笑わなくなった理由


「名前、嘘だろ?」
「嘘じゃない」

目の前の女の子は、大きな瞳に涙を溜めていた。
瞬きをすれば、その涙がポロポロと零れてしまうに違いない。
最後に名前の笑顔を見たのはいつだろうか。確か、半年前から名前は笑わなくなった。気付いてたのに、一般人の名前を見くびって気付いてないふりをしていた。一般人の悩みなんて、忍の俺に比べたら大した事ないって。

「……」
「ごめん」

思わず離れて行く名前の手を握ってしまった。すると、名前は酷く傷付いた顔をした。

「どうして……カカシ」

手に力を緩めれば、最後まで名前は瞬きをせずに、俺の前から姿を消した。
俺に別れを告げて、名前はどこかへ行ってしまった。




あれから、あっという間に半年が経った。
俺の毎日の生活から名前だけが居なくなった。
名前の形に空いた穴は相当大きくて、俺の体はポッカリ穴が空いたのに、体も心も重く感じた。
一般人の彼女の話は、忍の俺の所へ来る訳もなくて、改めて彼女と俺の住む世界が違うんだと思い知らされた。任務は変わらず毎日あるし、仕事の憂さ晴らしに飲みに行くこともある、休みの日には修行をして、その隣で踊る名前がいない以外何も変わらない。彼女は踊り子だった。どんなに辛いことがあっても彼女の踊りを見れば心が癒やされた。踊る名前は美しくて神様の化身のように感じた。踊りの上手い下手はわからないが、名前の踊りが大好きだった。

「ねぇ、カカシ」
「ん?」
「カカシに言うべきか悩んだんだけど」

任務帰り、装備を一式腰に巻いたまま、待機所で帰宅前に一息ついていると、紅が思い詰めた顔をして立っていた。

「何?」
「名前のことよ……」
「………」

俺の体はビクリと跳ねた。今でも、外を歩けば彼女の姿を探してしまう。だから、他人からその名前を聞くだけで俺の胸は苦しくなった。

「もう、関係ないでしょ」
「……でも」
「向こうから別れようって言ってきたんだ」

逃げようとする俺の前に紅が立ちはだかって、ベストのポッケに小さな紙を捩じ込ませた。クシャクシャになった紙を広げると、四ケタ数字が書かれていた。

「何これ」
「部屋の番号よ。名前がここにいるわ」
「番号だけじゃ、わかんないでしょ」

それに、俺と付き合っていた頃と部屋の番号が変わっている。今更、俺が家に押しかけても迷惑だろう。

「場所なら簡単よ、木ノ葉病院の病室の番号だもの」

そう言うと、紅は煙と共に消えてしまった。お節介な仲間に、俺は舌打ちをして紙をクシャクシャに丸めると屑箱に投げ込んだ。
紅が知ってるなら、アスマも知っているかもしれない。また要らぬお節介を掛けられぬように、予定よりも早く家に帰ることにした。

歩きながら思い浮かぶのは名前の顔。別れてから、もう何度思い出したのだろうか。

足を止めれば、目の前に病院があった。あぁ、何やってるんだ俺は。この時ばかりは、自分の記憶力の良さを呪った。たった四ケタの数字、覚えることなんて造作もない。
病室の前に立てば、名前の名前が札に書かれていて、紅が嘘を言っている訳ではないと分かった。ドアに手を掛けるべきか悩んでいると、中から名前の声が聞こえた。思わず、俺は気配を消す。

「ごめんね、甘えちゃって」
「ううん、気にすんな。俺と名前の仲だろ?」
「ありがとう」
「それよりさ、名前」

男の声もして、俺の頭にコンクリートブロックが落ちて来たような感覚に襲われた。そりゃそうだ。名前は、かわいくて優しい女の子だから、俺がいなくなって他の男が近付いたっておかしくない。
俺は、その場から逃げるように重い足を動かした。背後からドアの開く音がして、思わず振り返る。

「あれ、カカシ。カカシも誰かの見舞いか?」
「ん、まーね」

名前の病室から出てきたのは、ゲンマだった。なんだ、ちゃっかり男前捕まえてんじゃないかよ。未練がましく引きずる自分がバカらしく感じた。ゲンマは俺の顔を見て、フッと笑うと肩をポンポンと叩いて去っていってしまった。振り返った俺の前には、名前の病室。中からは、慣れ親しんだ気配が漏れ出ている。
この瞬間を逃したら、もう二度と名前に会えなくなる気がした。俺は、覚悟を決めてドアを開けた。

「あれ?何か忘れも……」

あの日と変わらない名前がベッドに寝ていた。思ったよりも元気そうで、俺はホッとした。

「どうして……」
「紅から、聞いたよ」
「そっか……」
ポッケに手を突っ込んだまま、俺は名前の横に立った。こんなに元気そうなのに、入院するなんて何があったのだろうか。

