人形姫・18





視界が明るく戻った。先程よりも目眩はましになった。
目の前の壁に凭れて、カカシは目を閉じて目眩を落ち着けた。やはり会得していない術はやるもんじゃない。もう2度とせずに済んで欲しいものだ。
こんな恥ずかしい姿、名前に見られたら格好がつかない。久しぶりに会うのなら、格好つけたい。

暫く休んでから、カカシはやっと目蓋を上げた。どうやら細い路地のようで、空は細長く切り取られていた。まだ雲は黒く、雨が降るかもしれない。
そう様子を見ていた途端、屋根の端から水がポタポタと落ちてきて、カカシの頬を濡らした。すぐにポツポツと細く水滴が落ちてくる。

傘借りておけば良かったか。いや、返せないのだし、もう名前さえ見つかれば濡れようが燃えようが何だっていい。抱き締める時に名前を濡らしてしまうことになるが、それは許して貰おう。

カカシは、名前の近くにちゃんと来れたのだろうか周りを見渡した。

少しだけ遠くに、小さな丸まる背中が見えた。

「嘘だろ……」

そう言う術を使ったのだから当たり前と言えば当たり前なのだけれど。いや、早とちりかもしれない。
カカシはゆっくりとその背中に近付いて、傍らに放置された傘を開いて上に翳してあげた。

直後、本降りが始まって傘に雨が叩き付けられる。その音で目の前の背中がピクンと跳ねた。

「風邪引くよ」

カカシの声に、その人は顔を上げた。

カカシは、思わず傘を投げ出しそうになったが愛しいその人を濡らす訳にはならない。何とか留まるが、伸びた腕を留めることは出来なかった。

もう我慢ならなかった。同意なんて得ている余裕はない。嫌がられたって構わない。その人を立ち上がらせ抱きしめた。

やっと触れられた喜びに、カカシは更に抱き寄せた。

「会いたかった」

突然抱き上げられて、名前の体はバランスを崩した。崩れかかる体を、その人は力強く受け止めてくれた。余りにも突然の出来事。名前は
何が起きているのか理解出来なかった。それなのに、自然と涙が溢れてくる。

ついに、涙の膜が崩壊する。

名前は、鼻を何度も啜りながら名前を呼ぶ。幼い子供の様にしゃくり上げて、上手く声が出せない。それでも名前は名前を呼ぶ。

「名前、落ち着いて」
「そんな、の、むり」

背中を優しくポンポンと大きな手が触れた。涙と鼻水で、きっと彼の胸はびしょ濡れになってしまっているに違いない。

「大変な思いさせちゃったね」
「カカシっ」

ごめんね、とカカシは泣きじゃくる名前を優しくあやした。

「カカシ、来て、くれた」
「当たり前でしょうよ」

涙でぐしゃぐしゃになった名前の頬を指で拭いながら、懐かしいと胸を打つ。腰に回された細腕がギュッと強くカカシを引き寄せた。
カカシは、名前が落ち着くように額に頬に唇を落とす。滑らかな頬、少しだけ産毛の生えた額を可愛がる。

ああ、変わらない。

喉を引くつかせる名前を、胸に抱き込んで背中をポンポンと優しく叩いた。
やっと落ち着いた名前は、カカシを見上げて縋るような瞳を向けた。

「私のこと、今でも好き?」
「当たり前じゃない。俺は、出会う前から名前が好きだよ」

言っても意味が分からないか、とカカシは思った。
ついさっきの出来事は、現実には20年近く昔のことなのだから。
幼き日の名前もたいそう可愛かったが、やはり俺には大人の名前が良い。こうして抱き締めて、キスをするのにはやはりこうでないと。

「名前、ちゃんと見つけたでしょ?」

雨の音が煩いはずなのに、カカシの言葉はしっかりと聞こえる。ひたすらに首を縦に振った。

優しく笑んでいたカカシの瞳の色が変わり、名前は自然と目蓋を下ろした。

唇が触れ合う。何度も角度を変えて舌が重なり合う。
ああ、どうしようか。幸せに溺れて死んでしまうかもしれない。再び柔らかな唇に触れられるなんて夢のようだ。ここで突然、神が死を与えてきたとしても構わない。そう勘違いさえしてしまいそうだ。

どれだけ唇を重ねていたのか、雨はいつの間にか上がっていた。
カカシは傘を降ろして、両腕で名前を抱き締め直した。

「随分待たせちゃってごめんね」

名前は首を横に振った。さっきまでの寂しい気持ちなんて彼方へ飛んでいってしまった。こうして現実にカカシが居てくれている。
信じられなくて、もし変化だったらどうしようかとさえ思った。だが、瞳の奥を見てカカシだと確信した。
名前は、硬く凸凹のある胸板に頬を埋めた。変わらない安心感に胸が暖かくなる。

「あら、名前」
「ん?」
「下駄、切れちゃってるじゃない」

夢中になって忘れていた。そうだった、と名前は片足を上げた。アスファルトのお陰で泥には塗れていないが、塵で黒くなってしまった。カカシは、下駄を拾い上げて名前の腕を自分の首に回させた。

「名前、俺に抱きついてなさいよ」
「分かった」

すると、トンッと足音がしたと思うとカカシは名前を抱き上げたまま屋根の上に上がった。

「わ!」
「散々キスしといて説得力ないけど、名前の仕事は男と居るのは見られちゃ駄目なんでしょう?」
「え?うん、そうだけど……」
「下駄の代わりに俺が名前を運ぶよ。何処に向かってたの?」

カカシに会いたくてアテもなく走っていたことを、何と説明すればいいのか。正直に言ったら、、寂しさに気が狂ったとでも思われてしまう。カカシがこんなことで自分に幻滅するとは思わないが、何となく恥ずかしい。

「もう用事は済んだの。置屋に帰るわ、お母さんに会ってほしいの」
「勿論、改めて御挨拶しないとね。道分かる?」
「屋根の上から行ったことないけれど、頑張ってみる」

再会した時の様子を見れば、名前の身に何か尋常ではないことがあったのだろうと推測される。言いたくないのならば、無理に聞くこともしないが内心、心細く感じてしまうのは我儘なのだろうか。

「ねえ、カカシ」
「ん?」
「お母さんからね、私とカカシの写真を見せて貰ったの。私を産んでくれたお母さんの遺品だったの」
「名前を探す為に、時空を超える忍術を使った時に名前の両親に会ったんだよ」
「本当だったんだ」

名前の伏せられた震える睫毛の影を見ながら、カカシは抱き締める力を強めた。

「名前はね、物凄く愛されていたし、今だって名前の中にしっかりとご両親がいる。俺には、ちゃんと見えるよ」
「……ありがとう」

屋根の上で散歩デートと銘打って、カカシはゆっくりと歩いた。名前にこの2年間、どう過ごしていたのか話をしながら隙があれば唇を啄んだ。
カカシも名前も、互いにこの2年間を果てしなく永遠の様に感じていたことを知り笑い合った。

「ストップ!」
「どう?着いた?」
「えっと……」

カカシに少し移動してもらい、ある邸宅の中庭を覗いた。生えている木や配置、金魚が泳ぐ鉢を見て間違いないと確信する。

「カカシ、ここだよ」
「了解」

置屋の門をくぐった先で、2人は地上に降りた。
名前が玄関の扉に手を掛けると、カカシは何だか緊張しちゃうね、と茶化した。

「じゃあ、名前先生宜しくお願いします」
「うふふ、懐かしいね」

再び笑い合うと、玄関を中から勢いよく開けられる。そこには、色を失ったお母さんが立っていた。




ー83ー

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