青嵐にゆれる月草 35
名を呼ばれた彼は、はっとしたように顔を強張らせ、すぐに逃げるようにしてどこかへ行ってしまった。


「……せっかく再会しましたのに」


彼の今の立場を思うと、仕方がないことにしても残念だった。『櫂兎』の時なら、話は悠々とできるだろうが、副官と侍御史の間柄の、お仕事な話題となるだろう。『華蓮』として、でしか出せない話題があるというのに。ままならないものだと思いながら、華蓮は室への帰り道を歩く。

ある女官の装いした人物とすれ違った時、華蓮は足を止めた。見たことのある顔、しかし知らない女官だった。


「もし、そこの貴方」


華蓮の呼び掛けに、その人物は立ち止まる。華蓮はにっこりと綺麗な微笑みを称えて言った。


「貴方、うちの女官じゃないですわね?」


何のことでしょうかとでもいうような瞳で見られ、華蓮は苦笑した。取り繕おうという魂胆が見え見えだ。何と図々しい、いや、堂々としているというべきか。


「私、女官達の顔と名と所属は全て覚えておりますの」


なんて、言ってはみたものの。さすがに引退後に入った女官達のことは、現在進行形で、覚えている最中だ。
華蓮の告げたそれはハッタリだったが、その人物は上手く騙されてくれたらしい。彼女、いや、彼――陸清雅は、舌打ちしてその場を立ち去ろうとした。


「ああ、咎めようというのではありませんから、お気になさらず」


第一、彼が後宮に立ち入る許可は出ているのだ。しかし、堂々と内部まで入り、隅から隅までくまなく見るともなれば、女官達も身構える。後宮内部に関係者がいれば、察されて隠蔽に走られることも有り得る。

その点、こうして女官に扮するとは上手くやったというものだろう。……秀麗ちゃんに任せるわけにはいかなかったのだろうか。本人も、止む無くで嫌々しているような顔だ。なんてことだろう。


「その女装、よく似合っていますわよ」


取り敢えずで華蓮が褒めてみたところ、清雅には非常に嫌そうな顔をされた。不本意らしい、そんなに女装が嫌か。
常習的に『華蓮』として女装してきた櫂兎としては肩身が狭くなる思いだ。


「お仕事頑張ってくださいましねぇ、可愛らしい御史さん」


からかいの言葉を最後に華蓮が去ろうとすれば、清雅は「待て」と華蓮を鋭い声で引き留めた。


「最近、こそこそと嗅ぎ回っているそうだな。先代の筆頭女官には、もう関係のないことだろう。大人しくしておけばいいものを」

「危ないから気をつけろ、ということですわね。やだ優しい」

「状況を掻き回されるのが嫌なだけだ」

「あらまあ」


くすくすと華蓮は笑う。


「邪魔はしておりませんし、これからもしませんわ。私は、そう、見ているだけ…」


清雅はむすりとしながらも、彼女の言葉が確かに事実で黙り込む。
派手に荒らすような真似もせず、正に傍観している。彼女が独自で何か探っているらしいことにしても、「よく見える位置に移動した」と表現すべきだろう。


「ご忠告、痛み入りますわ。ありがとうございます」


ふわりと極上の笑みを浮かべた華蓮に、清雅は顔を顰めた。相手をし辛い、それが清雅の華蓮への印象だった。







厄介なことになった。そう、珠翠は心の中でだけぼやく。

寧明が落ち着いた様子で戻ってきたことに、珠翠もほっとしていたところの、次の日の朝、その報せは舞い込んできた。
――寧明の身柄の引き渡しを、兵部が要求している。
そこで聞かされた話に、届いた書類に、珠翠は頭を抱えたい気持ちだった。

このようなことが立て続けで、心が摩耗していくのが自分でもわかる。残り時間は、僅かだろう。

要求を跳ね除ける決定をし、そのための書類を作り始める。
途中で、寧明が室に転がり込んできた。兵部からの指示を受けた武官達が、桃仙宮にいた寧明を捕縛しようとしたらしく、仕事もままならず逃げてきたらしい。
そんな寧明にも手伝わせ、書類が仕上がったのは、午刻を回ったころだった。
書類を届けるよう指示を出した後、珠翠は寧明を連れ、後宮を歩き回る。ようやく捜していた人物を見つけて、珠翠はほっと息をついた。


「奈津」

「あら珠翠様。お顔の色がよろしくありませんけれど、大丈夫ですか?」

「私のことはいいのです。それよりも、寧明を暫く頼めるかしら。
それと、彼女を藍家の姫の世話役から外しておいて頂戴。人手も足りているそうだから、代わりの者は不要です」


それではよろしくお願いします、と、そこまで一気に告げた珠翠は、後ろにいた寧明を奈津に押し付けた。

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空中三回転半宙返り土下座
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