01
「はー、今日も雨なの」
「梅雨ですからね」
「ま、でもそのお陰でこうやって近くに居られるからね。ありよ、あり」
カカシは上機嫌に鼻を鳴らした。
カカシの大きな傘の下に、2人で収まる。名前も傘を持っていたのだが、カカシが相合傘をしたいと言い出したので名前は1度取り出した傘を仕舞った。
碌に会話もないのにカカシは楽しそうで、名前は小さく笑った。
カカシが急に現れた春から、気付けばもうすぐ夏になろうとしていた。
仕事終わり自宅の最寄り駅で、カカシが連絡もなく突撃してくることにも慣れた。カカシにも生活があるからか、最初に比べたら会う頻度は減ったが、それでもカカシが生活に占める時間は多くなっていた。
きっと名前が断れば、カカシが突撃してくることもなくなるだろうが、それを嬉しいと思っているのだからどうしようもないのだ。
それにしても、やはりカカシは目立つ。
イケメンと言うには軽く、なんと形容すれば良いのか。一緒に街を歩いているだけで、擦れ違う人達の目線を集めていく。本人は慣れているのか無頓着なのか、全く気にも掛けていないようだ。
だが、カカシと比べられる自分の身にもなって欲しい。尋常ではない男前の隣に立つ女が、普通の女なのだから。きっと違和感を抱くに違いない。下手したら、レンタルした彼氏だと思われているだろう。
「やっぱり、カカシは目立ちますね」
「目立つ?なんでよ、でかいから?」
「それは」
かっこいいからです、と言ったらカカシの喜び舞う様子が目に浮かぶ。言ったらどんな反応をするだろう。
「それは、かっこいいからです」
「えー?俺のこと?俺のこと、かっこいいって思ってくれてるの?」
ほら、やっぱり。
「あんまりイケメンだとか言われるの好きじゃないけど、名前に言われると素直に嬉しいね」
その笑顔、真顔の時とのギャップが凄すぎる。普段もどちらかと言うとずっと朗らかな表情でいるが、笑うと普段よりも素敵度200パーセントなのだ。
ほら、向こうの女の子がこっちを見ている。
名前の視線に気付いたのか、すぐに逸らされた。
「じゃあさ、俺の家に来る?」
「え?」
「あ、ごめん、他に行きたい所あった?」
「いえ、そういう訳じゃなくって」
「家の中なら、周りの視線も気にならないでしょ」
正直、カカシの家に興味はある。が、男の家に行くのだからそれ相応の警戒はするものだ。
いや、カカシとならどうなっても良いのか。ん、違うか。それに、強引な所はあるが決して名前の嫌がることはしてこない。
そもそもカカシにそんな考えすらない気がする。うん、きっとそうだ。
「家に行ったら、何しますか?」
「そりゃ、ひとつしかないでしょう」
カカシの不敵な笑みに、名前は身を強ばらせる。先程までの期待が崩されてしまう。どうしよう。
「なーに、ちゃんと優しくするから怖がらないでよ」
「そう言われても」
「ま、いいじゃない。俺は名前とやりたくて仕方なかったんだから」
カカシが名前の肩を抱き寄せて、早歩きを始めた。強制的に名前の歩みも早くなる。
流されちゃダメだと思いつつ、胸のどこかで期待している自分もいる。どちらかと言うと、自分はお堅いタイプだと思っていたのに。よくよく考えたら、カカシのことなんて全然知らないのに。
「ま、安心してちょーだいよ」
カカシが立ち止まり見上げたのは、駅からほど近い綺麗なマンションだった。1階にはデンタルクリニックが入っていた。
「着いたよ。ここの1番上ね」
オートロック式のお洒落なエントランスを抜けると、すぐにエレベーターがあった。
「いいマンションですね」
「そう?俺は言われるままに買っちゃったんだけど、いい買物出来てたみたいで良かったよ」
「え?持ち家なんですか?」
「うん。借りるのって案外ハードル高くてね」
「ええ?買う方がハードル高いですよ……」
カカシは、そうかなあ、と気のない返事をしながらエレベーターに乗り込んだ。
ドアが閉まり始めてすぐ、カカシの腕が名前の腰に絡みついた。
「カカシ?」
「キスしよっか」
「それは、あの」
「前はあんなにしたじゃない」
「あの時は……」
カカシは、自分の指に名前の髪を巻き付けた。
「ね、良いでしょう」
そんな目で見つめられたら。
動けなくなる。
カカシの唇が近付く。
細められた瞳に、条件反射で名前も瞳を閉じてしまう。
どうしてだろう、体が勝手にカカシの思う壺になってしまう。腰を持ち上げられ、足元が揺らぐ。これは転けそうだからだと言い訳を心の中でしながら、カカシの腰に手を回した。
チン、
エレベーターが到着したことを知らせる。
思わず目を開けると、カカシと目が合った。
腰を更に持ち上げられ、つま先が床から離れる。
チュッと音を立てて、軽く唇が擦れた。
呆然とする名前と、口元の綻んだカカシ。
「続きは後でね」
エレベーターから出て、外廊下には扉が2つだけあった。
「奥使ってんのよ、おいで」
ポケットから鍵を取り出して、ガチャリと錠が開いた。
「はい、どうぞ」
「お邪魔します」
ついに入ってしまった。
「ひ、広い」
それよりも、カカシの家の広さだ。玄関はたっぷりと空間が使われ、床は名前の分からない綺麗な石が敷き詰められている。天井まである備え付けの靴箱。これだけで、このマンションが豪華な仕様であることがわかる。
