「大方、櫂兎を忘れているのを認めようとせんあの馬鹿が、そのくせ櫂兎を知ってるような気がして癇癪をおこしているんだろう」
「よく分かるな……」
「この前やっと気付いたことだがな。黎深が『他人』と接しているにしては、どうも様子がおかしすぎた。明らかに櫂兎にあたりすぎだ」
「ふーん……まだ黎深思い出さないんだな」
櫂兎を知らないだとかほざく黎深に、はじめは何の冗談かと思った。冗談だったらよかった。でも、彼はすっかりと国試前櫂兎との出来事を忘れてしまっていて。櫂兎はそれでも、ずっと、黎深が思い出すのを待っていた。
「……櫂兎は、待つのを諦めたんだろうか」
「は?」
「いや…いい」
私達がどうこう言ったところで、それは櫂兎の決めるところだろう。
「まぁ、櫂兎も吏部辞めさせられたっつっても官吏やめたわけじゃないし、吏部が拾わないんなら
工部で拾うしな」
「櫂兎は戸部だ。お前のところで酒に付き合わされるより、戸部で働くほうがよっぽど有意義だろう」
飛翔の頭には、櫂兎が戸部でつかわれ過ぎる様がありありと思い浮かんだ。長年雑用している姿みていた櫂兎にそれは似合い過ぎた。
「くそっ…もう戻んぜ俺はッ! 今なら幾らでも自棄酒あおれる気がするしな!」
乱暴に頭かいて背を向けた飛翔に、鳳珠はボソリと呟いた。
「仕事が終わったら、一緒に呑んでやる」
「……おう」
報せをきいた俊臣は、しばし声あげて笑った。
「櫂兎が冗官…冗官かぁ。……素晴らしいね!」
言ったが直ぐに、せっせと彼は藁人形の用意に取り掛かった。
「冗官ってつまり、黎深クンのところを彼はクビになったってことだろう? ふふ、どんな風に刑部に誘おうかなぁ、丁度いい席が空いてるし」
呪いの刑部、空いた席は数知れず。その中でもとっておきの席を思っては、俊臣は目を瞑った。
「彼が刑部に来れば、毎日前衛的な経を一緒にあげて、花菖蒲模様を散らした死白装つくって、藁人形交換とかそれからそれから……」
妄想は尽きない。突っ込む者もその場には誰もおらず、彼の中で櫂兎のめくるめく刑部生活が決定した。
「あぁ…素敵な白黒生活になりそうだ」
とてつもなく鈍色生活になりそうだった。
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bkm