「あ、頭痛い…くうう」
目覚めてすぐにガンガンと響くような痛みに襲われ、櫂兎はこてんとその場に転がる。
「お前がそんなになるなんて、珍しいな」
「だよなあ。俺もびっくり。水欲しい」
「ほら」
「ありがと」
隼凱から水を受け取り飲む。結局自分は、あのまま寝て朝まで泊まり込んでしまったらしい。酔いも相まって妙に変なことを口走っていた気がする。
「そういや、瑤旋は?」
「用事だと」
「そっか」
ふう、と櫂兎が一息ついたところに隼凱は言った。
「剣振っていかね?」
「……もう2年くらい振ってないんだけど」
「太白の奴が泣くぞ」
「うっ…二日酔い…」
「よいどれで羽林軍の両将軍を伏した奴が何言うとる」
「…今じゃなきゃダメ?」
「駄目とは言わんが、したらお前さんいつ来るんだ」
「確かに。…素振りだけ隅っこでさせてもらおうかなあ」
櫂兎は隼凱に着いていく。稽古の開始時刻にはまだ早い時間帯だが、ちらほらと自主稽古をしている者たちが見えた。
「お。おはよう、楸瑛。久しぶりだね」
へらり、と櫂兎は笑いかける。対する楸瑛も微笑みかけたところで、櫂兎からする酒の匂いにぎょっとした。
「うわっ、酒臭っ。何です、自棄酒でもしたんですか」
「あはは…」
「まさか、宋太傳に付き合わされて…? ご自愛くださいよ、というかそんな状態でよく剣振る気でいますね!?」
「久しぶりに。半刻だけ」
そう言って櫂兎は剣を借りる。
正眼に構えると、真っ直ぐに振り上げ、振り下ろす動作を繰り返す。久しぶり、という割にその動きは慣れたもので、身体に染み付いているようだった。
何度繰り返した頃だろうか。櫂兎はぴたり、とその動きを止めた。流れ落ちる汗を拭い、深い息を吐く。楸瑛は手拭いを手渡した。
「お疲れ様です」
「さすが色男、気が利くんだから。そうやっていつも誑かしてんの? ん?」
「棚夏殿…」
「冗談だよ、冗談。ありがとう」
洗って返したほうがいーい? と訊く櫂兎に構いませんよと楸瑛は苦笑する。
そのままのんびりとしていた櫂兎は、突然「ああ」と声をあげた。
「今日貴陽を出立するんだった」
「はい?」
借りていた剣を返し、それじゃ、と手をあげ悠々と櫂兎は去っていく。
「えっ、出立?! 今から?! 何処に!?」
楸瑛の叫びとも問いともいえるその言葉に、櫂兎はひらひらと手を振るだけで答えなかった。
「さーて準備はこれで良し。あとは文を出して…」
予定としてはこうだ。これから貴陽を出て、日をみては女装して貴陽に戻り、あとは王宮に行き後宮の珠翠を頼る。珠翠には、暫く後宮に滞在できるよう、すでに頼んである。
櫂兎は華蓮を捜しに紅州に向かう、それと入れ違いに、藍家の姫が後宮入りするという噂と櫂兎が自分を探していることをきいて華蓮が貴陽に来る、というシナリオだ。
「そういえば、『牢屋で死んだ幽霊』が出るんだっけ」
今日から暫く過ごす予定の宿に向かいながら、『さいうんこくげんさく』を広げていた櫂兎は呟く。それに、珠翠のことも。
頼ってねとは言ったが、彼女は頼ってくれるだろうか。
一人で大抵のことはこなせてしまう、器用な子だから。抱え込みやすい、優しい子だから。きっと彼女のことだから、迷惑を掛けるだなんて思っているのだろう。愛しい彼女に掛けられる迷惑は、むしろ自分にしてみればご褒美のようなものだというのに。
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bkm