心は藍よりも深く 26
『奇病』報告がこうしてあがってくるのは、燕青が州牧をしていた十年でも初だったが、千里山脈に接する村々では昔から数十年に一度、こういった病が起こっていたらしい。
原因不明、不治の奇病と、村人達は天命として恐れおののくしかなかった。閉ざされた生活を送る各村では、以前までなら上への報告など思いもせず、ただ祈り、春の訪れと共に病が収束するのを待つだけだったようなのだが……。
――秋の終わり頃、各村々の長達に差出人不明の文があった。それは『治療法調査のため、奇病の発病を確認次第、近くの郡府へ報告を』との内容であり、差出人不明に首をかしげていたものの、実際発病者が現れだしたことから、自分に何ができるのかと藁にもすがる思いで長達が報告に文を飛ばしたのだとか。その実際の文が燕青の元にまで届けられていたが、その筆跡はここ最近で見慣れた特徴的なものだった。


(このミミズがのたくったような線のくせやたら形のととのった字…貘馬木以外ありえねぇ)


「郡府へ報告を」とあれど、自分が郡府の者だと騙ったわけではないので罪には問われない。調査というのもあながち外れていない、きっと今貴陽で秀麗のしていることだ。


彼は、春になれば病が収束するというある村の老婆の言葉とも似た台詞を口にしていた。


『早い冬がきたときには、水の中から魔物がくる』


奇病報告は、その言葉を裏付けるように冬の訪れが早いところから広がっている。かき集めた医師達も、大半が『魔物』を恐れて虎林郡へ行くことを拒否した。
広がりをみせる病に、用意した薬もまるで足りなかった。もとより症状を緩和するだけで完治薬ではないことも絶望的だった。それでも知った以上、何もしないでいられるわけがない。


(貘馬木はこの病を予想していた?)


長年茶州の裏で活動していたという彼のことだ、あり得ないことではない。しかし本人に話をきこうにも、彼も琥漣城からすっかり姿を消している。


更に事態をいっそう深刻化させている別の要因もあった。もしそれを影月や貘馬木が耳にしていたら、出立を見合わせたに違いなかったというのに。


「こんちくしょう! 何が何でも早く成り代わって貰ってとっとと山狩りなり何でもして全員しょっぴいときゃよかったぜ!!」


意味不明な仙人の説法しかしていなかった“邪仙教”は、病の広がりとともにもっともらしく山から降りてきて、自分たちの仲間にはいれば病にかからず、それどころか病の苦しみから逃れることができると言い始めたのである。


「くそったれ。ノコノコ出てきやがって……!」


虎林郡丙太守の通達も間に合わぬうちに、不安と恐怖におののく村人達の多くがその言葉を信じ、次々と『入信』しているという。その上“邪仙教”はこの奇病がこの度の女性州牧就任――政事に女人が関わったことが原因だと言いふらし始めたのである。それは、原因不明の死の病に直面する人々の間で非常な説得力を持ってどんどん広がっているという。
茶州全土ではなく、千里山脈に接する村々でしか発病しないこと、秀麗が就任する大昔から存在している病であることを考えれば、秀麗と病の間になんの関係もないことは明白だ。けれど目の前の事実の身を信じる人々にとっては、確固たる治療法を見つけない限り、その流言は時を追うごとに『真実』になっていく。


『一刻も早く例の女州牧をひっとらえ、生贄に捧げて許しを請わぬ限り、この病は収まらないでしょう』


そんなことを言っているらしい以上、万一の場合、解任で済む問題でもなくなるのは目に見えている。


「かーっ、余計事態をややこしくしやがって!」


頭をガシガシと掻く燕青の元に、また一つ文が届けられる。差出人は――貘馬木梦須。何が書かれているのかと真剣な顔になり、燕青は文を開く。


『出るとき挨拶忘れてたなーってことで! 俺も行ってきます\(^3^)/』


それだけ。広い紙にそれだけだった。


「……炙り出しとかか?」


部屋の明かりとして使っていた蝋燭の火で炙る。何も出てこない、紙が焦げただけだった。苛つきに手紙を丸めてクズ入れに投げ捨てる。紙の無駄だ。
ふと屑籠の中の手紙に目をやる。その手紙が差し出された村は千里山脈の少し外れ、山脈には近いが接しておらず、奇病報告はきていない。道中というには不自然な位置、何故ここを訪問したのか――


それから程経たず、その村からも奇病発生の報告が届いた。それを皮切りにしたように、数は少ないもののぽつりぽつりと山脈から離れた場所で報告が届き始めた。


「……これは一体、どういうことだ?」

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空中三回転半宙返り土下座
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