棚夏櫂兎が冗官処分となった日の出来事を、吏部の誰もが語ろうとはしない。ふと漏らした話や情報を集めまとめたところで、仕事を終わらせた櫂兎が尚書室へと呼ばれたのち、室から怒鳴り声きこえ、彼が吏部から出て行ったことしか分かりはしなかった。
それどころか、冗官処分とした吏部尚書をもが何故か理由を話さず、一体尚書室でどんな話がされたのか、憶測は飛び交った。しかし確かなものなど出ず、そのまま冗官処分理由が謎となるかと思われた。
それを覆したのは、意外にも処分受けた棚夏櫂兎、本人であった。
「この度の冗官処分ですが、吏部の中央机に置かれた仕事を、私の判断で本来とは違う形に官吏らに割り振るという越権行為が理由です。お騒がせして済みません」
この度彼の冗官処分について調べにでていた部や関係所へと直接訪れ、彼はにこやかにそう告げて去っていったのだった。
櫂兎は最後に御史台を訪れた。一度入るのを衛士に呼び止められたものの、しばらく待てば、吏部尚書に冗官処分受けた当の本人、重要参考人であるとして中に通された。
「わ、また会いましたねセーガ君」
通された室には清雅一人だった。
「……そんな風に名を呼ばれるほど親しい仲になった覚えはない」
「またまた、お互い見つめあった仲じゃないですか」
そういうと清雅は思い切り顔を顰め目を逸らした。……あの、傷つきますその反応。年下相手に心折れるとか冗談じゃない。
ふと目をやった資料に櫂兎は片眉上げる。
これから御史台の探りが吏部へとはいるところだった。
「隠さなくていいんですか」
「お前相手に隠しても、どうせ知られることだろうから構わない」
ふうん、と櫂兎は呟き、それから艶やかに笑った。
「名目上、私の冗官処分理由の捜索で、吏部に好き勝手入って尚書簡単に追い落とそうなんて、甘いですよ」
そうはさせません、と櫂兎は言った。
「……お前を冗官にした上司でも、か」
「ええ。…と、いっても、私がするのは時間稼ぎだけです。それだって、いつかそうなろうとも、今ではない、ただそれだけの理由です。『いつか』が来たら、私も邪魔なんてしません」
飄々と言ってのけた櫂兎にふんと清雅は鼻をならした。
「『次』じゃなかったのか?」
「今回のことは私も予想外、数に入れませんよ。だいたい、前回のは李侍郎狙いじゃなかったんですか? ふふ、本当の狙いというやつがばればれです」
くすくすと笑った櫂兎に清雅は軽く舌打ちした。――こいつが相手となると、何故だか何かと思い通りにならない。
「どちらにせよ、お前が理由を言い回ってくれたおかげで、吏部への御史台介入は必要ないと判断されそうだしな」
忌々しさこもった言葉に櫂兎は苦笑した。
「ええ、御史台から遠いところから回りましたから。今頃冗官処分の理由について、吏部の誰かにでも裏付けがとりおわってるんじゃないでしょうか」
吏部へは真っ先に行って、最後の甘煎餅と『これが最後です』の手紙を置いてきた。その時いた楊修に今からの旨を伝えたから、後からきた奴らにも言ってくれるだろう。楊修、泣きそうな顔してたけども。
「ではお話は以上ですよ」
そのまま帰ろうと背を向けたところで制止の声がかかる。
「まだだ」
「……もう話すことはないのですけれど」
「今度はこちらからの話、だ」
振り向くと清雅は椅子にどんと座って脚を組んでいた。
「……」
(物凄く態度でかいぞセーガ。というかこれ、聴かなきゃいけない流れかな)
話を聴いたからにはこちらの話も聴けということか。櫂兎は目で話すこと促した。
「上から、御史台への勧誘だ」
「……監察御史ですか」
「ああ。返事はいつでも、そして俺はどうでもいい」
「酷い言い種……ま、考えておきますよ」
まだそこまで就職困ってませんから、と櫂兎は肩を竦めた。
「御史台かあ…御史台なあ…」
猫かぶるのに疲れそう、というか対人面で精神的にしんどいイメージしかないや。
櫂兎はグッと伸びをした。
「帰って寝よう」
伸びをしたとき、服の襟から黒いツンツンした塊がコロンと落ちたことに、櫂兎は気づかなかった。
△Menu ▼
bkm