漆黒の月の宴 21
「…………はっ」


櫂兎はがばりと身体を起こす。うっかり往来で意識を失っていた。馬酔い侮り難し。身体を起こしたときに、べちっ、と床に何かが落ちる音がした。不思議におもいつつ視界に見える物を認識して――絶句する。


「ここ…どこ?」


調度品はひとつとしてない質素な室、落ちたのは額に乗っていた濡れ手ぬぐい。誰かが倒れていた俺を運んでくれたんだろうか?


そして、てんてんと跳ねる黎深二号。


「お前こんなとこにいたのか。…って、ポテト居ないじゃん!? うわー、えっ、借りた物なくしたらあれだよね? 賠償?」


人の気配のない家屋を見渡し、櫂兎は冷や汗流した。
ポテトのことだから、一匹街に出れば勝手に駆けて邸へ戻るのだろうけれど、もし誰かに奪われ捕まえられているとしたら。
この濡れた手ぬぐいやらここまで運んで布団に寝かしてくれた人物が、ポテト捕まえているというのは少し考えられないが、あり得ないことではないし、それ以外の人間が奪った可能性だってあるのだ。馬を借りた(ツケで貸してもらったものではあるけれど)恩を仇で返すなんてわけにはいかない。


と、視界の端で動き回る二号が、ころんと転がっては、折りたたまれた白い紙の上に乗ってまた跳ねた。


「……手紙?」


広げて、目を通す。それは櫂兎を介抱した人物からの置き手紙だった。



『おはようさん、お前のことだから今慌ててんじゃね? ふっ、安心しろ、柴んとこの馬はばっちり返しておくぞーぅ。
ちなみにここは琥漣の門近くの、俺の友人の知り合いの知り合いの友達の知り合いの仲間の親戚の友達の家だ。
俺もお前からちょっと色々借りるから、今回貸し借りはなしってことで! んじゃーな

棚夏へ、皆に愛され困っちゃう素敵な元上司、貘馬木より力を込めて』


力の字がやけに滲んでいる、確かに力込めたらしい。


「…………通りでみたことある筆跡だな!!」


櫂兎は手に持った元上司からの手紙を壁に投げつけた。








一方、貘馬木は櫂兎に扮しては、馬を返しにてくてくと凛邸へ向かっていた。歩きつつ、彼は往来で馬の手綱持ってしゃがみこんだまま気絶している元部下を発見したときのことを思い出して、小さく声をあげ笑った。


「魂の抜けた顔って、あんな顔を言うんだろーな、飛馳(とびせ)」


櫂兎に勝手にポテトと名付けられていた雌馬、飛馳は久々に呼ばれる本名にふんふんと嬉しそうに首ふった。


「にしても棚夏が馬に乗れるとはな……しかも飛馳に乗るって相当馬術長けてるというか。凛も人が悪りぃぜ、あいつを試したくなるのは分かるけど」


どっかの馬術の天才が、子馬の頃から育て、乗っていたという、脚の速い馬がいた。飛馳はその子孫らしいのだが、乗るに速すぎて誰も乗りこなせず振り落とされるのがオチ、引き取り手のいなかったところを凛が買った馬だったのだ。


「馬刺になるのは嫌だもんな、俺らからしたら美味しい食材だけど」


凛は馬に乗れるとはいっても、特別馬術が上手いわけではなく、しかし彼女は飛馳を乗りこなした。それは彼女が飛馳に遅く走ることを教えたから、だ。遅くといっても他の馬が駆けるくらいの速さである。

飛馳が遅く走るのは、彼女が乗ったときだけ。他の人間が乗ればたちまち駆けに駆けて振り落とす。まさしく彼女専用の馬、だった……の、だが。


あんなになりながらも、彼は、ここ琥漣まで飛馳に乗ってきたのだ。


「相変わらず規格外でやんの」


規格外の馬に乗れた規格外な奴、と呟いて苦笑いする。
彼はそんな規格外達の先を、少女をおぶってなお駆けた少年のことを知らない。知らなくて正解だった。

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空中三回転半宙返り土下座
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