『荷物をまとめる』といっても、貘馬木はまとめるほどの量を持ってきてもいないため、さほど時間はかからなかった。
それでも元部下の邸に夕方頃また向かうと言ったのは、少しやり残したことがあったからだ。
「胡蝶ちゃん、起きてる?」
小さな荷物を背負いひょこんと顔を出した貘馬木をみて、胡蝶は面食らったような顔になった。貘馬木の登場は、いきなりすぎて毎度毎度心臓に悪いらしい。
「……一体何の用だい」
「今日貴陽を達つことにしたんだ、お世話様さま〜」
「そうかい、厄介なのが減って私の気苦労も減るってもんだよ」
あけすけに言った胡蝶に、わざとらしく貘馬木は肩を落とした。
「わー、言うなあ胡蝶ちゃん。ところでこの前頼んでおいたの、今教えてくれる?」
「……ああ、あんさんの邸を取り壊したトコのことだね。いなくなった時期も時期、長年住んでなきゃ取り壊されて当たり前だろうけど」
そうして口頭で胡蝶は告げる。それに対し、貘馬木は成る程ねえと小さな笑いを零した。
「そういうわけなら構わねえけど、あそこ更地にされちまってんじゃん」
「それがどうかするのかい?」
胡蝶は何故彼がそれを気にするのか分からなかった。貘馬木はにこにこと笑ったままに答えないで、胡蝶に礼を述べ出て行った。
(軍師系の知識ある奴なら楽々気付くだろーがな…)
「おばちゃーん、久しぶり! 葱ある?ねぎ〜」
少し離れたところながら、美味しい野菜で評判な、そしてお得意先な八百屋を櫂兎は訪れた。
「櫂兎君じゃないか、三月ほど会わなかったけれど」
「うん、貴陽ちょっと出てたんだ」
友人に連れられて、と櫂兎は言った。
ちなみに連れられてと言うより、後半ほとんど連れ回し、帰りの地下階段で体調最悪体力限界になりぶっ倒れた。そんな俺を瑤旋が若い姿で「櫂兎も歳だな」と笑いながら軽々と運んでくれたのは嫌な思い出である。終わり悪い旅だった。
「へえ…。あぁ、葱だけど薬味にならこっちの細いの、鍋の具ならこっちの太めのおすすめだよ」
「じゃ、細い方で!」
少し長いが余りは明日麻婆豆腐でもして使い切れば問題なかろう。薬味の葱好きとしては、刻んだのを冷凍していつでも使う、なんてことができないのが残念だ。
お代を払い、葱を片手に八百屋を後にしようとした櫂兎に、お馴染みの、しかしあまり聞きたくはない声がかかった。
「あっれー、棚夏なんで邸にいねえのぉ」
「……葱買いに来ただけですし。というか荷物まとまってるじゃないですか、夕餉食べず帰りません?」
「いやー、ちょっと元俺んちまで一回寄りたいしー、棚夏の手料理食いてえしー」
「気持ち悪いこと言わないで下さい。作りませんよ」
「変な意味はないっつーの……」
「あっ、そうですか」
ツンと言って、そのまま邸の方向へ一人進み始めた櫂兎に、貘馬木は小さく溜息をついた。
「なあなあおばさん、あいつ冷てえと思わねー? 元上司に何の敬意もねえよ」
「あんさんだからだろうに、貘馬木」
貘馬木は、名を呼ばれたことに少し意外そうに目を見開いてから口元緩めた。
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bkm