皇毅が訪ねてくる日となった。珠翠にだけ、そのことを知らせて供人も何もつけずにいつもの室に行く。茶器の準備をし終えた頃に、彼はやってきた。
「お久しぶりですわね、葵皇毅様」
本当に、華蓮としては久しぶりすぎて、彼を何と呼んでいたかわからなくなってしまった。取り敢えずフルネームでいいだろう。長官、と、ふとした拍子にでも口走りそうで怖いなと思いながら、どうぞ、と室の中に招く。
「旺季様を介さないお誘いは初めてでしたから、少し驚いてしまいましたわ」
「こちらこそ、いつ貴陽に来られたのかと」
「ふふ。甥が私を捜しているといいますから、丁度いい頃合いでしたし、こちらから出向いたのですわ。尤も、入れ違いになってしまったようですけれど。あの子はいつ気付いて戻って来ますでしょうね」
もちろん、『華蓮』がいなくならないことには『櫂兎』は戻りようがないがな!!
そんなことはおくびにも出さず、ふんわり微笑みを称えたまま、いつものように紅茶を淹れようとして、手を止める。皇毅が、怪訝そうな顔でこちらを見る。
俺は、以前副官室で紅茶を淹れようか提案した時、すっぱり断られたことを思い出していた。
「貴方は…その、紅茶、苦手でしたの?」
「いえ、そんなことはありませんが。…どうしてそんな質問を?」
「甥に手紙で、貴方に紅茶を淹れることを提案したら断られたときいたものでしたから」
「私は、貴女に淹れて欲しいんです」
「……はっ、はい」
「……」
「……」
なんだそれは。
双方だんまりの微妙な空気に頬が引きつりそうになる。どうしてだろう、今までこんな風になったことなどなかったのに。
取り敢えず先程の返答は、むさい男より可憐な女性の淹れるお茶の方がいい、くらいの意味だろう。
そこまで考えて、くすりと小さく笑ってしまう。『櫂兎』としては鬼長官な彼ばかり近頃見ていたから、お茶は女性に淹れられたいなんて皇毅が言うのが少し意外だった。
彼にも、それなりに人間らしいところがあるではないか。「人間らしい」というよりは、「俗っぽい」かもしれないが。そして、皇毅の言うその『女性』は実際は男なのだが。知らぬが仏だ。
そこまで考えてから、ある別の可能性に俺は気付く。気付いてしまう。
(いや、まさか。…いや、でも)
堅いイメージの真面目な彼からやっと垣間見られたと思った、普通の一面。これが勘違いだなんて思いたくない。しかし。
(もしかして、もしかしなくとも、『櫂兎』が、長官に超嫌われてんじゃないの!?)
少なくともお茶を淹れられたくないと思われるくらいには。
(『華蓮』を指したのも、それだけ俺――『櫂兎』の淹れるお茶が嫌だとか。……なんで?! 毒なんていれないのに!)
自分で副官にまで指名しておいて、信用ないなんて辛いなあとしょんぼりしてしまう。俺は結構、苦手意識も減ってきたところだっていうのに。寂しいなあ。
ここに第三者がいれば、鈍い、と突っ込んだであろうところだが、悲しきかな室には二人きりであった。
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bkm