楸瑛と別れた三人は、珠翠を先頭に桃仙宮へ向かう。その途中、十三姫は思い出したように華蓮に話し掛けた。
「華蓮さん、よね? 三兄様から文を預かっているの」
「あらあら、耳の早い…いえ、きっと、私が来ると知ってらしたのですわね」
十三姫に差し出された文を、華蓮は受け取り微笑んだ。
「確かに受け取りましたわ。ありがとうございます。妹想いの、いいお兄様ですわね」
「……どうして、そう思ったの?」
「あら。文を貴女に託したとは、きっとそういうことですわ」
ふわりふわりと笑う華蓮は、文をまだ読んでもいないのに、その内容がわかっているかのようだった。
どういうことかと十三姫が問う前に、華蓮は話題を変えた。
「後宮にまで馬を連れてこられた方は、私、初めて見ましたわ。本当にお好きなのね」
華蓮は、鳥の囀りにも似た軽やかな声を弾ませ、十三姫に告げる。
「安心なさってね、離宮の側に、厩がありますから、毎日でも会えましてよ」
確かに十三姫は、馬が大好きだ。特にこの馬、夕影は特別だったが、普通の姫に対してするような話ではない。目をぱちくりさせる十三姫に、華蓮は微笑んだ。
「幾ら貴陽へ向かう道中で護衛とはぐれたからといって、ここに来るまでに人を見繕うこともできたはずですわ。貴陽の藍邸から連れてくるなりなんなり、やりようはあったでしょう。
それですのに、付き人もなしに、この馬のみを連れてきたということは、そんな人間達よりよほど、この子の方が信用できる…この子が貴女の一番の従者ということでしょう?」
さらりと告げられた言葉は、妙に言い得ている。この人は、他人が大切にしているものを、自分のもののように大切に思える人なのだろうと、十三姫は思った。
やがて、桃の林を抜けたところで、珠翠が十三姫に告げる。
「筆頭女官は、全ての女官達の味方です。――これは、華蓮様の言ですが」
くるっと十三姫に顔を向けられた華蓮は「そんなことも言いましたわねえ」と目を細めて笑った。
「後宮に所属する者だからこそ、守れることもございます。貴女の後宮入りが正式なものとなり、位が定まるまでは、仮のものではありますが、女官扱いとなります。
後宮は、女官の意思、権利、安全が侵されようという時、外部からの干渉、外部の者の介入を拒否することができます」
唯一従うのが王意だ。そもそも、この外部からの干渉・介入を拒否できる理由が、後宮は王のための場所だというところにある。
続いて、華蓮も告げた。
「もちろん私も、お力添え致しましてよ。私にできることとなると僅かでしょうが、ここに属さぬ故に、できることもあるでしょう。ご相談くださいませ」
十三姫は、にこり、と笑った。
「ええ。よろしくお願いするわ」
ではいきましょうか、と三人は歩くのを再開する。
「春ならば、ここのお庭の桃の花も望めたのでしょうけれど。花弁がひらひらと散って、池に漂う様は、それはもう美しくって」
桃遊池のほとりを歩みながら、華蓮が話す。彼女の話す光景を想像した十三姫は、まさに華蓮にぴったりな景色なのではないかと思った。
「今は実の成る季節ですかしらね。ふふ、あの木は枝が低い位置にあってのぼりやすいですわよ」
のぼる、という単語に十三姫は目を点にする。この優美な彼女が木登りに勤しむ様など想像もつかないのだが…いや、木の枝に座っている様だけは、すんなりと想像がついた。幻想的な絵面になる予感しかしない。
珠翠が眉を吊り上げ、華蓮に言う。
「華蓮様っ! 何を勧めているんですか! ここの桃の木は、のぼるものではありません!」
「あら。では、釣りのお話をしましょうか? 実は、この離宮を使うからと手を入れることになったとき、お魚をたくさん放流して貰えるようにお願いしておいたんですの」
「普通! 姫君が! 魚釣りなど! しません!」
十三姫は、珠翠の言葉に頬を引きつらせた。
そう、普通。普通、姫君は魚釣りなんてしない。しかし十三姫は普通の姫君ではなかったし、そのことは充分自覚済みだった。
ばちりと目が合った華蓮が、悪戯っぽく微笑む。
「お魚は、上手にお使い下さいませね」
使う? 十三姫は首を傾げる。その言葉の意味を十三姫が理解するのは少し先、離宮で食事が用意される頃のことであった。
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