想いは遥かなる茶都へ 38
「目の前の私より、落ちた鏡を気にするんだね。大丈夫、割れちゃいないし。
そういうと思ったから、何もしない。強引にそばに置くのもいいかなと思ったけど、それでは永遠に二胡を弾いてもらえなくなりそうだからね。それに私は、なぜか君に甘露茶を淹れて欲しいと思っているんだよ。だから無理強いはしない」


秀麗は頭が真っ白になった。さっき、彼は何といった? それは、何とつながる?


「男」、「囚われた少女」、「解かれた髪」、「二胡」、そして「甘露茶」。


(まるで…あの、話そのもの……)


何故かそれが急に怖ろしく思えてきて、秀麗は身を強張らせた。朔洵は秀麗に顔を近づけ、囁いた。


「君を大切にしたら、私にも甘露茶を淹れてくれる? 優しくしてあげたら、私のそばにいてくれる? 私は、人から好かれようと思ったことがないからよくわからなくてね」


その言葉に懇願の色はなく、あるのはただ純粋な疑問符。


「それとも、君を愛していると夜ごと耳元で囁けばいいのかな」


秀麗の脳裏に、数ヶ月前の一つの言葉が甦る。


『忘れないでくれ。――余がそなたを愛していることを』


同じ言葉なのに、なぜこれほど違うのだろう。


「あなたは――私を愛してなんかない。そんなのは違う」

「そうだね。私にもよくわからない。とんと縁の無い言葉だったからね。だけど、誰か一人を愛することが怖いと言った君も、その言葉の何がわかっているというの?」

「――――っ」


分からない、と言いつつ朔洵はその意味を知っているようだった。そして否定し続ける秀麗を嗤う


「私は珍しく誰かをとても気に入って、そばにいて欲しいと思っただけだ。特別なお茶をいれて欲しい、特別な二胡を弾いて欲しい。そのために邪魔なものがあるなら消してしまおう。必要なものがあるなら手に入れる――ねぇ、私は生まれて初めて、誰かのために何かをしようと思ったのだよ。それがどんな名の感情でも、私は別に気にしない」


自信溢れたその言葉に、秀麗は何一つ返すことができなかった。


こんな嵐のような想いは知らない。優しい想いしか、自分は知らない。必死に踏みとどまっていないと、木の葉のように飲み込まれてしまいそうなほどの。
秀麗は必死に自分を立て直そうとした。


「……な、何でそんなに気に入ってくれたんでしょう……私、何もした覚えないんですが」

「ねぇ。私も不思議だよ。ただ、君といると心地いいんだ。その空気が気に入ってる」


朔洵はにっこりと笑った。


「――どうしても、私のものにはなってくれない? ちゃんとわたしもきみのものになるよ。望むことはなんでも叶えてあげる。君のために生きてあげる。だから私のためだけに二胡を弾いて、お茶を淹れておくれ」


その甘い言葉に嘘はない。ただ、その心の在り処だけが、常人とは遥かに遠い。


「いいよ。君という名の牢獄になら、喜んで鎖につながれてあげる。君も私につながれて、私だけを楽しませてくれるのなら、という条件がつくけれど」

「それで、つまらなくなったら脱獄ですか」


朔洵は笑ったっきり答えなかった。

38 / 50
空中三回転半宙返り土下座
Prev | Next
△Menu ▼bkm
[ 戻る ]
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -