漆黒の月の宴 26
「うわー……わー。いかにも身体に悪そうだよね、ここ……」


茶本邸に壁乗り越え侵入した櫂兎は、まるで臭い物でも近くにあるように片手で鼻をつまみ口元を襟に隠すと、空いた手をぶんぶんと振った。


「おい馬鹿二号、そうぴょんぴょん跳ねてたら危ないっての」


流石反骨精神の塊(?)、でろんと薄く、しかし確実に奥から広がる闇をみてそれが刺激されたのであろう、果敢にも二号はそれに立ち向かうように突っ込んでいった。


「うわー、絶対後のこと考えず突っ込んでっただろあいつ…」


はあ、と溜息つきつつ、足元に倒れる茶家の私兵達を跨ぎこえ櫂兎は二号の後を追った。何も考えてないと思っていたら、二号は器用にも闇のまだ広がっていないところを縫って、奥へ奥へと転がっていっていた。


追いかけているうちに繁みに二号が飛び込み、慌てて繁みに入り、中を探ってみる。……繁みの中の切り株の上で優雅に御休憩中でした。


「はぁ…お前な」


と、そこで聴こえてくる誰かの声に言葉も止め、息を潜める。


「鴛洵……兄上ぇええ……!」


すっ、と櫂兎は繁みから出て、その場に崩れ落ちた仲障を見据えた。彼が、鴛洵の弟、仲障。州試の時、会う機会はなかったが――


「このわしにっ、あとすこしの運と才さえあれば……!」


二号も、ころんと繁みから転がり出てきては櫂兎の足にこつんと当たった。
そしてそこに、若かりし日の霄太師の声が降る。


「……愚かな」


気付けば霄太師は仲障の前に立って、彼を冷たい目で見下ろしていた。


「鴛洵が、運と才だけであそこまで這い上がったと思うのか」

「そうだ! それ以外でわしと兄と、何が違う! 同じ女の腹から生まれ、同じ物を食べた。なのに何故これほどまでに道がわかたれた!」

「貴方のいう運と才が、もしも鴛洵にあったなら、あいつはもっと器用に何でもできたと思いますよ」


櫂兎の声が、すっと通る。何故ここにいるのかと驚いた顔をした霄太師に櫂兎はにこりと笑い、それから仲障を見て、手を差し伸べ、手際良く止血の手順を踏む。いかんせん血が多く出過ぎており、誰の目からも手遅れなのは明らかだったが、血だらけになるのも厭わず櫂兎は手を止めなかった。


櫂兎の登場に立ち尽くす霄太師をよそに櫂兎は彼を代弁するかのように仲障に語りかけた。


「運も才も、貴方のほうが、よっぽど多く持っています。鴛洵はだから苦労して……。俺は彼の若い頃の話、聴くだけだったけれど、明らかに荊の道を、灼けた鉄の上を、凍えた雪の上を、自分が裸足なのも知ってて、平気な振りして歩くんです。痛くて痛くて仕方ないのに、泣き言ひとつ、漏らすことすら自分に許さないで。……多分、馬鹿序列の上から二番か三番目です」


そこで霄太師も口を開く。零れるのは、鴛洵と、目の前の彼の違い。


「あいつが何かを多く持っていたとしたら、それは優しい心と、たゆまぬ努力だけだ」


仲障はその言葉で、いつも灯火の下で勉学していた兄の姿を思い出す。その灯りが尽きた時を、仲障は知らない。


「傷だらけになっても何一つ泣きごとを言わぬ。だから私や宋は鴛洵を引きずり戻すのに、とんだ苦労をしたものだ」


霄太師の言葉に、仲障は震えた。


「…………兄…上……は……」

「悪いが、鴛洵にはもうお前のために割く時間は残っていない。だから私がきたんだ。お前の最期をみとってやってくれ、と言われたのでな。櫂兎までくるとは思っていなかったがな」

「鴛洵に後を頼むって言われたのは俺だもん」


べぇ、っと霄太師に舌だして櫂兎は言った。といっても、俺の出る幕はなくて、見守るくらいしかすることないのだけれど。

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空中三回転半宙返り土下座
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