「ああ。なんていうか、話せてよかった、っていうか。きけてよかった…」
鈴将の去っていった方向をみつめながら、櫂兎はほっと息をついた。邵可は櫂兎の側に戻ってきては、優しい瞳で彼をみつめる。
「ね。きっと私のお茶を飲んだお陰だよ? 感謝してくれてもいいんだよ、櫂兎」
まるで己の功績のように話す邵可に櫂兎はハッと顔を青くした。
「自白剤入ってたの!?」
「失礼な。お茶はお茶、お客さんに出すものに、そんなもの入れるわけないだろう」
はははと邵可は笑ってみせるが、先程この顔で残酷なまでの行為ーー父茶を振る舞っい、かつアフターフォローを彼は一切しななかったということを櫂兎は忘れていなかった。
「ね、それ本当? 信じていいんだよね、俺…」
肩を震わせ、本人に確かめようとするものの、邵可は相変わらずの読めない笑顔でうんともすんとも言わない。真実は闇の中、櫂兎は額をおさえたのだった。
櫂兎が御史台副官室の扉を開くと、華やかな香の香りが鼻腔をくすぐった。その香りの理由も、室内にいた人影をみて理解する。沃だ。……いつにも増して香りが強い気がするのは気のせいだろうか。
「随分と遅いお帰りですね」
沃は、笑顔で櫂兎を出迎えた。今日は長い髪をきちりとまとめており、何時もと違った印象を受ける。
彼が書類をいくつか手にしているのを見留めて、先程まで府庫でのほほんとすごしていたことが申し訳なくなる。休憩時間中であったといえば、それまでのことなのだが。
「……どうもすみません」
ついつい謝る言葉を漏らせば、沃はふるふると首を横に振った。
「いえ別に。貴方には貴方の仕事がありますし、仕事以外の役割もあるのでしょう?」
「え?」
仕事以外の役割? 一体何のことかと櫂兎が首を傾げると、沃はきょとんとした。
「どうやら近頃、貴方がこの場を暫く離れる準備をしていらっしゃるようだったので、仕事以外に長官殿から命ぜられたことがあるのかと思いまして。違うのですか?
……ああ、そのまま居なくなる気でしたか。これは長官殿にご報告せねば」
妙に芝居がかった調子で言っては、キレのある動きですっと長官室の方向へ身体の向きを転換させた沃を、櫂兎は慌てて引き留めた。
「思い出した思い出した、ありますあります!」
華蓮を探しに行く、という名目でおやすみをいただく件だ。……先程から罪悪感ばかりおぼえさせられているのだが、狙ってやっているのだろうか。
とはいえ、こちらはこちらでやりたいことができたので、今更やめにするつもりはないが。
「へえ、あったんですか」
「知ってておっしゃったんではないんですか…」
「知りませんよ長官殿の私事なんて。あの人、自分のこと話しませんし」
ま、知らなくても困らなければいいのですけれど、と沃は付け足した。
「さて、頼まれていた資料は指示通り分類しておきました。それと、二班に指示されていた調査、人員を追加したいと責任者がぼやいておりましたので、本人に話をききにいかれると宜しいかと。そしてこれを」
沃は、文字の敷き詰められた紙の束をぽすんと櫂兎に押し付けた。
「確かに、渡しましたからね」
「……ああ、はい。どうも」
文字を少し追って、櫂兎は紙の束が何だか理解する。副官になるにあたっての手続きや、実際の業務内容についての詳細、それに関する規則法律諸々について書かれたものだ。こんなにあるのか、と櫂兎がげんなりした表情をみせると、沃はくすくすと笑った。
「それでは。私はこれで失礼。ああ、今日はこれから『外へお出掛け』しますので、用事があっても明日に回してください。
美味しいお茶菓子があると尚良いでしょう」
それ、いいのは沃さんだけですよねと櫂兎が言う前に、いつものぐうたら姿からは予想もつかないような機敏な動きで沃は室から出て行った。
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bkm