紅差し指・08





激しい雨の日だった。
カカシは執務があるのか早朝から出掛けてしまい、名前は家にひとりでいた。

窓の外を視界の端に収めながら、名前も出掛ける支度をしていた。屋根から滝が流れるような土砂降りだったが、どうしても行かなければならない用事があった。カレンダーの日付をなぞり、待っててね、と小さく心の中で呟いた。

レインコートを羽織り傘も差した。長靴を履いて、途中の道で花を買う。雨に濡れないようカバーをかけてもらい、大事に抱えた。バタバタと傘に落ちる雨音以外、何も聞こえない世界で名前はひとりぼっちの感覚に陥った。この感覚は、生まれてから何度も何度も味わっている。

愛されるとは、どんな感じなのだろうか。名前は子供の頃からずっとその感覚を知りたくて、夢にずっと見ていた。

だから、早く会いたいと思った。

会いたい、その気持ちが強くなるにつれて名前の足はどんどん速まっていく。少し息をあげながら、名前が向かったのは里の穏やかな場所にある墓地だった。

心の中で反芻したのは、恋人の名だった。

忍界大戦で、仲間を守って命を落とした。当時はまだ名前は子供のような年齢だったが、結婚したいと思う程に大好きな人だった。カカシが抜けた後に暗部で隊長を務め、他の隊の後輩達からも慕われていた。

名前を孤独から救ってくれたのも、彼しかいなかった。幼い頃に両親をなくし、大人の愛情を受けられず戦いと孤独の中で生きてきた人生を一変してくれた。

そして、今日は、彼の命日だった。

「え?」

予想もしなかった後ろ姿を見つけ、名前は思わず傘を落とした。花束のカバーに雨が落ちて、けたたましく音を立てた。

恋人の墓石の前にカカシが立っていたのだ。
傘もささずに、じっと墓石を見下ろしていた。

「どうして……」

名前の腹の底に、フツフツと怒りが沸き上がる。
恋人との間に、土足で踏み込まれた気分だった。大切な繋がりが、カカシによって断ち切られてしまう。恐怖に襲われる。もう私のものを壊さないでくれ。

名前は、泥が飛び跳ねるのも構わずカカシの後ろに駆け寄る。もう自分に関わらないで欲しい、近付かないでと言ってやろうと息を吸い込んだ瞬間だった。

「…………」

泣いているのかと思った。
単に雨に濡れているだけだと、すぐに気付いた。
怒りと焦りが入り交じる。心臓の音が耳をつんざく。
口の中が砂漠のように乾いていく。
握っていた拳を、カカシにバレないようにゆっくりと解いた。
カカシが、少しだけ名前に目線を送った。

「ああ、名前」
「…………」
「俺が居たら、嫌だよな」
「…………」

ポケットに手を入れたまま、カカシは墓石を見下ろしていた。

「ごめん、すぐ居なくなるから」

カカシは、名前に場所を譲るように離れようとした。名前は、慌ててカカシを呼び止めた。カカシの腕を掴み、自分の方へ引き寄せる。

「どうして!」

上半身だけ軽く捻り、カカシは目線で振り返る。

「……なに?」
「どうして、先輩もお墓参りを」
「話をしてたんだ」

そこから、カカシは話を進めなかった。
名前に聞かれたくない内容なのだろう。鈍感ならば良かったのだが、そこで言いたいことを察してしまった。

「謝ってたんだ」
「どう、して……」
「お前の大事な名前を幸せに出来なくてごめん」

短いながらもこの結婚生活に、カカシ自身も苦しんでいたのだ。自分ばかりが嫌だと思っていたのに、カカシも嫌だったのだ。そりゃそうだ、相手を選んだのはカカシ自身ではなく、里の上層部なのだから。
その上、自分個人の私情ではなく仲間への罪悪感も抱いていたのだ。

目眩がした。
本当にこの結婚には愛がないのだ。

嫌だ早く離れたいと言っていたのに、いざ事実を突き付けられてショックを受ける自分にも落胆した。
もしかして、自分はこの結婚に淡い期待を抱いていたのか。いやいや、有り得ない。あんなに毎晩、早くカカシが愛想を尽かし、離婚を切り出しますようにと願っていたのに。

「花、手向けてあげないの?」
「え?あ……」

抱える花を思い出し、名前は恋人の前に跪く。木ノ葉マークの下に刻まれた名前をなぞれば、恋人の声を思い出せる気がした。彼が生きていたら、今頃きっと幸せな結婚生活を送れていただろう。カカシにだって、こんな思いをせずに済んだのに。どうして死んでしまったの。

名前を呼ばれて見上げれば、カカシが名前を見下ろしていた。
声を失った。言葉で表せないほどの哀れで悲しい表情をしていたのだから。どうしてカカシがそんなに悲しそうな顔をするのか。

捲りあげた裾から覗く色白の手首が、今は青白い。

「カカシ先輩、帰りましょう」

額を伝う雨が目に染みた。

「風邪をひいてしまいます」
「そうだな」

愛の巣とはよく言ったものだ。いざ、自分達の住処に戻って来れば、火影邸が牢獄のように見えた。
道中、お互いに会話はなく、名前の頭の中はカカシの表情でいっぱいだった。なんで、どうして、何度も何度も頭の中をまわりまわる。

「先に着替えておいで」

促されたが、カカシの方が冷えていそうなのに。かと言って、ここでカカシの気遣いを無駄にもしたくない。

「……はい」

脱衣所からバスタオルを何枚か持ってきて渡すと、カカシは無言でそれを受け取った。

あぁ、私は愛されてなどいないのだ。





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