「名前の家もこんな感じ?」
「ううん!全然!もっともっと狭いです。1Kですもん」
「そうなの、今度遊びに行かせてよ」
「いやー、来ない方が良いですよ」
廊下を抜けると、これまた広いリビングがあった。それから、カウンター付きのキッチン。
「わあ、凄く良い。いいなあ」
「気に入った?この部屋あげようか」
「ええ!?正気ですか!」
「大真面目だよ。ま、もれなく俺も付いてくるけどね」
あ、そういうことですか。と、名前は心の中ですっ転ぶ。カカシは、名前が欲しいと言ったものは全て買って来るものだから軽率に欲しいと言わないように気を付けている。が、流石に家まで軽率にくれるとは思いもしない。
「お茶出すから座ってて」
ソファに座らされ、お茶を置いたと思ったらカカシは別室へ行ってしまった。リビングを見回していると、カカシの大きい声がした。
「名前、そろそろやろっかー」
待ってくれ、時期尚早過ぎる。名前は、思わず服の中を覗いて確認した。下着は上下揃っている。いや、違う、そういうことじゃない。
カカシがリビングに戻って来た。
「よーし、やろうか」
カカシが嬉嬉として出してきたのは、最新のゲーム機。
「え?」
「ん?」
「はい?」
「ん?」
名前は、見たこともない程に阿呆な顔をしてしまったようだ。珍しくカカシがバツの悪そうな顔をしている。
「もしかして、ゲーム嫌いだった?」
「へ?あ、いえ、好きです!」
「そう、なら安心。いやあね、なんか店員さんに話題で品薄って言われたから何となく買ってみたのよ。そしたら面白くって、これは絶対名前とやろうって決めたんだよね。ソフトも色々買ったんだよ」
「そうですか」
変な想像していた自分が馬鹿みたいだと、名前はこっそり恥じた。
安心して、名前はコントローラーに手を伸ばす。
「さーて、始めますか」
協力して戦うRPGをしたり、有名なキャラクターのミニゲーム集をちまちま進めたりした。
何だかテレビで見るような小学生の放課後みたいだと思った。昔の自分もこうやってゲームをやっていたのだろう。
カカシは、いくつかのハンデを負ってくれ、名前が負けそうになると手加減し始める。
対戦型格闘ゲームをした時には、いくらゲームでも名前を殴れないと言い出してスタートすることなくソフトを抜いた。
「ゲームなんですから、思いっきりやっていいですよ」
「確かにね、けどさ、そうは言っても俺が許さないんだよ」
「はあ」
「名前のことね、どうしても甘やかしたくなるの」
大学の時にも、こうやってゲームをして過ごしたりしたが、なんだろう今の方が凄く楽しい。
カカシと居ると、戸惑うことも困らされることも多いがこうやって忘れ去った時間を取り戻しているような感覚になる。だから、一緒にいるとこんなにも嬉しいのだろう。
「楽しいね、名前」
「はい。もう1回やりましょう」
「うん」
一体どれだけの時間を夢中で過ごしたのか。時計を見ると、もう夕方を指していた。
「わ、大変」
「お腹空いたね」
「空きました」
「出前でも取ろうか」
そう言えば、今朝ポストにチラシ入ってたなあと言ってキッチンに向かった。
カカシもチラシを見るのだと、考えなくてもわかる当たり前なことに驚いた。カカシは不思議で、この世界の人じゃないみたいなのだ。この世界の人だとしたら、余りにも出来が良過ぎるのだ。
チラシを数枚持って帰ってきて、名前の隣に座った。
「ビザがいい?あとお寿司もあるよ」
「ビザが良いです、あ、でもカカシは」
「俺は名前が食べたいものを食べたいな」
訊いてから、カカシはいつもこう答えるのだと思い出す。
「たまには、カカシの好きなもの言ってください」
「えー、じゃあ、俺は名前が食べたいなあ」
そう言うや否や、カカシの両手が名前の頬を挟んだ。
「お、美味しくないですって」
「こんなに可愛い子がマズい訳ないでしょ」
カカシの手を退かそうと手首を掴むがビクともしない。
藻掻く名前の唇に、カカシが唇を重ねた。
名前の手から力が抜ける。カカシがそれを見計らって、頬を挟む手を頭の後ろに回した。角度を変えながら、幾度も重ねる。
唇だけではなく、顎の先や口角の横にもキスをしてきた。頬の一番膨らんだ部分を唇で挟んできて、名前は身を捩らせた。が、カカシのキスの方が強引ですぐに大人しくすることにした。
「あー、駄目だ」
急にカカシが体を離した。名前は、目蓋を上げる。その表情は、何とも複雑だった。眉間に皺を寄せながらも唇は噛み締めて結んでいる。名前の頭を撫でながら、カカシは大きくため息をついた。
「うーん、止まんないかも」
流石にやばいかも、そう独り言を言ってカカシはチラシを手に立ち上がった。
「いい加減お腹空いたよね。電話するよ」
・
・
・
ピザと寿司をつまみながら、カカシと名前はテレビを眺めていた。内容は語るに足らないバラエティ番組で、映画の告知の為だろう最近人気のイケメン俳優が芸人に弄られている。
この俳優とカカシが並んだら、きっとカカシも遜色ないだろう。いいや、カカシの方がずっと素敵な気がする。それくらいにカカシはかっこいいのだ。
「ねえ、名前」
「このカッコイイ人とさ、俺だったらどっちが好き?」
もしかして、心の声漏れていた?
