心は藍よりも深く 30
「杜州牧! こんなところに――」


単身、馬で虎林郡へ駆けてきた杜州牧に、さしもの冷静な丙太守も仰天した。


「なぜ御自らたった一人でいらせられました! 軽率ですぞ!!」


すぐさま州牧としての責務を厳しく説いて追い返そうとしたが、影月の歳に似合わぬ大人びて決然とした表情に口をつぐむ。


「わかってます。けれど、州城で僕がふるえる采配はすべてしてきました。残る州牧のお仕事に関しては、僕以上に適切な判断を下せる方がたくさんいます。ですが、今回の病について今のところ一番知識を持っているのは僕です。書面では心許ないこともあります。州府にいるよりは、現地に飛んだ方がお役に立てると判断しました」


事前の影月の指示内容からも、その言葉が嘘ではないと分かる。しかし丙太守は州牧にあるまじき行為だと懇々とお説教した。とはいえ、ふらふら出歩く州牧は燕青で免疫ができていたし、正確な情報が必要なことも分かっている。しかも、影月がここを近々訪れるかもしれないことは先に訪れていたある人物からきいていた。


事前に書き送った書簡の情報を、影月がもう一度細かにそうざらう。


「この病は、他の病とは少し違います。ある特別な条件下で起こりえるものです。
……この病は毎年発生するわけではありません。いつもよりずっと早い冬が来た年に流行る――そうでしたよね?」

「ええ。村々でそういった報告は受けました」

「冬が早いということは、秋が短いということです。それは山菜や木の実や山果実といった秋の収穫が減ることになります。早く冬がきてしまったせいで、山の動物達は冬を越すための充分な食糧を蓄えることができず、食糧を求めて縄張りを越え、人里へ降りてくる――」

「ユキギツネ……」

「そうです。低地に飛び跳ねる普通のウサギやリス、キツネならば、季節を問わず人との接触は日常的にあります。この病で唯一例年と違うのは、人跡未踏に近い千里山脈の高地に縄張りを持ち、滅多に人に近づかないユキギツネの人里での目撃情報――
多分、ユキギツネが人の体に病を及ぼす『何か』を持っているんです。人里へ降りてきたユキギツネはその『何か』を落として、人は知らずにそれを体の中に入れてしまい、発病――」

「ですが、ユキギツネは人里に降りてはきても、人との接触など無に等しいのですぞ。逃げ足の速さはオオカミにも優る。村人の半数が発病するなど――」

「ユキギツネと直接接触しなくとも、その『何か』を村人のほとんどが口にいれてしまう環境があります」


影月は瞑目した。西華村の長老が最後に言い残し、各地にも残る同じような伝承。


『いつもより早い冬がきたとき、水の中から魔物がやってる――』


それが意味することは――


「……水、です。
もし、その水の中に、ユキギツネがその『何か』を落としていったとしたら」


同じ時期に、その『何か』が混入した水を飲んだ大量の発病者が出る――。


「人から人への伝染ではないことは、バラバラに発病することから見当がつきます。人への伝染なら、まず家族内で次々発症し、そこを起点として同心円状に広がったりするのが普通です。ですがこの奇病は近親に関係なくあっちこっちで唐突に発症します。無差別に見えますが、それは単に水を飲み、『何か』を摂取した時期に差があるだけなんです」

「……だから水を使うときは必ず煮沸せよとおっしゃったのですか……」

「はい。水中のものは冷気には強いですが、熱には非常に弱いものです。水の中に何かがいるとしても、煮沸すれば死滅するはずです」

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空中三回転半宙返り土下座
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