仕事の手伝いを終え伸びをした櫂兎は、ふと目にした書類の山に、怪訝な顔をする。正確には、山のできる場所に、だ。
「あれ、尚書室移動した?」
「いえ」
櫂兎の問いに、近くにいた珀明は不思議そうにして答えた。同じように櫂兎の目線の先をみた楊修は、その問いの意味を解した。
「俺の見間違えじゃなけりゃ、書類の割合、侍郎室の方が微妙に多いんだけど、それってつまりいつも積んだかされる尚書向けの書類が侍郎室に積まれてるってことじゃ」
「そうですね」
そのことか、と珀明はぽんと手を打つ。
「仕事が滞るのも悪いからといって、最近は李侍郎が仕事を負うことが多いんです…」
そこで珀明は他の官吏に呼ばれる。どうやら書類整理の手伝いをすることになったらしい。ぺこぺこと櫂兎に頭を下げながら慌ただしく去る背中に櫂兎は手を振る。見送ったところでぼそり、と呟いた。
「絳攸何やってんの」
その声を聞いていたのは楊修のみだった。
「これは他の人間が口出すことではない…と、棚夏殿もいつぞやに言ってましたよね?」
「うん、だから口出しはしないけど…手掛かり沢山あげたつもりだったんだよなぁ」
それはもう、小鳥の前にパン屑落とすように。
――それとも、他の鳥に食べられてしまったんだろうか。
(足りなかったかなぁ、俺が庇った意味くらいはあればいいなぁ)
絳攸に気付かせるのは、どうしても秀麗なのだと、何処か納得できぬものを抱えながら、櫂兎は瞑目した。
「棚夏殿…?」
「ああ、ごめん、ちょっと、何ていうか、いろいろ浸ってた」
もう大丈夫、と櫂兎は笑顔をみせる。楊修は、どこか違和感が拭えないままぎこちなく微笑み返した。
吏部を後にして、帰路につこうとしていた櫂兎はばったりと宋太傳と出会った。
「おう」
「よお」
その一言ずつを交わしたのみだったが、宋太傳は何か察したらしく、そのまますれ違い去ろうとしていた櫂兎の肩に手を置いた
「何?」
「お前、時間あるなら久々に試合しようぜ」
櫂兎はその言葉をすんなり受けた。普段は何かとこういったことを避けようとするため、櫂兎への違和感が募る。
剣を貸そうとすれば、これでいい、と何故か懐から硯を出した。…何故、硯。
「本当にそれでいいんだな」
「うん」
硯を持って構えた櫂兎は、間抜けな格好のくせ隙がない。なければ――作るまで。
じり、と少しずつ距離を詰める。櫂兎は動かない。
△Menu ▼
bkm