名前はカカシとそれからテレビ画面に視線を往復させた。
「それは、えっと」
「どっち?」
「えっと、カカシです」
見る間にカカシのテンションが跳ね上がる。
「名前ちゃん、いい子だねー」
カカシの両手が、クリップのように名前の頭を掴んだ。そして、何の躊躇いもなく唇を重ねて来る。
「どうしよっか」
普段の外ならまだしも、家の中と言うことは何をしても止める理由はない。勿論、そのようになる覚悟を決めてきたつもりだが、いざ実際になってしまうと胸がバクバクと煩く音を立てる。
カカシが唇を離して名前を見つめる。
「ねえ、名前、嫌なら言ってよ?」
重なる唇。重なったまま唇が動く。
「名前が止めてくれないと、俺やめられないよ」
そう言われても、カカシを止めようだなんて名前の中にも毛頭ない。名前は、恐る恐る腕を伸ばしカカシの背中に手を回す。
唇の角度が変わる。上唇と下唇の間をカカシの舌がぬるりと触れる。名前は、おずおずと唇を解き開く。ゆっくりと舌が挿し込まれて、名前の舌とぶつかった。
カカシの舌先が柔らかく名前の舌を擦る。それだけで、体に痺れが走った。
緊張しているからだろう、じんわりと肌全体に汗が浮かぶ。
顔を挟んでいたカカシの手が、首の後ろにまわる。
どうしよう、流されてしまう。
このまま流されたら、果たしてどこに流れ着くのか。
いや、流れされて溺れたってきっと後悔しない。
「はー、ダメだー」
再び、強引に体を離された。
「今度こそ死んじゃうよ。さすがに、俺がもたないって」
言葉が、ポツンと広い部屋の空間に吸い込まれた。その余韻が消えてから、カカシは名前の方に顔を向けた。
「名前に会えて話せるだけで幸せなのに、これ以上進んだら俺が蒸発しちゃうって」
「蒸発?」
「そーよ、幸せで蒸発しちゃうの」
カカシは自信満々に言い切った。
「どうして、カカシは私のことが好きなの?」
「理由なんて要らないでしょ」
強いて言うなら、大好きだからだろうねぇ、と。 いつもの事だが、カカシはよく分からないことを言う。
「今日は、もう帰ろうか」
「そ、そうですね」
送ると言ってきたので、最寄りのコンビニまでお願いしますと頼んだ。カカシと夜雨の中、ゆっくりと歩いた。雨が降っていて良かったと思う。雨がカーテンのように、2人だけの世界にしてくれるから。
コンビニに到着する。駐車場には、車の中で眠る人だけだった。雨だから客もいないのだろう、店員も暇そうにレジに立っている。
こんなに名残惜しいのは初めてだった。じゃあね、と言われてついカカシを見上げてしまう。煌々としたコンビニのライトが、カカシを後ろから照らす。カカシは肌も髪も白いから、影の中でも表情が良く分かる。
「なーに?物欲しそうに」
「そんなことないです」
「今日も楽しかったよ、また遊びに来てよ」
「うん」
「そんなに寂しそうな顔しないでって」
「し、してるつもりは……」
「ハハハ、一緒に暮らす?部屋ならいくらでもあるから」
「……考えときます」
「そこは即答でイエスでしょうよ」
名前は、そうですね、と唇にだけ笑みをしたためて頷いた。
「名前が会いたいなら、任務中でも会いに行くよ」
「大袈裟ですよ」
「いーや、本気だって。もう分かってるでしょう?」
今度は、笑顔だけで頷いた。
じゃあね、バイバイ。
サヨナラを交わして、カカシは暗い雨の中へ消えて行った。
[
back]