「言ってみろ」
どうやら話はきいてもらえる様子に、少しだけ安堵し櫂兎はその条件を口にした。
「『私、棚夏櫂兎が御史台副官であること』―― これを公表しないこと、長官にも黙秘して頂くこと、です」
それは、先の異動のことを考えての、目立つことを避けたい一心での言葉だった。
皇毅はふむと相槌をうってから机に両肘をつけ、顎に手をやった。
「確認だ。副官が存在することについては明言していいんだな」
「構いません」
「お前が副官であることに気付いた者がいた場合は」
櫂兎はその皇毅の問いに、意地が悪いなと小さく笑った。
「それは、長官が『気付かせる行動をする』ということですか?」
「そうなる場合もあるだろう」
「……相手を選んで程々にしていただけるとありがたいですが、あくまでそれはお願いという形にします。気付かれることについては、対処しません。気付かれないよう対策は組むつもりですけれどね」
「そうか。わかった。それでいい」
条件があまりにすんなり呑まれ、トントン拍子に決まる話に、毒気を抜かれたような気分になった櫂兎は、そこであまりにもできすぎた展開に、ハッとした。
「まさか最初からこのつもりで」
自分の挙げた条件が、『副官補佐』をしているときにつくりあげた副官像と自分を一致させてしまう効果を生むことに、櫂兎は息をのんだ。表に出てこないが故に、いつどこに潜んでいるとも限らない、居てもそうだとは気づけない御史台の副官。
変に賄賂や手回しできない、取り入ることのできない重役の存在は、それなりの牽制にもなることだろう。
「さあ、何のことだ?」
飄々と言ってのける皇毅の真意は分からない。しかし、途中からは完全に彼のペースで話が進んでいたのは事実だ。櫂兎は、勝てないなあと息を吐いた。
「さて、長官。お話もひと段落したことですし、そろそろお帰りになったらどうですか」
「……いや、帰るのはやめにしよう。仮眠なら、ここでもとれる」
「そうですか。しかし着替えは…」
「予め置いてある」
その発言は、いつ泊まっても大丈夫な状態にしてあったということを意味する。……目の前の彼が、実は一番仕事内容ブラックなのではないかなどと櫂兎は目頭をおさえた。自分の忙しさなど、序の口だった。今度からは、もう少し彼を労わろう。
「出仕時刻の半刻ほど前に起こせば宜しいですか?」
「ああ」
「そこの机の林檎は?」
「要るならやる」
「なら、今から剥きます。長官も一切れくらい食べませんか」
櫂兎は林檎を手にとって言う。本当は、何故ここに林檎があるのかということをきいたつもりだったのだが、まあ、いいだろう。
「……剥くならさっさとやれ」
薄手の毛布を棚から引っ張りだしていた皇毅は手を止め、それだけ言った。
「承知致しました」
櫂兎はわざとらしく、恭しく頭を下げて刃物を借りに室を出ようとする。皇毅はそれを引き止め、彼の持っていたらしい鞘付きの小刀を投げて寄越した。
「これ…いいものみたいですけれど。いいんですか、林檎なんて剥いて」
業物ってやつだろうか。鞘を外して刀身をみるが、手入れもされていてくすみひとつない。多分、護身用の隠し刀だ。
「少なくとも、人を斬るよりはいいだろう」
似合わない冗談を言う皇毅に、やはり疲れから錯乱じみた言動をしているのではないかと心配しつつ、櫂兎はすいすいと林檎を切り分け、剥く。切れ味はよかった。
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bkm