沃と晏樹の二人は、櫂兎達に気付き、お互いへの警戒心はそのままに櫂兎達へと視線を向けた。
「ぴゃーっ」
邑が櫂兎の後ろに逃げこんだのを見て、沃は晏樹に聞かせるように大きな溜息をついた。
「侍童が怖がっていますよ晏樹様」
「え? それって君のせいじゃないの」
晏樹は、にこにこと悪びれもしない調子で、それでいてどこか棘を含むような物言いだった。
「おかしいですね、私はこれでも子供には好かれるたちなのです。怖がらせているのは晏樹様ではないですか?」
白々しく言う沃の言葉に説得力はなかった。
っていうかどっちも怖えよ!
「失礼だなあ君は。怖いのは君だろう。
……だよね?」
「ご冗談を。貴方が怖がられているに決まっています。……ですよね?」
肯定しなければ後が怖いぞというような、脅しにも似た目を向けられた櫂兎達。思わずこっちに振るなよ! と大声で叫びたくなるのをのみこんだ。自分はともかく、こんな視線を向けられては邑が心配だ。そう思い小さな彼の方をみると、邑は涙目で櫂兎の背中に抱きつきながらも、何かを決意したかのように、すうと息を吸って言葉を発した。
「室が思いの外暗かったもので、そこの棚の木の目の模様が物の怪の類にみえたのです。お二方が理由ではございません、ご心配おかけしました」
その声は震えていなかった。彼を褒め称え、苦労を労いたい気持ちでいっぱいになりながら、うんうんと櫂兎も首を縦に振る。
「隠れたままなことには目を瞑ってあげる」
邑がびくっと跳ねるのが背中越しによく分かった。まだいじめるかと呆れながら、櫂兎もその場をおさめようと口を開く。
「理由も分かりました。さて、晏樹様はなぜここへ。申し訳ありませんが、私は今から長官を訪問する予定です」
「来たかったから」
「お帰り下さい」
あほかと思わず口に出しそうになっておさめる。もうこの人の相手はしたくない。
えー、と口を尖らせる晏樹をしっしと追い払い窓を閉めると、彼は珍しく素直に帰っていった。
「やけに手慣れていますね」
「慣れたくないです」
櫂兎を見て、ふふと沃は笑った。続けて、きいてもいない理由を教えてくれる。
「私は例の約束の件で」
「あれっ、もうそんな時間ですか!?」
鐘の音を聞き逃したかなと焦る櫂兎に、沃は首を横に振った。
「甘煎餅が待ちきれず来てしまいました」
子供か。そして彼が待っているのはお茶会ではなく甘煎餅なのか。あくまで彼の目当ては甘煎餅なのか。
そっと目頭をおさえて、櫂兎は持ってきていた甘煎餅の包みを手渡した。
「お先に食べていて下さい。何ならそのまま持ち帰ってしまってもいいです、残さなくていいので」
包みを受け取った沃が、あまりにもいい笑顔をしたので櫂兎はそっと考えることをやめた。
壺と重箱を改めて手にし、櫂兎は本来の目的地である長官室へ続く中扉へ向かうことにする。
櫂兎の視線の先をみて、なるほどというような顔をした邑は、率先し中扉を開けてくれた。そんな彼の働きに、ドアマンみたいだと櫂兎は思った。
邑は、長官室へと踏み込む櫂兎の背を優しく押した。……長官室へと押し込まれたともとれるが、それについては深く考えないでおこう。背後で扉が閉まる音がして振り向くが、今度は彼はついてきていなかった。
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