「まあ、そういうわけで。この春、副官に昇進するかもしれない棚夏櫂兎です。どうぞよろしく」
我ながら変な自己紹介をしつつ、格子に近付き、握手を求めて右手を出す。
「……さっき、格子には近付かなければどうとか言ってなかったか?」
「ええ。でも、近付かないとは言いませんでしたから」
ほんわりと笑みを浮かべた櫂兎に、隼は小さく吹き出した。
「隼だ」
隼は、格子の隙間から差し出された手を握り返した。かと思えば、そのまま櫂兎の腕を強く引く。
突然のことに、櫂兎は目を白黒させながらも、格子との衝突を避けようと格子に足を掛ける。強く握られた右手が痺れるほど痛い。
「危ないと知って近付くなんて、馬鹿のすることだぜ」
格子から覗く隻眼が、櫂兎のすみれ色の瞳を睨みつけるように見つめる。櫂兎はそれに、困ったような苦笑いでこたえた。
「この握手は信用してのことなんですけれども」
「……へえ」
力を入れられていた手が離される。櫂兎は隠しもせず、ホッと息をついた。格子との距離は、変わらず近いままだ。
「余程身の程知らずなのか、それほど自信があるのか」
「それなりの危険を負う覚悟をしているだけです。もちろん、返ってくるものを見越して。
大変な仕事ですからね、まずは上司部下の信頼関係からですよ」
「……沃が気に入るワケだ。こんな場所じゃ、異色だぜ、お前」
沃に気に入られているのは、自分ではなく甘煎餅な気がする。
「別に仲良しこよしを求めているわけではないですよ? 信頼関係というのも、誰もが聖人君子なわけではないですから、後ろ暗いことの一つや二つはあるでしょうし、信用し切るなんて無茶です。
しかし、仕事をこなす。この点においては皆さん、真剣でしょう?」
サボりっぱなしなやる気なしの一部例外もいますが、と付け加えながらも櫂兎は話を続けた。
「お国のため、出世、私利私欲、何が目的であろうと、取り敢えずは『仕事に真剣』それは、お互い認め合っていいことだと思うんですよね。
信じられることがある、これって結構大きいですよ。かつ、共通点。同志ですね」
隼は、ふうんと呟いた。
「お前はそう思うんだ」
「そうです。あとついでに、平和で穏やかな職場なら胃が痛くならなくていいのにーとか、自分に悪意向けてくる人怖いよーとか思ってます」
「……御史台向いてないんじゃないか?」
「奇遇ですね、私もそう思っていたところなんですよ」
櫂兎はそう言って、どこか諦めている風に苦笑した。
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