告連絡相談はやりやすくなければ仕事の効率も悪いだろうと、櫂兎が一事件における指令系統をおくように提案して以来、御史台の組織としての情報伝達能力も向上したのだ。
しかし決して、そんな噂を流しやすくするために提案したのではない。どうしてこうなった。
「セーガ君に借りてたその服、見られてしまってね。その服の話をきいた女官達から、その服は若い御史が着ていたとの証言が出て、この噂さ」
「なんだそれは」
「凄いよねえ、見てるものだよねえ」
ふにゃふにゃと笑う櫂兎に、苦い顔で清雅は告げる。
「噂では俺だとまでは明らかになってないが、長官はすでに勘付かれているようだ」
「わあ」
「正直長官と気まずい」
ぼそりと漏れた清雅の言葉に櫂兎は思わず吹き出した。
「なっ、お前のせいだぞ!?」
「いや、もう、なんか想像がつかなくって。なんだその構図! あははははは」
「笑いごとじゃない! 上司の想い人と噂になっているんだぞ、そんな事実はどこにも無いのに、だ。否定しようにも当人が言うのでは信憑性が増すだけだろう」
「やー、笑ってごめん。あんまりにも状況が似合わないんだもの。そうかあ、気まずいかあ」
気楽そうに言う櫂兎に、清雅は苛立ちをおさえきれず、櫂兎をキッと睨んだ。
「へらへらしていないで、何とかしろ」
「うん。途中で逃げ出しちゃったことも含めてお詫びと、直接会ってお話ししませんかって文を送った」
「……もう、平気なのか?」
「ははは、平気だといいよねえ。ちゃんと会話できるかなあ」
駄目かもなあと、櫂兎らしくもなく後ろ向きなことを呟くのを聞いて、清雅は押し黙る。櫂兎は力なく笑った。
「ひとつ訊いていい? あの時セーガ君が追いかけてきてくれたのって、長官に頼まれたから?」
「…ああ」
「だよねえ」
それきり、櫂兎も黙り込んでしまう。話すこともなくなり、二人はその場で別れた。
「珠翠〜。あれ、いない」
珠翠の室を訪ねた櫂兎は、珠翠の姿を探して室中をきょろきょろと見渡す。そのとき、ふと机の上の書類が視界に入った。それは、張の罪状が出揃い、死罪が決まったことの書かれた書類だった。
「ふぁーっ! えっ、何これ、えっ、えっ?!」
思わず机に駆け寄り、机上の書類を手に取りじっくり中に目を通す。
十三姫の食事に毒を混入させた件を始めとして、兇手を宮内に手引きした、他細々とした罪、計十六件が彼の手によるものとされていた。
「これ、明らかに冤罪でしょう…」
明らかに、一御史が企みできることではない。その癖、その罪状に添え揃えられた証拠はそれなりにしっかりとしたもので、それらが捏造だと証明するのは難しそうだった。
張に罪を押し付け、片付けた上で、それを丸々手柄にしてしまおうという魂胆か。世の中黒すぎる。寧明に伝えたら、また泣いてしまうだろうなと櫂兎はこめかみをおさえた。
刑の執行までに、一月猶予があるのが救いだろうか。何気なく懐に手をいれたところで、『さいうんこくげんさく』は自邸においてきていたことを櫂兎は思い出す。必死に記憶を探り、ことの決着が新月であったことを引き出した櫂兎は、新月までの日数を数えホッと息をついた。兵部侍郎の罪状が明らかになれば、彼への疑いも晴れ、罪状も撤回されることだろう。
(……冤罪、だよな?)
張のほわほわとした顔を思い浮かべた櫂兎は、首を横に振り、不安を打ち消した。
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