想いは遥かなる茶都へ 39
「あなたにとって人の命や人生は、退屈を紛らわす玩具ですか」

「そうだよ。私は自分の命や人生にすら興味がない。だから人に求めるしかないんだ」


ふ、と朔洵はどこかでそんな自分に己を大切にしろだの言ってきた者がいたような気がした。


(……まあ確実に気のせいだけど)


あり得ないことだとすぐに目の前のことに思考を切り替える。
朔洵は秀麗の右手に自分の左手を絡めた。床に落ちた鏡に、朔洵の顔が映り込む。


「でも、人というのは少し遊ぶとすぐに壊れる。……ねぇ、命は、ただの命だよ。欠けてしまったらなんの価値もない。その点、君は強い。きっとどんなときも壊れたり自ら死を選んだりすることはないんだろう。だから私は安心して君と遊ぶことができる」


秀麗の物差しでは測れない感覚だった。この世でただ一人の恋人に向けるような微笑みを浮かべ、壊れものを扱うように優しく触れながら、その言葉ですべてを裏切る。


「馬鹿に、しないで。私はあなたと、遊んでいる暇なんかありません」


そのとき、秀麗は耳に響く微かな音を捉えた。朔洵が小さく笑う。


「ああ、待ち人がきたみたいだね」

「……知ってて、今まで付き合ってくださったんですか」

「言っただろう? 望むことなら叶えてあげる。でもまだ君は私のものではないから、ここまでだ。今まで毎晩二胡を弾いてくれたことへのささやかなお礼だね」


朔洵はそっと秀麗の額髪を払うようにおさえた。頭が固定され、わずかに上向かされる。何をされるかわかっても、秀麗によける術はなかった。


複数の足音が近づいてくる。扉が開くのを狙ったように、朔洵は秀麗に口付けた。


優しく、激しく、何もかも絡め取ろうとする深い口付けには覚えがあった。いや、彼よりもさらに強い意志があった。秀麗の抵抗を、易々と封じ込めてしまうほどの。


まっすぐ頭部へ飛んできた短刀を、朔洵は見もせず軽々と弾き飛ばす。そしてようやく口付けをとくと、扉の前に立つ燕青と――短刀を投げた静蘭を見、くっと唇の端をつりあげた。


「どうお呼びした方がよろしいでしょうか? “小旋風”、それとも殿――」


もう一本の短剣が空を切った。紙一重で避けつつ、朔洵は楽しげに笑った。


「ずいぶん短気になられたものだ。ふふ、君は十四年たっても相変わらず面白い。どうやら何も知らないらしいこのお姫様に免じて、もう一つの名前は、言わないでおいてあげるよ」


燕青が頭を掻きむしった。


「くゎーマジで朔洵だし! てめえこの根性曲がりめ!」

「愛しい姫によると私は根性なしらしいから、もう曲がりようがないよ。ああそれから」


朔洵の視線が腕の中の秀麗から、静蘭の上へと戻る。


「せっかくだから教えようか、“小旋風”。十四年前、雪の中で倒れていた君を晁蓋のもとに運んであげたのは私だよ。あれだけ出来れば充分素質があると思ってね。親切だろう?」


静蘭の全身が総毛立った。陽炎のような瞋恚と憎悪に染まる静蘭に、いけない、と燕青の意識が警告を発する。だめだ、こんなところで怒りにまかせて我を忘れるのは――。


「静――」

「比武官!」


だが燕青の制止とほぼ同時に、秀麗の声が室に響いた。


「許します。ここにきた目的を果たしなさい! あとで甘露茶を淹れてあげるからっ!!」

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空中三回転半宙返り土下座
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