「……私がもっと、若ければ――」
医官のなかで、あの技術を見たのは、自分だけだ。たとえ見よう見まねでも何でも――。
けれど、年老いて自分の目はかすみ、手の震えもおぼえるようになった。
「若…ければ――!」
悔しい。悔しい。あの若者の、志を、その心と技術を、人の命を――。
つなぐことができないなんて。
一度もその医術を見たことのない医官では、人体切開など論外だ。たとえ切開法が細かく巻書に記されていても――力加減や、切除の仕方や、切開の早さで、命は簡単に失われる。
せめて、一人でも、切開の指導ができる医者がいればだ。
「……誰か、いないんですか」
秀麗の言葉に、陶老師は顔を上げた。
「他に、だれか、成功したかたは、いないんですか。噂でも何でも」
諦めない秀麗の声。凜が口を開いた。
「できる医師を、知っている人になら心当たりがある」
「本当ですか!」
凜に、一斉に視線が集まる。凜は瞑目した。
「ああ、少し前に確かに『知人指導で人体切開術の講習会を開くつもりだ』と」
その人物の名をきこうと、皆が耳を傾ける。
「その人の名は――」
「葉、
医っ、
師――ィ!」
外門近くの回廊で、葉医師に櫂兎は飛び掛かった。もちろん避けられ、櫂兎は地面に勢いよくぶつかる。
「儂は無視か」
連れてきたのは儂じゃのに、と霄太師は髭を撫でた。
「ああ、ありがとうな瑤旋、でも今はかまってる暇なんてないんだ」
しっしと手をふり葉医師に向き直った櫂兎は、かじりつくように葉医師の肩をつかんだ。
「あのですねぇそのですねぇ!」
がくがくと揺さぶらされ葉医師は櫂兎の腕をぺしぺし叩いた。
「ちいと落ち着かんか、呼吸が乱れとるぞ」
「それより茶州がエキゾチックで人体模型が夜な夜な動くんですよぉぉおっ!」
「だーかーらー落ち着けぃっ」
ゴツンと鈍い音がした。顎を殴られた櫂兎はぐらぐらと揺れる脳天に意識を朦朧とさせる。
「寝とる場合じゃないぞ」
そのまま意識を失いそうになるところでぺちぺち頬を叩かれ、無理やり覚醒させられたところで深呼吸を促される。ひっひっふー。何か違ったが、櫂兎はどうやら落ち着いたらしい。
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bkm