緑風は刃のごとく 80
邑が空になった手のひらを沃へと見せ、追加の甘煎餅を催促する。ぺちりとその手を払いのければ、彼は沃の袖を引き、あーんと口を開けて尚催促してくる。


「甘えないでくださいよ、気持ち悪い」

「甘えたい盛りの子供なんです〜」

「子供は自分でそんなことは言いません」


やっていることは雑用ばかりの侍童とはいえ、ここ御史台に出入りをする者だ。単純な性格ではない。こんなに小さいのになと、沃は目の前の可愛いのか可愛くないのかよく分からない生き物の口に甘煎餅を放り込んだ。餌付けでもしているような気分だ。
思えば、邑は子供という立場の恩恵を受けられるよう上手く立ち回ってばかりであった。それが彼なりの処世術なのだろう。その計算高さを活かせば、大人の中にも立っていられそうなものなのだが、不思議と守られる側にばかりいる。一体何を怖がっているのやら。


「僕は、僕の持っている手札を有効活用しているだけ、ですよ」

「はいはい」


調子に乗って次を催促する邑の口を閉じさせ、手に甘煎餅を握らせると上機嫌で食み始めるあたり、中の性質はまだまだ子供のようだった。

自分も一口、甘煎餅を齧る。香ばしい味わいに、自然と頬が緩んだ。食べる、という行為に喜びを感じるなど今の今までなかったため、この感情のおこりは自分でも不思議だった。


「へー、沃さまもそんな顔するんですね。甘いものお好きなんですか」

「別に……果物は、たいして美味しいとは感じたことありませんし」


桃は特に、あのくせっ毛の得体の知れない桃男を思い出してしまって苦手だ。どうにも、あれとは相容れないところがあるというか、苦手なのだ。あれを得意な人間もいないとは思うが。


「じゃあ、砂糖菓子がお好きなんですか?」

「さあ。普段食べませんから」


肩を竦めた沃に、邑は次の甘煎餅を催促しながら話す。


「甘いものでしたら、張さまがお詳しいみたいですよ。女官さんお手製のお茶菓子で、舌は肥えていらっしゃるでしょうし」

「女官? ……ああ、それで出入りしているのですか」


外朝から後宮への抜け道は、隠されているとはいえ意外と多い。そして、そのうちの一つを御史である張が利用しているというのは知った話であった。
後宮という場の自治的な性質も相まって、害意のない侵入ならば基本後宮側が対処するのが慣習だ。後宮の女官に官吏が懸想し通うというのは何時の時代にもあることで、侵入についても割と見て見ぬ振りされていることが多かった。とはいえ、褒められたことではないのも確かで、程度が過ぎると処罰も下るようだが。

そんなことを考えていると、長官室に続く扉が開いた。室に入った時と違って風呂敷は手にしておらず、壺だけを手に戻った櫂兎が、戻ってくる。
そういえば、彼も後宮に無断でよく侵入していたのだったが、案外この甘煎餅の出処はそこなのかもしれない。


「おや、用事は済んだんですか」


沃の顔を見た櫂兎は、沃が甘煎餅を手にしているのに苦笑しながら頷いた。「おかえりなさい」と邑が妙に元気に駆け寄る。
そんな邑に、目に見えて頬を緩めた櫂兎に、沃は 騙されてますよと心の中で呟いた。

「さ、棚夏殿はお仕事をなされます。貴方も怠けていないで何か出来ることがないか探してきなさい」


櫂兎の元から戻ってきた邑が甘煎餅をねだるが、沃はその手を押し戻す。「むう」と頬を膨らませる邑には愛嬌があるが、これがわざとだと知っている沃にはきかない。


「かわいこぶっても駄目なものは駄目です。早く行かないと窓から打ち捨てますよ」


邑が怯えた風な顔をするがこれもわざと。縋るような演技をしても駄目だ。そこまでしなくともと止める櫂兎を笑顔で制止して、副官室から引き摺り出す。


「いじわる」

「演技の癖してよく言えますね、さっきの怯えるふりだって」


震えるのと震わせていることの違いくらい沃からすれば一目瞭然だ。
邑はええ? と白々しくとぼけたあと、書類置き場の近くにあった他部へ届ける書類を抱え、沃に一つ笑顔を添えて告げた。


「その方がかわいいでしょう? か弱い愛玩動物のようで」

「何というか……君は、苦手な種の人間です」

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空中三回転半宙返り土下座
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