早朝。今日の予定を告げに珠翠を訪ねる。出迎えてくれた珠翠の笑顔にどこか疲れがみえるのに気付き、俺は今日の予定をまるきり変更することにした。
「珠翠、あなたは休んでいなさい。本日は私が貴女の仕事を代行致しましょう」
「ええっ、しかし」
「何らかの理由で、現筆頭が職務を行えぬ時、先代筆頭が代役を務める例は過去にいくつもございますわ。平時でない場合や長期となると王による承認と任命が必要ですが、特別な行事もない一日二日のことならば、事後報告でも問題ありません」
「私は決して職務を行えぬ状態では…」
困惑の色を浮かべる珠翠の頭をぽふぽふと撫でた俺は、その後彼女の髪飾りをぽいぽい抜き取って、結紐を外した。波打つように髪が広がる。何をしているのかと驚きに目を瞬かせている珠翠は、とても可愛らしい。まるで小動物でも撫でるように、彼女の髪をわしゃわしゃと撫ぜた。
「ほーら、そんな髪じゃ室から出るわけにもいきませんでしょう? 室から出なければ、職務はできませんわねえ。
と、いうことで、今日は室で一日ゆっくり過ごすこと、ですわ」
人差し指を振って告げれば、迷うような仕草を見せるので、ね? と言い聞かせて問答無用で寝台まで押していく。
「急ぎやらねばならぬことはあるかしら?」
「藍家の姫の身の回りの世話をする者の手筈の最終確認を。彼方から何人も伴って来られるとは思いますが、それに関しての彼方からの連絡もございませんし、此方が誰も用意しないわけにも参りませんから」
「分かりましたわ」
「……あの、華蓮様、このまま眠っては服がしわになってしまいます」
「着替えるのね? 手伝いますわ」
「もう、昔とは違うのですから!」
余計なお節介だったらしい、室から追い出されてしまった。
そう、昔とは違う。"暗殺傀儡"、兇手、人形のように、狭い世界で生きていた頃とは。着替えだって一人でできるし、笑顔の作り方だっておぼえた。他の世界の何もかもを、知らなかった頃とは違う。違うんだよ、珠翠。
彼女が着替え終えたか尋ねてから、室に戻る。彼女は化粧も落とし寝台の上に座していた。
「眠れてないのは、いつから?」
ぴくり、と彼女の肩が跳ねる。怒っているわけではない、脅かしたいわけではないのだけれどなあ。
「心配、してるんだ。もっと、自分を大切にしてほしい。珠翠を大事に思っている人間のことを、忘れないでほしい。
……とはいえ、この忙しさは、ただでさえ慌しい時期に、俺が来ちゃったのも関係してるよね。考えが足りなかった、ごめん珠翠」
「そんな、櫂兎さんの、せいでは…」
彼女の顔の前に人差し指を立てて、それ以上の言葉は言わせない。
「……貴女が眠るまで、ここにいます。お午には起こしてあげますから、それまで寝ているといいですの」
「華蓮様…」
「ほらほら、寝る寝る」
寝台をぽふぽふ叩いて催促すれば、珠翠は苦笑して寝所に入る。くすぐったそうに目を細めて、やがて目を閉じた彼女は、程なくして寝息をたてはじめる。子守唄を歌う間もなかった。
「おやすみ、珠翠。いい夢を」
暫く寝顔を眺めてから、室を出た。
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