吏部尚書室へ、秋の風が吹き込む。甘煎餅の乗った皿の下に添えられた紙が、風で揺れた。
紙には『これが最後です』の文字。その紙の上に転がりこんできたのは――黒く棘の生えた、いわゆる人ならざるもの。茶州で櫂兎に二号と名付けられたそれだった。
貴陽の地にはあり得ないそれは、そんなことにもお構いなしに紙の上で止まり、ふてぶてしく暫く居座っていたが、また転がりだし今度は皿の上へぴょこんと乗った。皿の上でコロリと転がり、甘煎餅のちょうど上で一度止まる。かと思えばそれはぶわりと全身の棘を揺らした。そして甘煎餅は――跡形もなく消えてしまった。
甘煎餅のあった場所の周りを何度かくるくると回ったあと、それはちょこんと皿の真ん中に乗った。そしてそのまま、動かなかった。
甘煎餅の妖精も復活し、今日はどんな甘煎餅かとわくわくご機嫌で尚書室にやってきた黎深は、いつも甘煎餅の置いてある皿の場所の下に挟まる紙をみて絶句する
『これが最後です』
「いっ、一体何があったんだ、住む場所か? 私が仕事しないからかっ??! 甘煎餅の妖精よ、行くな、行ってくれるなあああああ!」
「朝から煩いですよ、尚書。何を騒いでるんですか」
書類を抱え、尚書室へと入った楊修は呆れた風に言った
「あっ、甘煎餅の妖精が……」
楊修は皿の下に置かれた紙に書かれた文字をみて今を理解した。
「クビになったんでしょう」
「甘煎餅の妖精がか!? 奴はいつも美味い甘煎餅を用意している、クビにされる理由なんてないぞ? そんな真似する輩の気が知れん」
「……」
楊修はその言葉をそっくりそのまま返したくなった。
――彼が、棚夏殿がどうして冗官処分になる。いつも仕事完璧にこなす彼が、冗官処分になる理由なんてない。そんな真似する貴方の気がしれない、と。
そしてそれから甘煎餅の乗っているであろう皿の上へと目を向けてギョッとした。
いつも甘煎餅のある場所には、ちょこんと黒い塊が乗っていたのだ。
「尚書、貴方栗の
毬を食べようとなんてしてないでしょうね?」
「は? これは甘煎餅だが」
新作か?一体何味だろうと楽しそうに思案する黎深を信じられない目で楊修は見た。
「いかにもそれ身体に悪いですって」
櫂兎の最後の嫌がらせだろうか、しかしそれにしては彼らしくない。では一体、これは何だ?
それを考える前にひょいと黎深が黒いそれをつまんで口を開けた。
「食べ物じゃないですよ、それ!」
「甘煎餅だ、立派な甘味だぞ」
制止の声も聞かず黎深はそれを口に投げ込んだ。楊修が思わず目を覆う。
不思議と口にいれ噛む仕草しているのに噛んだ音はしなかった。
目を剥いて椅子から急に立ち上がる黎深に、楊修はやっぱりと溜息ついた。
「ほらみたことですか、甘煎餅なんかじゃなかったでしょう。ここで吐くのはやめてくださいよ?」
「……。」
「尚書?」
黎深は真っ青な顔で、楊修の言葉に反応しない。ふらふらと足どり不確かに歩いては、扉にもたれかかり楊修には聴こえないほどに小さな声で一言呟いた。
「櫂兎……」
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