さて、今日一日、華蓮が珠翠の代理を務めるということは女官達にあっさり受け入れられた。予想がついていたとはいえ、苦笑せざるを得ない。いいのかそれで。
藍家の姫の後宮入りに関する手筈は、奈津が詳しいというので早速彼女を訪ねる。
珠翠が全体の指揮や監督、所謂脳や目だとすれば、彼女はこの件で、珠翠の目から見えた全体像を元に、不安のある部分に臨機応変に回り手を貸す、手足のような役目を担当していた。
藍家の姫の身の周りを担当するのは、女官達のなかでも後宮での生活が長く仕事に慣れている者が中心のようだった。奈津に貰った名の控えを見ていれば、寧明の名を見つける。彼女から、確認にあたろうか。
彼女の居場所を尋ね、こちらから出向いたところ、非常に動揺させることになってしまった。この後のほかの者達は室に呼ぶ形にさせてもらおう…。
一通り内容確認が済んだところで、寧明に、俺が藍家の姫の話し相手になるつもりであること、それ故に彼女の室まで度々訪ねるかもしれないことを告げた。
「お世話になる機会が増えるかもしれませんわね、よろしくお願いしますわね」
「はいっ、華蓮様っ!」
ぴーんと背筋を伸ばして彼女は威勢良く返事した。なんと頼もしい。
その後のほかの者達も、確認はすんなりと済んだ。
きりもいいところで、影の短さに太陽が高い位置にきていることに気付き、珠翠を起こしに一旦室まで戻ることにした。
「珠翠ー、おめざの時間ですわー!」
ばーんと扉を開け、さて寝ている珠翠を揺すり起こそうかとしたところで、伸ばした手を止める。呼吸音に耳をすませてみれば、寝息にしてはペースが速い。布団を被って目は瞑っているが、これでは、彼女が寝たふりでもしているみたいではないか?
「……珠翠?」
もちろんのこと返事はない。が、少しだけ身じろぎした。……起きてるよね? 起きてるよね、珠翠。
「眠り姫は接吻で目覚めるようですけれども、珠翠の目覚めにも必要ですかしらね?」
「せせせせ接吻!?」
パチッと目をあけ勢いよく起き上がった珠翠は、顔を真っ赤にしてこちらを必死の形相でみた。
「嫌ですわねえ、珠翠。いくらなんでも、貴女に断りもなく唇を奪う筈がないじゃないですの。初めては大事な方のためにとっておきなさいな」
それに俺のファーストキスは妹に売約済みだからな! 悲しきかな妹には返品返品叫ばれてるけど。
「ところで珠翠。貴女起きてましたわね?」
「ううっ…一度は、眠れた、と思うのです。けれども、すぐに起きてしまって、それからは、眠れなくて」
「……目を閉じているだけでも、寝ないよりは数倍良いんですのよ。確認作業も済みましたし、午後からは私もここで業務を行いますわ。だから貴女はお布団と仲良くしてなさい」
「布団と仲良く…」
珠翠が神妙な顔でそこを復唱するので、思わず吹き出してしまった。
「なっ、元はといえば華蓮様がおっしゃるから!」
「ふふふ、そうですわねえ。じゃあ、私は書類と仲良くしますわね」
「もう!」
珠翠はからかわれて頬をふくらます。あー、可愛い。可愛くてたまらない。へらへら笑って撫でていたら、誤魔化さないでくださいと叱られてしまった。
「ごめんごめん。あんまりにも珠翠が可愛いから」
「……本当に、私に、甘いのですから」
「娘を甘やかすのは『お母様』の特権でしてよ」
おーっほっほと笑ってみせれば、懐かしそうに、嬉しそうに、珠翠は目を細めた。
持ち込んだ書類は、申請書の類や嘆願文が多かった。華蓮に面会することが目的のもののようで、頬が引き攣る。後で全部突っ返してやらないと。文は燃やそうか。
「あら危ない」
「どうしましたか?」
「いえ、間違えて大事な文までくだらない文と一緒に燃やすところでしたの。しかし、やっときましたわねえ。全く、姫と手紙と、どちらが先かと思いましたわ」
それは、近日中に面会したいという皇毅からの文だった。
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bkm