緑風は刃のごとく 79
入ってきたかと思えば、どこか惚けた顔をしている櫂兎を不審そうにみていた皇毅が、彼の持っていた壺と重箱に目をやり、片眉をあげる。


「おい」


皇毅の呼び掛けに、櫂兎ははっとして背を伸ばした。


「失礼しました。榛淵西に付け届けられた物に毒が混入されていたことが判明致しましたので、ご報告に参じました」


それから、櫂兎は自分の集めた情報を伝える。届けたという侍童の特徴については、あまりの情報の少なさにか聞き返されたが、分からないものは分からない。こっちだって知りたいくらいだ。
櫂兎の持ってきた壺と重箱に関しては、人員を割いて中身をあらためさせることとなった。そこで重箱と壺を置いて出て行こうとした櫂兎を、皇毅が引き留める。


「証拠は預かる。が、壺は返してこい」


その出処から面倒ごとになる、と、どこか呆れを含ませた顔で告げられ、櫂兎はここでもかと苦笑いする。


「どこか魚をいれておけるいい場所はありますかね」

「そこでいい」

「……魚臭くなりますよ」


そう言いつつ、指された水瓶に魚を移す。
用事はそれだけかと言われ、半ば追い出される形で櫂兎は副官室へと戻された。


戻ってきた副官室では、沃が邑と一緒に甘煎餅を食べていた。沃に渡される甘煎餅を、幸せそうにちまちまと齧る邑は小動物のようだった。


「おや、用事は済んだんですか」


どこか機嫌がよさげで穏やかな顔をした沃が問う。これが甘煎餅パワーかと櫂兎は苦笑いしながら頷く。


「おかえりなさい!」


先程までの怯えていた彼の影もない、はつらつとした笑みを浮かべた邑に櫂兎はほおをゆるませる。


(多めに焼いてきてよかった、ついでに朝のうちに貘馬木殿に食べられすぎなくてよかった……)


お弁当用のおかずを容赦なく味見された結果、三人分だったはずが一人分に仕上がってしまったあの時のことを、櫂兎は忘れてはいない。


「さ、棚夏殿はお仕事をなさいます。貴方も怠けていないで何か出来ることがないか探してきなさい」


甘煎餅を催促する邑の手を押し戻し、沃が言う。こうしていると年の離れた兄弟のようにもみえる。


「むう」

「かわいこぶっても駄目なものは駄目です。早く行かないと窓から打ち捨てますよ」

「いやそこまでしなくとも」


邑が怯えている。しかし沃は容赦がなかった。怖がる素振りをみせる邑を、笑顔で副官室から引き摺り出していった。
そうして副官室を離れ、邑と幾らか言葉を交わした後、邑が書類を抱え何処かへ行ったのを確認した沃は、いつもの場所で寛ぎだした。その姿に、仕事熱心なのかそうじゃないのか掴めないなと思いながら、櫂兎は副官室の扉を閉めた。
さて、仕事をするんだと言われてしまったからにはせざるを得ない。先に壺を返しに行きたかったなと思いながら、櫂兎は机に向かうのだった。







時は少し遡り、場所は副官室。
長官室へ櫂兎が入ったのを確認した沃が、甘煎餅の包みを開く。邑がそれを物欲しそうな顔で見つめた。


「さっさと出て行きなさい。大体なんですかあのわざとらしい態度」

「それ、くれたら考えます〜」


甘えたような声でそんなことをいう邑に、沃は溜息をついて、甘煎餅を一つ与えた。邑はわあいと受け取り、先程の態度について述べる。


「ここでは、僕は可愛いこちゃんで通っているのです」

「阿呆らしい」


ここでは、か。と沃は彼の言葉の意味を読み解くべく思考を巡らせる。邑は、沃が刑部の知人から紹介され、こちらに連れてきた侍童だ。それを踏まえるなら、刑部では彼の扱いは違ったということだろう。そこではどうだったというのか、沃は知らないが、知人の変人具合や刑部の特殊性をきっとろくなものではないに違いない。
沃のその言葉に、不満だとでもいうように邑は頬を膨らませた。


「あの人が怖かったのは本当です〜、何ですあの得体の知れないひと」

「……さあ、何なのでしょうね?」


あの桃の香りを振りまく男の出生については、知ろうとすれば消されるということだけなら有名な話だが。…それを抜きにしても、彼に関する事柄は、不気味なほど知られていない。

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空中三回転半宙返り土下座
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