「名前、どうしたの?病院なんて」
「カカシには関係ないでしょう」
「まぁ、そうだね」

完全に名前に拒絶されていた。名前は、俺の方を見ないように窓を眺めていた。その瞳が、あまりにも寂しそうで俺の胸はキリキリと痛む。

「名前」
「なくなったの」
「え?」
「なくなっちゃったの」

名前は、布団を捲った。あまりの衝撃に、俺は声を詰まらせた。
名前の膝から下がなくなっていた。

「名前…。」
「一年前に骨に腫瘍が出来てね、切っちゃった。切らなきゃ全身に転移するからって。ほっといたら死んじゃうんだって」

笑い飛ばそうとする名前があまりにも痛々しくて、俺は名前の頬に手を添えていた。それでも、名前は俺の方を見ようとはしなかった。

「名前、俺は……」
「カカシはもう私の事を思い出さないで。」
「名前」

一年前、まだ俺と付き合っていた頃じゃないか。この頃の俺は、暗部の任務に忙殺されて名前を構っていなかった。
足を失って一生踊れなくなるか、踊りを失わない代わりにゆっくりと死を待つか、恐ろしい選択肢しか残されていなかった彼女を思うと涙が出た。名前が笑わなくなった理由がやっと分かった。
残酷な未来を見据えながら、俺に甘えることも出来ずに一人で悩み続けたんだ。どうして人の悩みを軽く見ていたんだ。

「名前、ごめん」
「遅いよ……」
「そうだね」

長い沈黙が訪れた。もうずっとこの静けさの中で、俺は消えてしまいたいと思った。しかし、この長い沈黙を破ったのは名前だった。

「腫瘍が見つかった時、カカシに言い出せなかった。言い出せなかったと言うよりも、言わなかった」
「どうして……」
「カカシは木ノ葉に必要な存在で、私は踊りがなくなったらただの役立たず。カカシの重荷になる訳にはいかなかったの。」
「俺がそう思う訳ないでしょーよ」
「カカシは思わなくても、私が思うの!だから、何も言わずカカシの前から消えようと思った。影でカカシの活躍を聞いて、カカシと同じ時代を生きる、それだけで十分だから。それぐらい、カカシの事が大好きだった……」

だから、俺を振って…。

「だから、もう私の事は忘れて。木ノ葉の為に……」
「そんなの、出来るわけない」

俺は、名前を抱き上げて病室の窓から飛び出した。足を失った名前の体は、かなり軽くなっていて悲しくなった。落ちないように名前の腕が俺の体に巻き付いた。
二人が初めてキスをした場所に辿り着くと、名前が初めて俺を見てくれた。

「名前、俺はあの日から名前の事を忘れたことなんてないよ。忘れるなんて無理だ。あれから、何度も何度もここに来ては、名前に振られたバカな自分を戒めてる」
「カカシ……」
「俺は情けない」
「……」
「名前が苦しんでいたのに、辛いのは仲間を失って尚、人殺しをしている俺ばかりだと思っていた」
「仕方ないよ……」
「俺に責任をとらせてくれ。ゲンマじゃなくて、他の男でもなくて、俺を選んでほしい」
「……ゲンマ?」
「え?」

名前は、多分、何か凄く勘違いしているけれど。と付け足した。

「ゲンマは、三代目様の命令で私の護衛をしてただけだよ」
「え?」
「足を失うからって、私を狙う人が出てきてしまったの。だから、護衛のプロのゲンマがついてくれてるの」

何ソレ、すごくかっこ悪いじゃん。溜息をつくと、名前がさらに抱き着いてくる。久しぶりの名前の感触に、俺の胸は勝手にドキドキし始めた。やっぱり俺は名前のことが大好きだ。

「ねぇ、カカシの言葉信じてもいい?」
「うん。もう名前を苦しませたりしない。名前が頼りにできるくらい、いい男になるから」
「もっともっとかっこ悪い所も見せて、私もカカシの事を守りたい」

酷く傷付けてしまったにも関わらず、なんて名前は優しいんだ。

「今思えば、カカシが甘えられる彼女じゃなかった。だから、傷付いていたのにカカシのことを守れなかった」
「そんなことない」
「そんなことあるの」

名前と向き合うと、名前はあの時と変わらない手つきで俺の口布を下げた。

「やっぱりカッコイイ」
「名前は、やっぱり綺麗で可愛いよ」

それから、久しぶりの名前とのキスは塩っぱくて、名前が涙を流しているんだと思った。

「え!?カカシ泣いてる!?」
「幸せすぎて」
「ウフフ、私も」

俺の涙も含んで、また塩っぱいキスをして、俺達は笑いあった。

「俺、名前の足になるから。一緒に歩いていこう」
「カカシ……」
「君がどんな姿になっても、俺の愛は変わらないから」


だからさ、覚悟しといてよ?

そう言うと、名前は優しく笑ってくれた。





笑わなくなった理由 end.

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