「君はとても危険な綱渡りをしていたんだよ、紅秀麗。少しでも選択を誤っていたら、今こうして金華に生きて辿り着けなかったろう。
私の張った罠を上手くくぐり抜けてくれて、とても嬉しかった。おかげで隊商を装った茶番も、無駄にならずに済んだからね」
そして貘馬木は、自分と共にいさせることで彼女を試す意味も兼ねながら、彼女が確実に最善を選び金華まで辿り着けることを確信していた。だからこそ去ったのだろう。
「お返しに状元と本物の香鈴はちゃんと生かしておいてあげようとさえ思った…のだけれどね、気が変わった」
「やめて」
朔洵が浮かべていた優しかった微笑みは、何時の間にか妖艶なものにすり替わる
「いつか話をしたね。私は、特別な人ができたら、躊躇はしなくなるだろうと」
朔洵は長い指で秀麗の頬にかかる髪を払い、耳の後ろへ梳きやり――そしてそっとその細いうなじを撫でた。
「君はどうやら、私の『特別』になってしまったんだよ。ひと月、私を飽きさせることのなかったその二胡だけでも、私にとっては価値がある。それなのに君はいったね。大切な人たちのためにお茶をいれてあげるのだと。それが面白くなかった。だって気に入った相手には、自分だけのものでいて欲しいと思うものだろう?」
うなじを押さえられて、秀麗は動くことができなかった。朔洵は慣れた仕草で秀麗を抱き寄せる。抵抗させないくらいに、強く。
「面白いね。私は面白いことは大好きだが、今までさほど欲しいものはなかったんだよ。でも君とあって、少しずつ増えてしまった。だから兄にも死んでもらわなくてはならなくなった。今頃は多分、私が長子の座に繰り上がってるんじゃないかな」
瞠目した秀麗の髪から、花簪を引き抜いた。サラリと流れた長い髪の感触を楽しむように、指先で梳きおろす。
「紅本家にとって、君は宝物のようだから。あの紅家の怒りを真っ向からうけて立つためには、せめて茶家の当主くらいにはなっておかないと」
さらさらと秀麗の髪を梳きながら朔洵は笑む
「君ときたら無理に抱いたくらいではおとなしくお嫁になってくれるとは思えないし。……それとも、なってくれるのかな?」
そう言うと朔洵はぐいと秀麗の手を引いてそばの長椅子に押し倒す。何が起こったのか分かっていない秀麗が目を見開き、覗き込む朔洵と見つめ合う。
秀麗の懐からかしゃんと小さく音をたてて、鏡が転げ落ちた。
「大丈夫、大切に扱うよ。優しくする」
「気に入りの……玩具で遊ぶように? 真っ平ごめんだわ。何をされたって私はあなたのものになんかならないわよ。鏡を拾いたいわ、のいて頂戴」
そうして朔洵を押しのけようとする秀麗を嬉しそうに朔洵はみた。
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